礫川全次のコラムと名言

礫川全次〈コイシカワ・ゼンジ〉のコラムと名言。コラムは、その時々に思いついたことなど。名言は、その日に見つけた名言など。

回虫ばかり二十匹以上も出る(黒木勇治伍長)

2016-03-28 02:12:07 | コラムと名言

◎回虫ばかり二十匹以上も出る(黒木勇治伍長)

 この間、中村正吾秘書官、および黒木勇治伍長の「日誌」によって、七一年前(一九四五年)の「今ごろ」の出来事を紹介している。出典は、それぞれ、中村正吾著『永田町一番地』(ニュース社、一九四六)、および黒木雄司著『原爆投下は予告されていた』(光人社、一九九二)である。
 本日は、『原爆投下は予告されていた』から、三月二八日から三〇日までの日誌を紹介する(五九~六三ページ)。
 
 三月二十八日 (水) 曇
 昨夜のニューディリー放送の興奮はまだつづいている。隊長はこの部屋で知り得た情報は、何人にも知らしてはならぬと言われたが、逆にだれかと話したい気になる。もう隣りの部屋は全員引きあげた。壕の中に自分一人が勤務している。【中略】
 午前七時、当番兵が朝食を持って来てくれたので、さっそく朝食を食べた。ところが、食べ終わった途端に腹全体が痛み出した。下腹部もちろん、胃も腸もとにかく腹が痛い。額からは油汗が出る。
 午前八時、二人の少年兵はやって来た。上下番の挨拶もちゃんとできるし、電話応待も問題なくやってくれそうなのと、とにかく腹が痛むので(二人には言われぬが)二人で午後八時まで勤務するように命じた。
 下番後、腹痛のために厠に直行する。意外にも回虫ばかり二十匹以上も出る。昨年の三ヵ月、木の根を噛ったり、砂糖黍〈サトウキビ〉をしゃぶったり、生のままのピーナツを食べたり、そのうえ蛇や鼠を食べた悪縁によることだろう。
 医務室に行って話をしたら、下剤をくれた。下剤を呑んで一時間か一時間半か、また腹が痛くなり、厠にかけ込んだ。今度も出るわ出るわ三十匹から四十匹くらいか、透明なようなものから白くなっているものまで、長さは五センチから十センチ以上のものまで、自
分ながら驚く。その後、また一時間後、厠に行く。まだ出てくる。
 昼すぎからやっと仮眠ができる。午後七時、夜の勤務に備えるため入浴、夕食をすます。
 午後八時上番し、勤務交替する。原隊の野高砲の人々はどうだろう。あるいは自分と同じく回虫にやられた者がいるのではないだろうか。ここでは医務室に遠慮なく自分は行って話をしたが、初年兵ではいいにくいだろうなあ。そういえぽ二中隊には医務室はあったかなあ。そんなことを考えていると、今日も午後十時、ニューディリー放送が流されてくる。
 ――こちらはニューディリー、ニューディリーでございます。信ずべきところの情報によりますと、米軍B29百機は昨夜、夜間より本朝未明にかけて北九州地区を空襲し、関門海峡一帯にかけて機雷を投下致しました。繰り返し申しあげます。…………――
 一体、B29には機雷は何個積めるのだろうか。五十個から百個の間くらいと思うが、かりに五十個として、百機から投下された機雷は五千個となる。日本に掃海艇が何隻あるか知らないが、五千個の除去作業は並み大抵のことではないだろう。
 
 三月二十九日 (木) 晴
 夜の勤務をつづけていると、日の変わったという意識が少ない。夜の勤務は静かそのもので、安東兵長が言っていたが、考えようによれば、夜の勤務は楽なうちに入るのだろう。
 午前三時すぎに厠に行く。昨日あった場所にない。便利なもので、満杯になると土がかけられ、別のところに穴が掘られて、丸太四本に茣蓙〈ゴザ〉がかけられるから、すぐに新しいのができる。しかし、月が暗かったらまったくわからない。【中略】
 午後八時、勤務に上番する。田中、田原が勤務中の情報を報告してくれる。もうこれからは情報室の勤務中は田中候補生、田原候補生と呼ぶことにしよう。内務班では田中君、田原君でよいだろう。
「本日午後五時のニューディリー放送によりますと、昨二十八日夜半より本日二十九日早朝にかけ、米艦載機千三百機は九州地区の船舶並びに航空施設などを空襲し銃爆撃を加えました」と記録したメモ用紙を見ながら、二人が報告してくれた。
「えっ千三百機」と私は驚いた。二人は声を揃えて、
「間違いありません」という。
 一航空母艦に何機積めるのか知らないが、かりに一艦に二百機としても、七艦も九州付近にいるということになる。日本の陸海の空軍はどうしているんだろう。
 夜になると、白雲飛行場からエンジンの音が高く低く流れてくるのが厠に行くたびによくわかる。
 午後十時、またも、ニューディリー放送が流れて来た。
 ――こちらはニューディリー、ニューディリーでございます。信ずべき情報によりますと、昨日よりつづけております米機動部隊の艦隊は、沖縄本島への艦砲射撃を昨日八百発でありましたが、本日は強化して一千発の艦砲射撃を行ないました。繰り返して申しあげます。…………。――
 毎日毎日、一千発も砲弾を浴びてば、撤退せざるを得ないだろう。おそらく海岸線から幾重にも幾重にも壕が掘いれあるといえども、艦砲射撃には小銃や機関銃では弾丸【たま】は届かないだろう。届いても艦隊の鉄板では跳ね返るのが関の山だろう。火砲の部隊でないと、話にならないだろう。火砲を撃てば逆に集中砲火されるだろう。こうなったら空軍力で行くか、あるいは海軍対海軍で、海上戦闘をやってもらわねばならないだろうに。空軍や海軍はどうなっているのだろうか。

 三月三十日 (金) 晴
 午前零時になって、情報室内の日めくりをめくり、三月三十日の頁を出しておく。三月三十日金赤口とある。こんな壕の中まで日めくりがあるのには驚いた。【中略】
 二人が午前八時に上番のつもりでやって来た。自分は勤務に集中するために八時問制度を採用したことを説明し、二人にジャンケンさせたら田原が勝って、田原の希望を聞くと、午前八時からの勤務に着きますというので、二勤の勤務を田原に命じた。田中は休養して、三勤午後四時からの勤務に着けるように準備させた。下番後、すぐ床についた。
 下番して二時間も横になって眠っただろうか。田中が、「班長殿! 空襲警報です」と自分を起こす。「鉄帽をかぶれ」と指示する。飛行場からドオーン、ドオーンという地響きが起きる。B29四機が、飛行場付近で急降下しては爆撃を繰り返している。友軍機は飛び立たない。高射砲陣地からの弾丸の炸裂する音がつづく。
「田原の応援に行きましょうか」と聞く。自分自身、先ほどから行ってやろうかどうしようかと迷っていたが、「経験だ。経験だ。かりに応援に行ったら、いつもこんなときには来てくれる。自分は頼りにならぬかと思うかも知れぬ。それより一回一回当たれば、それだけ自信がつくからやらせておこう。彼のためだと思う」と言った。十分ぐらいの攻防がつづいたが、敵機は去ったのであらためて横になる。【以下略】

*都合により、明日から数日間、ブログをお休みします。

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