礫川全次のコラムと名言

礫川全次〈コイシカワ・ゼンジ〉のコラムと名言。コラムは、その時々に思いついたことなど。名言は、その日に見つけた名言など。

前田勇『児戯叢考』に見る「蛙の弔い」

2014-05-06 07:17:13 | 日記

◎前田勇『児戯叢考』に見る「蛙の弔い」

 前田勇の『児戯叢考』(湯川弘文社、一九四四)は名著だと思う。復刻版も出ているようだが、こういう本は、やはり、岩波文庫、講談社学術文庫、平凡社ライブラリーあたりに入れてほしいものだ。
 同書は、「草木篇」、「禽虫篇」、「生活篇」、「躰技篇」に分かれている。その「禽虫篇」の最初に「蛙」があり、これがさらに、「一、蛙釣り」、「二、蛙の弔ひ」、「三、蛙が鳴くからかーへろ」に分かれている。
 本日は、「二、蛙の弔ひ」を紹介してみよう。冒頭に、『撈海一得』からの引用があるが、この文章は、左右に振り仮名が振られた難文である。【 】内に示したのは、原則として、左側の振り仮名である。返り点は省いた。■の字は、プレビューで表記できなかったが、クサカンムリに不という字である。

 二、蛙の弔ひ
 食へもせぬ餌なら吐出す事も出来ようが、引つ掴んで大地に叩きけられて何条たまらうや。蛙の受難の極まる所、あはれと云ふもおろかである。
《今児戯ニ、蝦蟇〈がま〉ヲ促テ〈とらえて〉嬲〈なぶり〉殺シ、地ニ小坎【アナ】ヲナシ、車前草ヲ襯キ〈しき〉、死蝦墓〈しにがま〉ヲ安頓シ【オキ】、上ニ又車前草ヲ被ヒ、畢ツテ〈おわって〉小児囲繞〈いじょう〉環列シテ祝テ曰〈いわく〉、かいるどのゝおしにやつたおんばくどののおとむらひト、斉シ声ヲ〈こえをひとしくし〉撃壌ヲテ〈ちをうちて〉是ヲ咒ス〈じゅす〉【マジナフ】。須臾〈しゅゆ〉ニシテ【シバラク】死蝦墓蹶然〈けつぜん〉トシテ跳躍ス【オドル】。 ―撈海一得・巻上・蛙のおんばこ―》
 これは鈴木煥卿〈スズキ・カンケイ〉が明和の頃の江戸の悪たれ共の様を書いたのである。これはずつと後までも行はれた事であるが、江戸ばかりでなく処々方々〈ショショホウボウ〉でも行はれた。小林一茶の『おらが春』の中にも「蛙の野送」と云ふ一節がある。
《蛙の野送
爰ら〈ココ〉の子どもの戯〈タワムレ〉に蛙を生〈イキ〉ながら土に埋めて諷ふ〈ウタウ〉ていはく、ひきどのゝお死〈オシニ〉なつた、おんばくもつてとぶらひに/\/\と、口々にはやして■苡〈オンバク〉の葉を、彼うづめたる上に打かぶせて帰りぬ、しかるに本草綱目、車前草の異名を蝦蟇衣といふ、此国の俗がいろつ葉〈ガイロッパ〉とよぶ、おのづからに和漢心をおなじくすといふべし、むかしはかばかりのざれごとさへいはれあるにや。
  卯の花もほろりほろりや蟇〈ヒキ〉の塚 一茶》
 これで見ると信州ではオホバコを「がいろつ葉」と云つてゐたらしいが、これより先越谷吾山〈コシガヤ・ゴザン〉の『物類称呼』にも「野州及奥州にて、かへるばといふ」とあるから、この草をカヘルバと異名する地方も相当広かつた事が分る。さうしてその異名こそ全く子供達の残忍な戯れの紀念塔でもあつたのである。【以下、次回】

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