礫川全次のコラムと名言

礫川全次〈コイシカワ・ゼンジ〉のコラムと名言。コラムは、その時々に思いついたことなど。名言は、その日に見つけた名言など。

9月12日の「大機小機」欄に拍手

2014-09-13 08:02:06 | コラムと名言

◎9月12日の「大機小機」欄に拍手

 昨日の日本経済新聞「大機小機」欄は、久しぶりに同紙の健全な批判精神を感じさせた記事であった。タイトルは、「健全な資本主義と献金の矛盾」、署名は(カトー)。その一部を引いてみよう。

 9月8日、経団連の榊原定征〈サカキバラ・サダユキ〉会長は記者会見で、企業献金への関与を再開し、献金増額を呼びかける方針を表明した。この決定は問題だ。第一に、企業献金は結局のところ追加のコストであり、株主と従業員と消費者にとって負担となる。
 第二に競争制限的である。経団連では献金のあっせんはしないとしているが、業界秩序にのっとって首位の会社から順に金額が決まるようなことになりかねない。第三に企業献金は政治をゆがめる恐れがあり、国民にとって負担になる。
 経団連は献金で政策を買うことはしないとしている。しかし、献金をしながら法人減税などの政策要望を出すわけだから、まさに献金で政策を買っているかのように誤解されかねない。【中略】
 しかも企業献金は法人減税の論理と矛盾する。このことは現時点で重大な意昧を持つ。世間では消費増税の一方で法人減税が行われるのは企業、それも大企業優遇だという不満の声が根強い。
 こうした議論が誤解に基づいていることは言うまでもない。そもそも経済学の観点では、法人税は二重課税である。法人税が課税された後の配当や給与所得にも課税されるのは、原則としておかしい。製品価格に転嫁されることで、法人税は消費者にとっても不利益をもたらしている。
 世界的に法人税が下がっていることは、単に国家が企業の誘致競争をしているという理由だけではない。課税べースを法人単位から個人単位に移し、法人税の二重課税の問題を解決しようという論理が働いている。企業献金は法人税と同じような性質を有している。どちらも企業の不要なコストであり、株主や従業員、消費者に不利益をもたらす。経団連が法人減税を唱えながら、企業献金を再開しようというのは矛盾である。【後略】

 ここでカトー氏が依拠している「法人税二重課税説」の当否については、判断を保留する。しかし、法人税減税を主張する経団連が、献金を再開するのは、コストを上昇させることであり、法人税減税の論理と矛盾するという批判は十分に鋭い。
 この批判が批判として有効なのは、「庶民の目から見て」といった安易な倫理を用いず、徹頭徹尾、経済の論理に立っているからである。さすがは、日本経済新聞である。拍手をおくりたいと思う。
 ただし、不満がないわけというわけではない。第一に、こうした重要な問題は、即座に、しかも堂々と「社説」で主張すべきである。
 第二に、「献金で政策を買っているかのように誤解されかねない」という表現が弱い。政策を金で買う以外、献金に、どういう「大義名分」があるというのか。
 第三に、法人税減税という政策自体が、「金で買われた」可能性について言及すべきであった。法人税を減税するので、その暁には献金を再開してくれという要請、あるいは、法人税を減税してくれるなら、献金を再開する旨の申入れが、どこかの時点でなされたと考えるのが自然ではないだろうか。ないものねだりを承知で、以上、三点を指摘してみた次第である。

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