◎西田幾多郎と時枝誠記
根来司著『時枝誠記 言語過程説』(明治書院、一九八五)から、「第十 国語学原論」を紹介している。本日は、その四回目。
さて西田〔幾多郎〕博士というとさきに述べた不朽の著作『善の研究』が思い浮かぶ。『善の研究』は日本人の手になったはじめての独創的な哲学者といわれ、西田哲学を学ぶ者には大切な書であった。ところで、西田博士の著述を見て気づくことは『善の研究』以外の著作はすべて論文集であるということである。ということは、西田博士はこの『善の研究』の他には数年をかけて一つの著述をなしたものはないということである。そういえばわが国の他の哲学者のものでもその独創的な息吹きの感じられるものが、短編の論文かせいぜい中編の論文であることが知れる。そういう意味でまた時枝〔誠記〕博士の『国語学原論』は西田博士の『善の研究』に比すことができるが、時枝博士という体系家の『国語学原論』は言語の本質とは何かが展開の主導音になって進められている。そしてこれは博士の想像を絶する強靭な思索力によるだけでなく、博士が反復し彫琢〈チョウタク〉したためであって、その結果首尾一貫した体裁の整った完成した著作の形になったのである。よく時枝博士の『国語学原論』は難解であるという。しかし、その強靭な思索を論理的に述べていく文章の間に時々魂の底からほとばしり出たかのような啓示的な文句が現れて全体の文章に光を投げかける。例をあげると各論第五章敬語論における「敬語は確かに国語研究に於ける一の迷路である。」のように。するといままで難解をかこっていた私たちは急に救われたような気がしてさきを読み続けていくことができるのである。
そこで時枝博士が言語過程説という独削的な言語学説をうち立て、それ以外の言語学説を一切引っくるめて言語構成説と呼んだ。それは言語過程説に対立しやがて対決を迫られている学説と断じられるのを、時枝博士の強い自信から来るもののように考える向きもあるが、このことについて一言しておきたいと思う。それにつけて思い起こすのは、作家野間宏氏の「哲学に求めるもの」(「図書」昭和四十二年十二月号)という文章である。野間氏は第三高等学校文科から京都大学仏文学科に進んだ人であるが、高等学校のおわり頃からデカルト、スピノザ、カント、ヘーゲル、マルクスから、西田幾多郎、田辺元両博士の書を耽読〈タンドク〉したという。氏はこの中でヘーゲルの『大論理学』第一版の序文にヘーゲルのカントに対する激しい批判があるのを引き合いに出されて、「このような限りなくきびしい批判を下して、別の体系の哲学を葬り去ろうとするのは、哲学が他の哲学の打倒そのものをその目標としているからではなく、あらゆるものの根拠を問いただし、物事をその根底からとらえようとするその学問の性格からくるのであって、その根拠とするところが、真でないとつきとめた他の哲学にたいしては、その根拠とするところを根元からほりくずして、そ のままそれが倒れるのを見るほかないというにすぎないといった方がよいだろう。」というふうにいわれている。すると時枝博士が橋本進吉博士の言語学説を激しく批判しそれを打ち崩そうとするのも同じ事情に属するといえるのではなかろうか。私は学問的生命を賭け橋本博士の学説さえも批判の対象としていく時枝博士の真剣な態度に哲学者のそれを観じるのである。
私はここで時枝博士がこのような言語学説を構築するためにどのように精進されたかをうかがわなければならないが、それには京城大学時代の上司であった高木市之助〈イチノスケ〉博士に「時枝さんの思出」(「国文学」昭和四十七年三月、臨時増刊)という一文がある。その中で高木博士は時枝博士が創設されたばかりの京城大学に招聘に応じて赴任されるいきさつを書かれ、高木博士が京城大学の国語学講座の教授を物色し東京に帰って橋本博士を訪問し意見を求めたところ、橋本博士は新卒の範囲でならといってただ一人若き日の時枝博士を推挙されて、そこで卒業論文の内容についても紹介し将来に大きく望みをかけられると保障されたといわれ、時技博士が京城において新しい学説言語過程説を構築していかれるさまを次のように述べられるのである。
《話がいささか閑話にそれた嫌いがあるが、さてそれでは時枝さん一人について、何よりも時枝国語学の大を生んだものは何かと問われるなら、それこそあの一つの問題に対する学問的生一本さで少しの浮気もなかったことを言いたい。橋本博士がその学的性格を異にしつつも、あえて私にその大成を見通して大学の席を推薦されたのもそれを見据えた眼力にあるのではなかろうか。時枝さんがあの独自の言語過程説を構築して行かれる姿勢は正に科学者的であった。毎朝大学の研究室に姿をあらわし、そこで昨日の続きを考え続け、夕方にはそこの戸閉まりをして帰ると今度はまたよき家庭の人となり或いは時によき酒席の人となり、そして翌朝はまた研究室の人となり昨日の続きを考えるに余念がない。それこそ科学者が或る実験的課題と取組んで毎日実験室の人となるのと酷似してはいないか。だから雑誌原稿などの場合でも多くの場合この生一本〈キイッポン〉さから脱線して浮気を起すのではなく、この生一本さの或る部分を切り取ってその部分をまとめているに過ぎないのである。もっと言えば、時枝さんの学問に対する操守みたいなものは、時枝さんの日常生活と別の範疇に属し、また大学教授などという職業意識などよりも遥かに高い次元に護られていたことが後から見て誠に尊く偲ばれてならないのである。》
これを読むと一つの問題に身をもってぶつかっていく時枝博士の真剣さがまざまざと感じられる。このように西田博士の学問と時枝博士の学問を照らし合わせる人はないけれども、合わせてみると両博士が学問に対してほぼ同様なことを、ほぼ同様な態度で考えていたことが明らかになるのである。【以下、次回】