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礫川全次のコラムと名言

礫川全次〈コイシカワ・ゼンジ〉のコラムと名言。コラムは、その時々に思いついたことなど。名言は、その日に見つけた名言など。

時枝誠記『国語学史』(1940)は卒業論文に返っている

2020-09-15 01:19:41 | コラムと名言

◎時枝誠記『国語学史』(1940)は卒業論文に返っている

 根来司『時枝誠記 言語過程説』(明治書院、一九八五)から、「Ⅱ」の第九「国語学史」を紹介している。本日は、その五回目。
《  》は、根来が、橋本進吉の文章を引用している箇所である。なお、引用箇所中にある図表は割愛した。

 ではこの説は学者の間で受け入れられたであろうか。その節時枝〔誠記〕博士の研学上の相談にのったという橋本進吉博士はどうであろう。近頃公刊された橋本博士の著作集『国語学史・国語特質論(講義集四・五)』(昭和五十八年)をひもといて、昭和三、四年度に橋本博士が講義されたところを見ても、まだ鈴木朖〈アキラ〉にまで至っていない。それで『国文法体系論(講義集二)』(昭和三十四年)を開いて、昭和五年度講義「用言及助動詞の研究」の第一章活用に関する研究の発達の鈴木朖の項を見ると、神宮文庫本を知っておられることがわかる。そこに、
《この朖の研究は、富士谷成章のよりは進歩したものであるが、しかし大体に於て之に似た点の多いところからして、朖は富士谷氏の影響を受け、その学説によつて、かやうに進んだ結果を得たといふ説も出るにいたつた。これは実際、あり得べき事であり、又、活用形の排列の順序も、『活用抄』では、四段は、五十音の順によつて 将然形〔未然形〕を先にし他の活用も将然か連用を先にしてあるのに、『断続譜』は終止形を先にした事、及び其他の活用形の順序などでも装図に似た点が少くないのを見ても、両者の間に関係があったかとおもはれるが、しかしまだ、たしかな事は言はれない。》
と述べていられるところから、橋本博士も時枝博士のそれにおおかた賛同しておられることが明らかである。このようにして時枝博士はやがて講座本『国語学史』〔一九三二〕の筆をとりついで単行本『国語学史』〔一九四〇〕を執筆されることになるのである。
 ではこの講座本『国語学史』と単行本『国語学史』とはどのように違うのであろうか。普通は後者は前者を単に補筆したものといわれているが、私は単行本は講座本とは異なってもう一度真っ向から国語意識の展開の跡をさぐったものであり、その意味ではむしろ卒業論文に返っていると考えるのである。それは時枝博士が晩年行われた連続講演「言語過程説の基礎にある諸問題(国語学の出発点において考えるべき問題)」(『講座日本語の文法別巻』昭和四十三年五月)で、私自身の卒業論文はまずわが国の古い国語研究を調べることから出発して、専ら国語意識の展開というところに焦点を合わせてやった。ところが、講座本『国語学史』を書く時には少し問題をずらして、明治以前の国語研究というものがどういう地盤であるいはどういう要求のもとに成立したかという、むしろ国語研究を支えている外界のものを主に取り上げた。だから、たとえば元禄以前の研究で、古典の研究とか歌学ならびに連歌の作法とか漢字漢語の学習ならびに悉曇学〈シッタンガク〉という、国語研究を成立させた地盤のようなものを主にした。それから単行本『国語学史』はもう一度卒業論文のところにもどして、卒業論文の主題が言語意識であったから中心を言語意識というものに置いて書いたといわれているので確かである。【以下、次回】

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