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礫川全次のコラムと名言

礫川全次〈コイシカワ・ゼンジ〉のコラムと名言。コラムは、その時々に思いついたことなど。名言は、その日に見つけた名言など。

『国語学原論』に対する中村通夫の書評(1942年4月)

2020-09-19 00:52:24 | コラムと名言

◎『国語学原論』に対する中村通夫の書評(1942年4月)

 根来司著『時枝誠記 言語過程説』(明治書院、一九八五)の紹介に戻る。
 本日以降は、「第十 国語学原論」を紹介してみたい。

  第十 国 語 学 原 論
     一
『時枝誠記研究』もいよいよ時枝誠記〈トキエダ・モトキ〉博士の『国語学原論』(昭和十六年)について書く段階になった。この『国語学原論』の書き方によって『時枝誠記研究』は興深いものにもなろうし興浅いものにもなろう。ではどう書くか。いささか突飛であるが、刊行当時から伝記文学の傑作と評された『岩波茂雄伝』(昭和三十二年)をひもとくと、著者安倍能成〈ヨシシゲ〉氏はその第二篇岩波書店第二章出版事業六太平洋戦争中及び降服後の項に、昭和十六、十七年の交のことを、「かかる時勢の中にも、岩波書店の好況は統いたばかりでなく、頂上に達する姿を呈した。」と述べ、単行本の中では「日本文化に関係したものでも、澤瀉久孝〈オモダカ・ヒサタカ〉の『万葉の作品と時代』、池田亀鑑〈キカン〉の専門的な『古典の批判的処置に関する研究』、時枝誠記の『国語学原論』『国語学史』の外に、云々」と時枝博士『国語学史』『国語学原論』などが多く出たことが記されている。思えば京城から東京に移った時枝博士は、戦いの日が続き『国語学原論』も評価されるいとまはなかったが、こうした中でなお学問に励しまれた〈イソシマレタ〉。そこで次に中村通夫〈ミチオ〉氏が「文学」昭和十七年〔一九四二〕四月号に書かれた、『国語学原論――言語過程説の成立とその展開――』の新刊紹介を引いてみよう。この新刊紹介を読むと『国語学原論』のおおよそがたちどころにわかるからである。
《明治維新前の、国学の根底としての国語研究が、一つの自律的な学問としての今日の国語学に到達するためには、西洋言語学の理論と方法とに導かれるところが多かつたことは言ふまでもないが、同時にその余弊として言語学は国語学に対して指導原理を与へるものであり、国語学は与へられた指導原理を金科玉条として遵奉し、これに追随し、これを規準として対象を処理すべきものであるかの如く考へようとするものも亦少なしとしなかつた。著者は、まづ、かかる一部の風潮に対して、国語学とは日本語の言語学であつて、「国語学の究極の課題は、国語の特殊相を通して、その背後に潜む言語の本質を把握しようとするのであるから、言語の本質の探求は、又国語学の結論ともなるべきものである」との見解を明らかにしてゐるが、本書はかかる立場にたつ著者が、多年に亘る国語学史研究から国語研究史上にあらはれた先人の言語観を探り、併せて国語の実証的研究に基づいて言語理論に対する反省を重ねた結果到達した、いはば、国語学の究極的課題に対する著者の答案ともいふべきものであつて、その言語本質観は言語過程説と命名せられ、言語の本質を一つの心的過程と見ようとするもので、「それは構成主義的言語本質観或は言語実体観に対立するものであり、言語を、専ら言語主体がその心的内容を外部に表現する過程と、その形成に於いて把握しようとするものである」。本書はその副題が示すやうに右の言語過程説の成立(総論)とその展開としての国語学の体系的組織(各論)とについて述べたものであつて、総論は言語研究の態度以下十二項、各論は音声論・文字論・文法論・意味論・敬語論・国語美論の六章からなってゐる。その所説のあるものは既に数回に亘つて本誌〔雑誌『文学』〕に掲載せられ、読者にとつて未知のものではないが、それらの論考も巧みに編輯添減せられ本論中に吸収せられてゐる。
 さて、右の如き言語の本質観の開陳についで、著者は、従来の言語に対する立場のうちに観察的立場と主体的立場とのあることを指摘し、言語研究に於いては主体的立場を前提とすることの必要である所以を述べ、進んで、 主体(話手)・場面(聴手及びその他を含めて)及び素材は言語の内部的構成要素ではなくして、言語の存在条件であり、言語の外にあるものであると考へることによつて、従来の言語学説と全く裾〔ママ〕をわかち、そこから独自の方法論への道を拓き、各論へと展開してゆくのである。
 著者は、本書に於いて、自己の言語過程説の解説と並行して、現今の国語学界に多くの影響を与へつつあるソシュール及びその流派の言語学説に対して機会あるごとに批判を与へようと企図してゐるため、その対立の甚だしい点については特に詳細な論述が見える。例へば、ソシュールの「言【パロル】」と「言語【ラング】」との区別については、それが根本的な見解の相違であるだけに、随所に批判の矢がむけられ、「言語【ラング】」の概念が自然科学的偏見からうまれたものである所以が縷々解説されてゐる。又トルべッコイ以来音声学上の中心的な問題となつてゐる音声と音韻との区別についても、両者の別を発音行為の生理的段階と意識的段階との段階的区別であると考へることによつて、この両概念の対立を止揚し、音声研究はこの両方面を包含すべきで、特にこの二者を区別すべきではないとしてゐる。なほ、音声論に於いて、場面としてのリズムを重視することによつて、リズムの特殊性(等時的拍音形式)から国語の音節の特殊性を説明し、「外国語が国語の文脈に於いて発音される時、リズム形式の相違によつて制約されて、異つた音節のものとなるのは当然である」と述べてゐる如き、或は文法論に於いて辞と詞との相違を風呂敷とその内容とに譬へ〈タトエ〉、辞と詞との表すものは異つた次元に属するものと考へ、辞は「客体界に対する言語主体の総括機能の表現」であるが、印欧語に於けるそれが、天秤型統一形式であるに対し、国語のそれは風呂敷型統一形式と呼ばるべきものであるとし、又国語の単語排列形式を入子【いれこ】型構造形式に比した如き、更にその上にたつて、辞と接尾語との相違を考へ、文の成立にとつて主語述語の存在が不可欠の条件ではない所以を明らかにしてゐる如き、その独自の立場から学界の宿題に対して与へられた解答は少なからぬものがあるのである。以上はその内容の一端を心に浮かぶがままに羅列したに過ぎないのであるが、その瞥見〈ベッケン〉からも容易に知られるやうに、本書が国語学界・言語学界に対して投じた一石の波紋は、大きくそして誠にひろいのであつて、その所説の一々の検討は今後の学界を賑はすであらうことは疑ひがない。筆者はここでは筆を紹介にとどめて、雑魚〈ザコ〉のととさばきに類することは一切避けることとしたい。行文は例によつて極めて平明であつて、衒学臭や直訳文的晦渋〈カイジュウ〉さがなく、表記法に於いても概して慣用よりも仮名を多く送つてゐて、苦心のあとが察せられるが、なほ、起こつて―起つて、起こり―起り、必しも―必ずしもの如き表記が混じてゐるのは動詞の終止形にですを接続させた例のいくつかと共に白玉の微瑕〈ハクギョクノビカ〉として惜しまれる点であらう。
 近時国家的自覚の昂揚に伴なひ、日本語の海外進出に促されて、国語学界が活潑な動きを見せてゐることは、誠に喜ぶべきことではあるが、ややもすれば当面の事態に処するに急にして、常識論に終始し、かへつて基礎的・学術的研究の低下乃至減少が憂慮せられてゐるとき、かかる著実〈チャクジツ〉な国語の理論的業績が公にされたことは時宜に適した企〈クワダテ〉といふべく旱天〈カンテン〉に慈雨を得た思ひがある。とまれ、本書は近年に於ける国語学上の最も注目すべき業績の一つとして、国語学徒・言語学徒はもとより、国語に関心をもつものの熟読玩味すべき珠玉の文字と称することができよう。〔中村通夫〕(A5判、五五〇頁、定価四円二十銭、岩波書店発行)》
 この『国語学原論』が太平洋戟争の勃発した昭和十六年〔一九四一〕十二月に刊行されたために、この書の書評、新刊紹介はなかつたようで私の知るのもこれだけである。それで全文を引いてみた。【以下、次回】

 文中、「裾をわかち」とあるのは、「袂をわかち」の誤植であろう。『文学』昭和十七年四月号における表記がどうなっているかは、まだ確認していない。

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