礫川全次のコラムと名言

礫川全次〈コイシカワ・ゼンジ〉のコラムと名言。コラムは、その時々に思いついたことなど。名言は、その日に見つけた名言など。

桃井銀平「西原学説と教師の抗命義務」その5

2018-08-06 18:17:48 | コラムと名言

◎桃井銀平「西原学説と教師の抗命義務」その5

 桃井銀平さんの論文「日の丸・君が代裁判の現在によせて(2) <ピアノ裁判>と抗命義務 (承前)」を紹介している。本日は、その五回目。

(5)<国民の教育権>説批判

 教育についての西原の法律学的主張の基礎にはいわゆる<国民の教育権>説に対する激しい批判がある。『良心の自由 増補版』にはそれは記されていないが、多くの論文で言及されているテーマである。ここでは、よくまとまっていると思われる前出2006年の著作『良心の自由と子どもたち〔35〕』から引用する(下線は引用者)。

「 国民の教育権説の理論構造
 国民の教育権説は、多くの論者が参加して組み立てた理論の集合体である。ここでは、最も理論的な完成度の高い堀尾輝久の一九六〇年代後半の立論(『現代教育の思想と構造』岩波書店、一九七一年)などを一つのモデルと考えながら、国民の教育権説の特徴を探っていこう。
 ①出発点に置かれるのは、子どもの権利であり、それも、教育を受けることが子どもの義務でないことを意識した、子どもの主体的な権利である。その子どもの権利は〝学習権″と呼ばれ、主体的に自分の知りたいことを学び、発達していけるよう社会が支援することを求める。
 ②ところが国民の教育権説は、最初から子どもの学習権を子ども自身が自力で充足できない権利だと決めつけてしまう。そこから、子どもの学習権を保障するのは第一に親の責任だとされるが、親もまた、自分なりの教育を施すことが認められるわけではない。親の教育権という名前の下で親に委ねられるのは、子どもにとって最善の利益となる教育を確保する責任である。そこから親の教育権は、最適な学習機会の提供を求める子どもの権利によって内容の決まったもの、と理解される。結果として、子どもの発達の目標となる人格理念が親によって決定される、というポイントは、国民の教育権説の中では重視されない
 ③子どもが学校に通う時期になると、この親の権利は教師に「信託」される。親の権利が子どもの学習権を充足するためにすべての子どもとの関係で同じ方法で具体化されるべきものだったわけだから、この信託を成り立たせるためには、親たちの意思統一の作業も必要なければ、信託が個別に明示される必要もない。教師の専門性こそが信託の基礎である。その専門性を踏まえて、教師集団が研鑽を積みながら教育内容を形造り、子どもの学習権に最も適合した「真理」の伝達を行う、という想定である。このように、子どもに伝達すべき内容は、学問研究や教育実践を背後に置いた教師集団の研鑽を通じて確定されることになる。〔36〕」
 以上のように西原は、<国民の教育権>説の特徴の一つを、親の権利を実質的に弱いものとしこれに対し教師の権限を広く認める点にを見いだしている。そこでは教師はアプリオリに生徒・親の側に経つものと前提されていて国家権力の末端としての教師の権力性は認められていないので、子どもに対する教師の人権侵害を防ぐことができないという〔37〕。また、教育内容については教師が強大な権限を有するものであって、それに対して国の関与は「外的教育事務」に限定される。以下、この点について引用する(下線は引用者)。
「④それに対して、「国家」―ここでは国会や、文部(科学)省・教育委員会・校長といった学校行政官庁を指す―には、教育内容に立ち入ることは許されない。国家の正統性を基礎づける多数決は、真理を歪めこそすれ正しく映し出すことはあり得ず、多数決に基づいた教育内容決定は子どもたちの発達を妨害する。これは、政権交代があるたびに教育内容がひっくり返るような体制が子どもたちにとって有害であることを考えれば自明だとされる。その結果、「国家」は教育内容に関わる″内的学校事務″の権限を一切有しておらず、単に学校建設や教員配置などの″外的学校事務″の責任を負うに過ぎない。教育内容に対する「国家」=学校行政官庁の介入はすべて教育基本法一〇条が禁止する、教育に対する「不当な支配」に該当する、とされる。―かなり単純化したが、以上が堀尾型アプローチの骨組みである。〔38〕」
 西原が、堀尾学説をどこまで正確に要約できているかについてはここでは検討できないが、このような<国民の教育権>説を、西原は1950年代のいわゆる<逆コース>の時代に強く結びつけて、いわば<状況的>な学説だと認識していることは、西原学説の基本性格に関わって重要なことである。すなわち、このような<国民の教育権>説は、1950年代後半に「特定の国家意識に向けて子どもを誘導しようとする意図を明らかに含み込みながら、教育内容の中央統制が実現されていった」時期には「それなりの説得力が認められるだろう」が「しかし、教育を取り巻く環境は、それ以降大きく変わってきた。特に一九六〇年代以降、高学歴化が進行し、高校受験、そして大学受験が子どもたちの勉学意欲を規定するようになると、全国一律の基準が存在することへの社会の反発も弱まる。その他さまざまな変化の中で、国民の教育権説の理論的な完成度が試されることになる。」と西原は記している。〔39〕しかし、国家に対抗して教師(教師集団)に教育内容に関する大幅な裁量権がゆだねられるというのは、そもそもが戦後教育改革でうち立てられた原則の一つであったはずではないか〔40〕。<国民の教育権>説を国家と日教組の単なる<権力闘争の所産>であるかのごとき評価は的外れであって、かえって公教育における教師(教師集団)の専門性を適確に位置づけることを困難にしている。〔41〕【以下、次回】

注〔35〕p74-76。『自律と保護―憲法上の人権保障が意味するものをめぐって―』(成文堂 2009年)所収の「「社会権」理論の50年における「抽象的権利説」的思考の功罪」(初出は1997年)にもまとまった展開がある。
注〔36〕前出『良心の自由と子どもたち』p74-76
注〔37〕「教師と子どもの関係は、最初から非権力的なものだと定義されている。そのため、子ども・親にとって、教師は定義必然的に常に自らの利益を実現してくれる味方、それに対して「国家」はともすると子どもの成長・発達をねじ曲げようとする悪意を持つ存在と位置づけられている。こうした構図の中では、教師の持つ権力に対して子ども・親が自らの権利に基づいて異議申し立てを行う可能性は、最初から排除されていた。」(同上p78-79)
注〔38〕同上p76
注〔39〕同上p76-78
少し後の文章だが、<国民の教育権>説を教職員組合の理論武装の「お先棒を担ぐ」とまで言いきっているものもある。
(2011年に出された国旗国歌関連の一連の最高裁判決における反対意見・補足意見を評価して)「教師集団の自治的決定の前に行政的統制が排除されるかのような教職員団体側の理論武装―そして、教育法学主流が「国民の教育権論」という理論装置を提供してお先棒を担いできた動き―に対して仮面剥奪を行い」(「君が代訴訟の最高裁判決をめぐって」『季刊教育法No.170』(20011.9)p14)
注〔40〕この点については、中川律の諸論文が説得的な論証を行っている。
注〔41〕ここでは、深入りしないが、以上の西原の所論について、他にもいくつか疑問点がある。
1)<国民の教育権>説を堀尾輝久『現代教育の思想と構造』(1971)に代表させているが、なぜ兼子仁『教育法〔新版〕』(1978)ではないのか。兼子の著作は法律学説としての<国民の教育権>説を体系的に完成させたものである。2)<国民の教育権>説による公教育が「「平和意識」や「民主主義の精神」などという原理」を掲げたことは批判すべきことなのか(前出『良心の自由と子どもたち』p81)。これは西原も認める憲法価値の教育であって、学校の信条的中立性の例外に属するのではないか。

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