礫川全次のコラムと名言

礫川全次〈コイシカワ・ゼンジ〉のコラムと名言。コラムは、その時々に思いついたことなど。名言は、その日に見つけた名言など。

桃井銀平「西原鑑定意見書と最高裁判決西原論評」その7

2018-08-21 03:13:27 | コラムと名言

◎桃井銀平「西原鑑定意見書と最高裁判決西原論評」その7

 桃井銀平さんの論文「日の丸・君が代裁判の現在によせて(2) <ピアノ裁判>と抗命義務 (承前)」のうち、「3,<ピアノ裁判>における西原学説―鑑定意見書と最高裁判決論評」を紹介している。本日は、その七回目(最後)。
 西原博史さん(一九五八~二〇一八)の「ピアノ裁判」における鑑定意見書を、ここまで詳細に検討し、その教育法学説の限界を、こういう形で指摘した論評は、まだなかったはずである。これを読まれての、ご感想・コメントなどを期待したい。

③ 藤田宙靖反対意見に対して
 藤田宙靖裁判官の反対意見を西原は高く評価している。長くなるが、以下がその全文である(下線は引用者)。
「 結局、最高裁において法に込められた良心を示すことができたのは、藤田裁判官の反対意見だった。この反対意見は、現時点では一反対意見に過ぎないが、思想・良心の自由のあるべき適用のあり方を判例の中で指し示し、将来の多数意見を作る基盤として、永く日本憲法学の記憶に留められるだろう。
 この反対意見は、上告人の信条の中に「君が代」強制に反対する要素を認め、そこからピアノ伴奏という形で斉唱に協力することが当人の信条・信念に対する直接的抑圧になる点を認識する。特定の外部的行為を強制することが思想・良心に対する「直接的抑圧」となる構造を描き出すもので、単なる精神的苦痛論に留まらない、思想・良心の自由の侵害構造に関する深い洞察である
 もちろん、外部的行為に関わる以上、憲法一九条に関わる主張でも一定の制約に服さぎるを得ない。ただ、藤田裁判官反対意見は、「直接的抑圧」を正当化するだけの根拠を問うため、その認定はある程度厳密になる。
 具体的に制約可能性を検証するために藤田裁判官が打ち出した、公共性を階層化する手法は高い有用性を持つ。本件における公共の利益は、「究極目的」としての「子供の教育をうける権利の達成」に始まって、学習指導要領で具体化された入学式における「君が代」斉唱という「中間目的」を経、それを実現するための「秩序・規律」や校長の指揮権確保という「具体的目的」を媒介にして、ようやく職務命令にたどり着く。
 藤田裁判官は、中間目的が是認できるという仮定を暫定的に踏まえながら、受命者の思想・良心を侵害してでも職務命令を貫徹すべき「他者をもって代えることのできない職務の中枢」としての意義が具体的目的レヴエルで存在するかどうかを問い、その点における公共性の有無を判断するために事件を原審に差し戻すべきだと断じた
 思想・良心の自由に対する制約を検証する手法として優れた理論枠組である。〔70〕」
 藤田反対意見に高い意義を認めるという限りでは、妥当な評価である。しかし、西原は藤田の言う趣旨を十分に把握できたとは言い難い。藤田は、あくまでも<個人の思想・良心>の問題として扱っており、西原の<抗命義務説>的取扱とは大きなずれがある。また、多数意見への論評の註記で触れたが、藤田はピアノ伴奏固有の問題として所論を展開しているが、西原は、「斉唱への参加とピアノ伴奏の実行は、国歌に伴う具体的な行為という点で共通しており、特に区別して扱う必要はない」(前出第一審鑑定意見書〔71〕)という立場を変えてはいない。さらに、藤田自身、原告の思想・良心の全体構造をここで提示できたと言っているのではなく、「本来問題とされるべき上告人の「思想及び良心」とは正確にどのような内容のものであるのかについて,更に詳細な検討を加える必要があり」(下の引用を参照のこと)としているのである。藤田は、この点も原審に差し戻すべき理由としているのである〔72〕。
 藤田が「中間目的」実現のための「具体的な目的」として、「①「入学式進行における秩序・紀律」及び②「校長の指揮権の確保」」を設定したことは、問題となった職務命令の本質認識としては鋭いものであるが、藤田はそれに対する評価を明らかにはしていない。国旗国家儀礼実施のための「①「入学式進行における秩序・紀律」及び②「校長の指揮権の確保」」という目的連関自体の是非は議論すべき本質的テーマである。藤田礼賛で看過して良いものではない。〔73〕

④ まとめ
 <ピアノ裁判>に深く関わった西原博史が、最終的な敗訴に大きな打撃を受けたことは想像に難くない。ここで対象としている「「君が代」伴奏拒否訴訟最高裁判決批判」の半分近くの分量が半年以上前のいわゆる<予防訴訟>(国歌斉唱義務不存在確認等請求訴訟)東京地裁判決(原告勝訴)に対する激しい批判(実際は原告側に対する批判)で占められていたという異例な構成でそれがよくわかる。10年以上も経過したいまの時点で、自由な立場から、西原の反応を検討すると、重要な諸点が西原の視野からは外れていることがわかる。それは、法廷意見が原告側が思想・良心の構造的提示において不十分であった点を衝いたこと、那須弘平補足意見は教師の思想・良心の自由制約を問題の全構造の中に正しく位置づけていること、藤田宙靖反対意見がピアノ伴奏と起立斉唱を区別した上でピアノ伴奏拒否独自の思想・良心構造解明の糸口を切り開いたこと、である。心情的にはやむを得ぬことと了解できる余地は十分にある。これらの諸点を本格的に検討することは、むしろ後続する者の課題である。

4,結びに代えて
 以上、ピアノ裁判の原告の思想・良心を原告自身の陳述から再構成した上で、原告側の弁論に大きな影響を与えた西原博史の学説を紹介し、さらに西原学説の<ピアノ裁判>への関わりを検討してきた。学校現場の苦しい状況の中で国家と対峙している良心的な教師たちに対して、西原学説が心情的に訴え励ましとなったことには十分に理由があると言えよう。しかし、教師個人の思想・良心の自由の意義を低く評価する西原学説には、国旗国歌裁判に取り組む上では、必ずしも焦点を衝いたものとはいいにくいものがある。教師にとって国家・行政の教育政策に異を唱えることがますます困難となるなかで、西原学説は、強いられた沈黙を弁明する言説にもなり得る要素を持っている。比較的新しい論文には、これまでの私による評価に修正を迫るような今後の展開の可能性も感じさせる部分もある〔74〕。不慮の事故で死去した高名な学者の業績に対して、私の論評が意味のあるものとなったかどうかは自信はない。消えゆく意識の中で、彼の脳裏に去来したものがあったとすれば、それは何であったであろうか。西原自身にとって、五十代での事故死は深い憤りをもって迎えざるを得ないものであったであろう。後知恵的な批判だという非難は甘んじて受けるつもりであるが、私の作業が<バトンを引き継ぐ>一つのあり方となることを願っている。                    以上

注〔70〕同上『世界』2007年5月p142-143
注〔71〕この点は、この論説の4年後でもかわってない(本章(3)③)。
注〔72〕差し戻しの理由を述べた部分を以下に引用しておく。
「本件において本来問題とされるべき上告人の「思想及び良心」とは正確にどのような内容のものであるのかについて,更に詳細な検討を加える必要があり,また,そうして確定された内容の「思想及び良心」の自由とその制約要因としての公共の福祉ないし公共の利益との間での考量については,本件事案の内容に即した,より詳細かつ具体的な検討がなされるべきである。このような作業を行ない,その結果を踏まえて上告人に対する戒告処分の適法性につき改めて検討させるべく,原判決を破棄し,本件を原審に差し戻す必要があるものと考える。」(藤田宙靖反対意見「3」より)
注〔73〕西原は、「改正教育基本法下の子どもと親と教師の権利」(『ジュリスト』2007.7)でも部分的に同年2月のピアノ裁判最高裁判決に言及している(下線は引用者)。これは2006年12月の改正教育基本法成立を受けた論文である。
「2007年2月27日のピアノ伴奏拒否訴訟の最高裁判決(裁時1430号4項)では、同様の〔学テ判決で認められたものと同様の-引用者付記〕子どもに対する教化に参加させられない権利が憲法19条と結びつけられた。職務命令など教師に対する直接の指揮権行使があった場合の、子どもの教育を受ける機会の実現という究極目的を意識した必要性認定の方法は、同判決の藤田宙靖裁判官反対意見が適切に論じている。」(p46)
 しかし、「子どもに対する教化に参加させられない権利」はピアノ判決法廷意見では明確にされていない。不正確である。藤田反対意見は<荷担できない>という原告Fの信条をあくまでも憲法19条の保護の対象-個人としての思想・良心-に含まれるものとして取り上げている。藤田反対意見は職務権限としての<教師の教育の自由>ではなく<個人としての(必ずしも「教師としての」と対立するものではない)思想・良心の自由>を「子どもの教育を受ける機会の実現という究極目的」の見地から見た場合の職務命令の「必要性認定」に対比させているのである。
注〔74〕たとえば「教師の<教育の自由>と子どもの思想・良心の自由」(広田照幸編『自由への問い5 教育』(岩波書店2009))における、学校についての権力分有論的アプローチ、「親の教育権と子どもの権利保障」(日本教育学会編『教育法の現代的争点』法律文化社2014)における親の教育権の多面的検討、などである。

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