礫川全次のコラムと名言

礫川全次〈コイシカワ・ゼンジ〉のコラムと名言。コラムは、その時々に思いついたことなど。名言は、その日に見つけた名言など。

桃井銀平「西原学説と教師の抗命義務」その2

2018-08-02 03:22:21 | コラムと名言

◎桃井銀平「西原学説と教師の抗命義務」その2

 桃井銀平さんの論文「日の丸・君が代裁判の現在によせて(2) <ピアノ裁判>と抗命義務 (承前)」を紹介している。本日は、その二回目。

(2) <良心の自由>の焦点化

 西原によれば、日本国憲法第19条の解釈においては、長らく、「治安維持法の悪夢に規定され、思想・良心の自由は国家による思想弾圧を排除するものだという位置づけが前面に立ち、1人ひとりの個人が生きていく上での自律を支える規範複合に対する尊重を意味する、という視点が封じ込められてきた〔6〕」。思想・良心の自由における外部行為の問題が本格的に論じられるようになった画期が、学校儀式における日の丸・君が代問題であったことを考えると、西原がその研究生活の早期から良心の自由を独立して問題としてきたことの意義は大きい。ドイツのおける研究と判例から導出した良心の定義は以下である(下線は引用者)。
「良心とは、相対的に一貫した人格的アイデンティティーを維持するために、そのアイデンティティーが危険にさらされ得る具体的状況において特定の行為(作為不作為)を主観的拘束的な規範として命令する内面的監視機関で、認知的要素と影響的要素をその特色とするものと言える。〔7〕」(「認知的要素」とは「内面化された自分自身の主観的な道徳的価値体系との結び付き」、「影響的要素」とは「行為前の拘束感と、良心から逸脱する行為後の人格を侵害・破壊し、場合によっては当該個人を死に追いやることも可能な罪悪感、後悔等の不快な感情」〔8〕)
 彼のいう良心の自由とは、行為との連関を本質的な属性とするもので個人のアイデンテイテイの維持にとって不可分なものである。日本国憲法第19条の「良心」独自の意義が遅まきながら明確にされたといってよい。しかし、これのみだと日本では裁判上は<単なる強固な思い込み>として処理される可能性をもつものである。ドイツにおける良心的兵役拒否の場合は、その基礎にキリスト教倫理が存在することが共通の理解となっているはずだ。心理学的・社会学的定義ならいざ知らず、これのみでは、手続き的に合法的に決められた法令に対して法廷において対抗するには十分とはいえない。日本の場合、強度の倫理性を持つ宗教の信仰者は少ない。体系的なテキストとして提示できるかどうかは別として行為の是非の判断の基礎となる信仰、人生観・世界観・歴史観との結びつきの論証が裁判においては不可欠になる。西原の場合、その点の積極的な展開は見られない〔9〕。
 一方西原は、良心形成の自由を良心の自由に含まれるものとして重視する。良心の自由には良心形成の自由も含まれるのがドイツでも日本でも憲法学の常識であるという。下記に『良心の自由 増補版』でそれを総括的に述べた文章を引用する(下線は引用者)。
「 この良心の自由の一内容として、良心形成の自由が唱えられる。良心が自由であるには、良心が個人の人格形成過程で自由に確立される必要がある。国家権力が良心形成の過程に直接作用し、為政者の意向に沿った良心を個人に植え付けることが許されるなら、憲法による良心の自由の保障は画餅に帰すであろう。そのため、我が国の憲法一九条についても、ドイツ基本法四条の良心の自由(Gewissensfreiheit)に関しても、良心形成の自由が一内容と認められることは憲法学の常識である。そしてこの良心形成の自由は、個人の内面のみに関わり、他の法益と抵触する可能性がないとの理由により、絶対的に保障されると説かれるのが普通である。〔10〕」
 しかし、実は、公教育のあり方には思想・良心の形成の自由との関連で、憲法学上問題にすべき数々の論点が潜んでいるという。すなわち
個人の良心の自由・良心形成の自由を前提にした場合、国民の教育を受ける権利の実現としての意義を持つ公教育はどう評価されるべきか、公教育が個人の良心の自由と一致するための条件はあるのか、どのような教育制度が憲法の禁じる個人の良心の自由に対する侵害と考えざるを得ないのか、などの点である。為政者が国民への思想統制を企てるなら公立学校で柔軟な人格形成期の子どもに直接自分に都合のいいイデオロギーを吹き込むのが最も効率的な方法で、そのことを我が国の戦前の経験が証明しているため、公教育と良心の自由の緊張関係を意識した諸問題は、憲法学には避けて通れないはずのものである。〔11〕」(下線は引用者)【以下、次回】

注〔6〕「思想・良心の自由を今、考える」p117(『ジュリスト』2010.3)
注〔7〕前出『良心の自由 増補版』p53
注〔8〕同上p48-49
注〔9〕西原が大阪県立高校教諭の不起立についての懲戒処分を争う裁判の控訴審で提出した鑑定意見書では、「行為が義務づけられた場合に内面的判断機関としての思想・良心」という言い方によって、『良心の自由 増補版』の<良心>の概念規定を<思想・良心>に拡張している(4-(2))。この鑑定意見書該当部分で彼が自ら援用している同書p78は、あくまでも<思想>と区別した<良心>の問題を扱っている。(2017.2.10「減給取消裁判控訴審鑑定意見書」https://blog.goo.ne.jp/tnet0924/e/20bc98c1fdce0e4781568bb22aae13c2)。
注〔10〕前出『良心の自由 増補版』p111
注〔11〕同上p112

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