◎新羅(シラキ)における「キ」の意味について
福田芳之助著『新羅史』(若林春和堂、一九一三)の紹介を続ける。本日は、同書の第一期「創業時代」の第二章「徐羅伐の六村」のうち、「七 新羅の国号に就て」のところを紹介してみたい。
七 新 羅 の 国 号 に 就 て
新羅の称は、一都市の名の、遂に変じて国名と為れるものにて、即ち王城の義なること、前に述べたれば、此〈ココ〉には之を「シラギ」と訓ずるに就いて述ぶべし。新羅また斯盧或は新盧、薛羅、とも記す、何れも「シロ」或は「シラ」の発音なり、而るに本邦にては、出雲風土記の志羅紀、姓氏録の新良貴を始め、一般に「シラギ」と訓めり〈ヨメリ〉。但し日本紀の傍訓によるも、上代は「ギ」を清音にて云ひたるらし、斯る〈カカル〉例は他にも甚だ多し。
さて「キ」は如何なる意義なるかといふに、従来二説あり。第一説は、「キ」は「クニ」の約なりとあれども、百済高麗を「クタラキ」「コマキ」といひたる例もなければ、新羅をのみ斯く〈カク〉云はんは如何にとの不審もありて、此説は左程〈サホド〉信用せらるゝに至らず。第二説は、「キ」は城【キ】にして即ち新羅城【シラキ】なりとあり、之を細別すれば更に二と為る、一は徐羅伐〈ソラホル〉の伐は、韓語城邑の義なるを以て、之を日本語に訳して、新羅城【シラキ】と云ふといひ、一は半島の古音にも、城を「キ」と訓すと云ふなり、思ふに此両説亦必ずしも然らざるが如し。
半島の古地名に、熊只県、多斯只県、闕支郡、伊伐支見、青巳県、伐音支県等、「キ」を附するもの枚挙に遑〈イトマ〉あらず。また狗盧【コロ】県を古禄只【コロキ】県、蘇離【ソリ】国を所力只【ソリキ】県、官阿良支停を北阿良停、熊只県を熊神県とも云ひて、同一の地名に、「キ」を或は附し或は附せざることあれば、第二説の乙案は、一応尤なる説の如くなれども、語尾に「キ」音を附着し、或は省略する例は、単に地名には限らず、人名にも、爵名にも、物名にも存するなり。例を挙げて之を云はんに、垂仁紀に大加羅国の王子に勅勑し御間城【ミマキ】天皇の御名を取りて爾〈ナンジ〉が国の名と為せよとあり、去れば国名を「ミマキ」とこそ呼ぶべく思はるゝに、「キ」を略して「ミマナ」と呼べり。次に応神紀に、辰韓より帰化したる秦氏の祖弓月【ユツキ】君とあるを、姓氏録には融通【ユツ】王とも記し、同じく応神紀に、百済の王子阿直支【アジキ】とあるを、古事記には阿知吉師【アチキシ】(吉師は敬称にして名に非ず)とも見えたり。又神功紀に、微叱己知波珍干岐【ミシコチハトリカムキ】、卓淳王未錦旱岐【マキムカムキ】の名あり、波珍干岐は爵名、旱岐は敬称にして、南史新羅伝にも、其官子賁旱岐、壱旱岐、齊旱岐、謁旱岐、壱吉旱岐、奇貝旱岐とあれども、韓史には、波珍干岐を波珍干、子賁旱岐を舒弗邯、壱旱岐を伊尺干、齊旱岐を迊干、謁旱岐を阿干、壱吉旱岐を一吉干、奇貝旱岐を及伏干と記し、すべて岐を省略せり。更に現代語に徴すれば、月を「タル」、唾【ツバキ】を「チユム」と云ふ如く、国語には、「キ」の尾音を附するものも、朝鮮語にては、他音に代へ、また鶏を「タルキー」、雁を「キーローキー」、鳩を「ピーダルキー」など、反対に「キ」を附する例もあり。次に本邦のみの例を挙ぐれば、出雲風土記に、素戔嗚尊を熊野加武呂命(神祖の義)と云ひ、出雲国造神賀詞には、伊奈伎の日真名子、加夫呂岐熊野大神とありて、加武呂加夫呂岐同一の語なるを知るべく、また泥の古語を、「ウ」とも「ウキ」とも云へる事見ゆ。地名にては奈良を寧楽とも記すれども、同時代の紫香楽宮は、「シガラキ」と訓みて同じ楽字を充つる〈アツル〉に係はらず、一は「キ」を附し一は附せず、相楽を「サガラ」とも「サガラク」とも云ひ、邑楽を「オホラ」とも「オホラギ」と本云ふ皆是〈コノ〉類なり。
是等の例によれば、「キ」は何等の意義を有せざる一種の余音にして、彼我〈ヒガ〉共に或は附し或は附せざることあれども、言語の性質に、何等の加功を為すものにあらず、唯半島にては多く之を打消さんとし、本邦にては務めて之を言ひ表はさんとする傾〈カタムキ〉あるのみ。去れば新羅を「シラキ」と訓するも、亦之に外ならずして、国或は城の義に非ざること、自ら明白なるべし。
序に云はんに、地理志に、闕城郡本闕支郡、景徳王改名、今江城県、「潔城郡本百済結巳郡、景徳王改名、今因之」、悦城郡本百済悦巳県、景徳王改名、今定山県等あり。是れ「キ」を城と解する一の論拠ならんなれども、此は支或は巳を訳して城と為したるにはあらず、「キ」は即ち有るも無きも差支〈サシツカエ〉なき余音にして、闕支は闕、結巳は結、悦巳は悦の一字に等しきものなり。而るに景徳王時代には、新羅の制度文物大に整ひ、地名の如きも、成るべく従来の土音を廃して、雅馴〈ガジュン〉なる漢風に改めんとするに至り、闕或は悦の一字にては甚だ妙〈タエ〉ならず、遂に何れの地名にも固有せる城字を配合して、之を闕城、潔城、悦城と為したること恰も〈アタカモ〉我〈ワガ〉元明天皇和銅六年、諸国郡県名は好字を著けよ〈ツケヨ〉と勅して、一字名のものは、二字に改められたるに異なる事なし。去れば支或は巳ならざるも、一字名のもの、或は土音にて称呼に便ならざるものは、其中の一字を取りて、之に城字を附したること、槥郡を槥城郡、基郡を富城郡、豆伊郡を杜城郡、古尸伊郡を岬城郡、豆尸伊県を伊城県等、類例数多ありて、支の城に非ざること是にて明かなるべし。