礫川全次のコラムと名言

礫川全次〈コイシカワ・ゼンジ〉のコラムと名言。コラムは、その時々に思いついたことなど。名言は、その日に見つけた名言など。

論文紹介「日の丸・君が代裁判の現在によせて(2)」

2018-07-18 00:33:22 | コラムと名言

◎論文紹介「日の丸・君が代裁判の現在によせて(2)」

 一昨日、知人の桃井銀平さんから、当ブログ宛に、「日の丸・君が代裁判の現在によせて(2)」と題する論文の投稿があった。これは、二〇一六年八月一六日から九月一〇日にかけて、このブログで紹介した「日の丸・君が代裁判の現在によせて(1)」の続編にあたる。
 A4で一六ページに及ぶ長文なので、何回かに分けて、紹介してゆきたい。

日の丸・君が代裁判の現在によせて(2) <ピアノ裁判>と抗命義務
                               桃井銀平

 *既発表の「日の丸・君が代裁判の現在によせて(1)」との章節番号の不整合は、(1)を修正するかたちで後日
整理したい。

1,<ピアノ裁判>における思想・良心

 学校儀式において教師が国旗に向かって国歌斉唱することを拒否または国家伴奏を拒否したことに対する懲戒処分をめぐる裁判は、多数の東京都公立学校教職員を原告とするものを中心に2011~12年に立て続けに最高裁判決が出された。その時点で先行事例として既に最高裁判決が出ていた国歌伴奏をめぐる裁判がある。いわゆる<ピアノ裁判>である。さらに一つ、最高裁判決は遅れたが、先行事例と言えるのは北九州の公立学校教師の訴えによるいわゆる<北九州ココロ裁判>である。前者は、2007年2月27日に最高裁における原告敗訴判決でこの裁判は司法上は決着を見た。後者も、2011年7月14日に最高裁における原告敗訴判決で司法上は決着を見た。原告側が主張する思想・良心の内容は、両者共通性が濃い。そして意外なことだが、5年経って2016年7月に最高裁で決着を見た東京都の公立学校教職員の第3次集団訴訟における原告側の主張にも通ずるものがある。<北九州ココロ裁判>についてはwebsite上の資料公開が行われなくなくなったが、<ピアノ裁判>については詳細な裁判関係資料集が公刊されており、広く議論の材料を提供している。<北九州ココロ裁判>における原告側の主張は重要な前例として無視できないが、資料的制約があるので、先行訴訟の検討としては、主たる対象を<ピアノ裁判>におかざるを得ない。
 <ピアノ裁判>の最高裁判決の法廷意見は、職務命令との関係で原告個人の思想・良心を正面からが検討せず、「一般的」「客観的」な社会通念で判断を下したものと一般に受けとめられて、研究者・教育関係者の中では評価は低い〔1〕。一方、藤田宙靖裁判官の反対意見は高い評価を受けていて、その後の国旗国歌強制批判派の理論的拠点の一つとなっている。
 ここでは、原告Fの思想・良心を直接その文章から抽出し、如何なる思想・良心が憲法上の保護を求められていたのかを明らかにしたい。主な素材は『日野「君が代」ピアノ伴奏強要事件 全資料』(日本評論社〔2〕)である(以下、単に『全資料』」と表記)。

(1)<ピアノ裁判>の概要。

① 伴奏拒否
 小学校教諭Fは、1999年4月1日、小平市立花小金井小学校から日野市立南平小学校に音楽専科教諭として転任した〔3〕。南平小学校では1995(平成7)年3月の卒業式から入学式卒業式の君が代(1999年8月成立の国旗・国家法の後は国歌)斉唱の伴奏はテープではなく音楽専科教諭によるピアノ伴奏で実施していた。3月17日、南平小学校校長Hは、転任にあたっての面接で同校を訪れたF教諭に対して「南平小学校では、従来、入学式の際にピアノ伴奏で国歌斉唱を行ってきたので、新しく来たあなたもピアノ伴奏をお願いしたい。」と要請したところ、F教諭は「自分の思想・信条上それから音楽教師としてできない。」と断った。4月5日に入学式の最終打ち合わせを行う職員会議が開催された。F教諭は、その場で「事前面接の時に弾くように言われたけれど、私は、思想・信条上それから音楽教師としても弾けません。」と発言した。校長はそれに対し「校歌と同じように、国歌につてもピアノ伴奏をお願いしたい。」と言ったところ、他の教諭からは校長の発言に批判的な意見が出た。H校長は、「本校では従来ピアノを弾いてきたので、国歌のピアノ伴奏をお願いします。これは職務命令です。」と発言した。職務命令だと処罰されますかとのFの問いに対してH校長は、処罰されます、と答えた。校長は記録担当者に発言時刻を記載させた。F教諭はこれに対し「『君が代』の伴奏に対して職務命令が出されたことは疑問です。弾きません。」と答えた。職員会議の司会担当教諭は「『君が代』の扱いについてはもう一度管理職で考えてほしい。」と述べて議論を終了させた。その後、H校長は教頭にテープレコーダーとカセットテープを渡して、F教諭が伴奏をしない場合に備えさせた。
 入学式当日4月6日朝、校長室でF教諭に再度、「国歌について、ピアノ伴奏をお願いしたい。あなたの名前を式の中では指名しないけれども、ぜひピアノ伴奏をお願いしたい。職務命令です。」と言ったところF教諭は、「弾けません。」と答えた。午前10時、入学式が開始され、F教諭は入場曲「さんぽ」をピアノ伴奏した。新入生の入場後、司会の教頭が開式の言葉を述べ、続けて「国歌斉唱」と言った〔4〕。F教諭がピアノの前の椅子に座ったまま、5ないし10秒間、ピアノを弾く様子がなかったので、校長の合図により教頭はテープ伴奏を〔5〕開始し国歌斉唱が行われた〔6〕。

② 懲戒処分と審査請求
 4月14日、H校長は、「平成11年4月14日付け南平小発第24号 教員の職務命令違反について(報告)」を市教委に提出し、請求人に対して厳正な措置で臨むことが適切であると判断する旨、報告した。4月15日午後2時33分から同2時54分まで、市教委のN指導室長は、南平小校長室で請求人から事情聴取を行った。請求人は、職務命令が出されたが弾かなかったと発言した。5月7日、処分者の東京都教育委員会は、請求人に対して事情聴取を行った。5月26日、市教委は、臨時会を開催し、請求人の職務命令違反に対して厳正な措置を求める内申を処分者に提出することを決定し、同年5月31日付けで「日野市立南平小学校教諭Fの服務事故について」を処分者に提出した。
 6月11日、処分者東京都教育委員会は、本件について懲戒処分を行い、発令通知書及び処分説明書を請求人に交付した〔7〕。F教諭は、7月21日付で東京都人事院会に戒告処分取り消しを請求する審査請求を行ったが、同委員会は2001(平成13年)10月26日、審査請求棄却の採決を行った〔8〕。

③訴訟
A、 第一審 
 2002(平成14)年1月25日、F教諭は東京都教育委員会を被告として、弁護士Y他を訴訟代理人として東京地方裁判所民事部に訴状を提出した。請求の趣旨は「1 被告が1999(平成11)年6月11日付で原告に対してなした戒告処分を取り消す。2 訴訟費用は被告の負担とする。」 というものであった〔9〕。東京地方裁判所は翌2003年12月3日、「主文 1 原告の請求を棄却する。 2 訴訟費用は原告の負担とする。」という原告敗訴の判決を行った。その理由は、原告の職務命令拒否が原告の思想・良心を根拠とするものであり、本件を憲法19条の適用如何が問われる案件と認めたが、地方公務員法・学習指導要領を根拠に職務命令は違憲違法ではなく、原告は思想・良心への制約を受忍すべきものとした〔10〕。
B、 控訴審
 第一審敗訴に対して、原告は2003(平成15)年12月9日、第一審と同じ弁護士Y他を代理人として、原判決の取り消しを求めて東京高等裁判所民事部に控訴した〔11〕。東京高等裁判所は、翌2004年7月7日、控訴棄却を判決し、原告はここでも敗訴した。その理由は、第1審と基本的に同じである。
C、上告審
 2004(平成16)年7月20日、原告はこれまでと同じ弁護士Y他を代理人として、原判決(第2審判決)の取り消しを求めて最高裁判所に上告した。本件は第三小法廷で審理されることとなったが、最高裁は一度も口頭弁論を開かないまま2007(平成19)年2月27日、上告棄却の判決を言い渡した。〔12〕その理由は、解釈が分かれるところだが〔13〕、第1審・控訴審とは異なり、「一般的」「客観的」な観点から、原告の主張する思想・良心を憲法19条の保護外にあるとするものであった。
 こうして東京地裁への出訴から数えて5年以上経て、本件は司法上決着をみた。処分対象の事件から数えれば8年に及ぶ裁判であった。【以下、次回】

注〔1〕たとえば土屋英雄〔「日の丸・君が代」裁判と思想・良心の自由 意見書・証言録〕(現代人文社 2007)p193以下
注〔2〕日野「君が代」処分対策委員会・日野「君が代」ピアノ伴奏強要事件弁護団編。2008年8月10日
注〔3〕以下の叙述は、特に断りがない限り『全資料』所収の地裁判決中「第3 当裁判所の判断 1 事実認定」より(p713以下)
注〔4〕人事委員会採決の事実認定では、教頭は「一同ご起立ください。一年生も立ちましょう。ただ今より平成11年度日野市立南平小学校第26回入学式を始めます。礼。国歌斉唱。」といった、という(『全資料』p697)。
注〔5〕このテープが管弦楽であったか、それとも校長の方針に基づきピアノであったかは、「全資料」のどの文書にも明記されていない。伴奏テープの一般(川島素晴意見書(『全資料』p296)から考えて管弦楽であったことが推測される。
注〔6〕以上『全資料』p713-715。
注〔7〕以上東京都人事委員会採決「1 認定事実」より(『全資料』p697-698)
注〔8〕『全資料』p692
注〔9〕『全資料』p12-13
注〔10〕『全資料』p702-723
注〔11〕『全資料』p320
注〔12〕『全資料』p738以下
注〔13〕たとえば、多くの批判的論評と調査官解説(『ジュリストNO.1344』(2007.11.1))

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