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礫川全次のコラムと名言

礫川全次〈コイシカワ・ゼンジ〉のコラムと名言。コラムは、その時々に思いついたことなど。名言は、その日に見つけた名言など。

馬上蠣崎神社(仙台)の由来

2018-06-09 04:35:14 | コラムと名言

◎馬上蠣崎神社(仙台)の由来

 先日、仙台まで行った際、「馬上蠣崎神社」を参拝してきた。特に深い理由はない。仙台市の地図を見ていて、この神社の名前が妙に気になったからである。場所は、仙台高等裁判所の北側、住所は、仙台市青葉区片平一の二の一八である。
 馬上蠣崎神社と書いて、「うばがみかきざきじんじゃ」と読む。見たところ、ごく普通の神社だが、その由来が変っている。自殺した馬(伊達政宗の愛馬・五島)を祀った神社だというのである。自殺した馬を祀った神社というのは、全国的にも珍しいのではないだろうか。
 鳥居の右側にある案内板には、次のようにあった。

  馬上蠣崎【うばがみかきざき】神社の由来【ゆらい】

 藩祖政宗公に功臣後藤信康が献【けん】じた五島という愛馬があった年老【お】いて慶長十九年(西暦一六一四)十月公の大坂出陣に洩【も】れた事を悲しみ本丸の崖【がけ】から飛下り死亡した。依つてその地蠣崎【かきざき】に葬【ほうむ】り馬上蠣崎【うばがみかきざき】神社を建てゝ祀【まつ】り追廻馬場【おいまわしばば】の守護とした明治四年片平丁の旧一門格修験【しゆげん】良覚院跡【あと】に移して社殿成り桜田如水【じよすい】を宮司として市民の間に五島墓【ごとはか】さんと称【しよう】して親しまれた。古来旧三月十五日草餅を笹に付けて門口に挿し病【やまい】送りとする梅若【うめわか】のコトの日を祭日にしたが後ち八月一日二日に改めた。子どもの馬脾風【ばひふ】(ジフテリヤ)除けの信仰があり胡桃【くるみ】を奉納する。  三原良吉誌

*このブログの人気記事 2018・6・9(なぜか白川静の初期論文が1位に)

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