礫川全次のコラムと名言

礫川全次〈コイシカワ・ゼンジ〉のコラムと名言。コラムは、その時々に思いついたことなど。名言は、その日に見つけた名言など。

官僚の習性は上役の機嫌を取ることにある

2018-06-18 04:31:53 | コラムと名言

◎官僚の習性は上役の機嫌を取ることにある

 馬場恒吾『近衛内閣史論』(高山書院、一九四六)から、「この喪心状態を奈何」(一九四五年九月)を紹介している。本日は、その二回目。昨日、紹介した部分のあと、改行して、次のように続く。

 東京は元と〈モト〉市であつた。それを軍部内閣の時、都に改めた。市であると市会議員がみがみ云ふ。市長も市会で選挙する。矢張〈ヤハリ〉其所〈ソコ〉に幾分か人民の御機嫌を取らうといふ気持ちが起る。そして自然に人民の便利をも考へる。それが都に変更されると同時に都長官は政府が任命する。都の役人は都長官が任命する。かうして東京都が官僚の網の中に収容された。官僚の習性は上役の機嫌を取ることにある。さうすれば扶持〈フチ〉から離れることがないからである。彼等の目は上ばかり見て下を見ない。人民なんか何処に居るかと思ひ出した時でなければ人民の利益などは考へない。東京の中心地帯が焼野原になつてゐて、何箇月間それの取片付けにまだ一指をも触れないといふ状態は、かれらが如何に真面目に仕事をする気を欠いてゐたかを証明する。都の役人が毎日一人で一つの鉄屑を担いで行つても相当の範囲の焼跡は整理されだであらう。
 東京都庁の事は官僚の一例として指摘したのみである。官僚全部の気風がぞれに依つて代表される。官僚の習性は何畤でも勢〈イキオイ〉の良い方へ便乗し、政府の組織網の安易な地位を獲得せんとする。政党政治華かなりしときは、官僚は政党領袖〈リョウシュウ〉の処に出入し、政党の愛好を得ることに努力した。軍部旺盛なるときは軍部に迎合するにこれ勉めて、軍部と一緒になって政党排撃に日も尚足らずといふ有様であつた。
 戦況が日本に不利になるにつれ、官庁の能率が漸次〈ゼンジ〉悪くなり、終戦の詔勅が降り〈クダリ〉、戦争が日本の負けと決まつてからは、官僚は何をしてゐるか判らなくなつた。かれらは毎日役所に額を揃へてゐるだらう。併しかれらは日本の復興の為めに如何なる創意を示し、如何なる活動をしてゐるか。日本の新聞は寡聞であるかも知れないが、官庁側が奮発してこんな事をすると報道した事がない。戦災に依つて日本の各都市に於ける破壊又は焼失家屋三百万戸と云ふのに対して、それの復興に事実として何をしたか、簡易住宅何十万戸を急造するといふ机上計画はあるらしく、それを新聞は報道したが、その計画による家が何所〈ドコ〉に建てられたか、建てられつゝあるか、建てる準備が出来たか。私も矢張、さうした簡易住宅でも欲しいと思つて知人の仲間に聞き合せて見たが或はこれにも矢張り運動が必要だといひ、或は何時建つとも見込みは付かないのだといふ。唯一つの復興に着手してゐると見える官僚すら然り。他の官僚は何にもしない。この喪心状態を奈何〈イカン〉せんといふのがわれわれの問題である。
 この喪心状態は日本が三千年来初めての敗戦に遭遇して、悲嘆やる方ない結果であらうか。それも一応尤もな心理であると云うへる。だが、私は官僚の喪心状態には今少しく本質的、自然的な因果関係があると思ふ。
 何の因果かといへば、それは日本にいまだに残つてゐる官尊民卑の思想にある。それは戦時中軍官民一体といふことが強調された頃、誰れでも軍が一番上に、官が其次、民が一番裾〈スソ〉と了解したものでも分る。上意下達〈ジョウイカタツ〉、下情上通〈カジョウジョウツウ〉と云ふ言葉でも政府が上で人民が下だといふ意味が含まれてゐる。しかし事はさうした言葉の争ひではなく、官僚が不識の中にも民衆に対して優越感を抱いてゐることそれ自身が問題である。【以下、次回】

 七十年以上前の文章だが、こんにち読んで、なお新鮮である。特に、「官僚の習性は上役の機嫌を取ることにある」という指摘。

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