◎象徴天皇も国家たる法人の機関である(成宮嘉造)
成宮嘉造の論文「天皇機関説のゆくえ」(1979年3月)を紹介している。本日は、その十一回目(最後)。
本日、紹介するのは、「7.ポッダム宣言受諾と国体護持」の章のうちの「第4 幣原内閣の国体護持と日本国憲法」の節(全文)、および「第5 日本国憲法における国体の変更」の節(全文)、そして「8.結」の章(全文)である。
第4 幣原内閣の国体護持と日本国憲法
20年〔1945〕10月9日,新内閣の首相となった幣原喜重郎〈シデハラ・キジュウロウ〉は,マッカーサーの前記「政治的宗教的政治的自由に対する制限の撤廃に関する覚書」の具体化を断行した.それで,天皇機関説は国禁から解放され,議会制民主主義に立つ政党が蘇生した.更に,マッカーサーは,同月11日に改めて憲法改正を指示した.
同内閣は,同月27日国務大臣・松本烝治博士を主任とする憲法改正調査会を設けた.
天皇は21年〔1946〕元旦に「人間宣言」を以て自己の神権性を否定し,1月には美濃部〔達吉〕博士は枢密顧問官に任ぜられ,2月1日内閣は改憲案(松本案)を総司令部に提出した.
この案は,浜口〔雄幸〕内閣以来懲りた統帥権の独立を退け,国務大臣輔弼を国務全部として統帥権の独立を撤除しているが⑴,極めて保守的であったので,マッカーサーは驚怒してこの松本案を拒否し,総司令部で憲法草案を約1週間で作成し,これを2月13日,日本政府に交手した.これが多少の修正を経て日本国憲法となった.
(1)宮沢俊義「全訂日本国憲法」〔日本評論社、1978〕8頁・43頁.
第5 日本国憲法における国体の変更
第90回帝国議会で,国務大臣・金森徳次郎は,国体の意義を多岐にとらえ⑴,「3千年以来,天皇をもって憧れの中心とする」という意味の「国体は変っていない」と答弁.この国体は伝統的国家道徳的心理的意識で,決して法上の国体でない.彼が法制局長官の時,国体の本義と説いた国体とは明らかに変っている.国体の変更を早くから主張したのは宮沢俊義教授であった⑵.
(1)金森徳次郎「憲法遺言」〔学陽書房、1959〕22~7頁.
(2)時事通信社「日本国憲法」35頁,宮沢俊義・前掲・47頁.
8.結
現行憲法上,「天皇とは,主権の存する日本国民の総意に基づく(1条2文),日本国及び日本国民統合の象徴であり(同上),且つ内閣の助言又は承認により国事に関する行為のみを機能とする(3条,4条1項),世襲による独任制(2条,典範1~4条)の国家機関である」概念づけ得る.
この象徴天皇は,国民主権主義(前文,1条)により明冶憲法の元首天皇と異なり統治即ち国政一般に関与する機能なく(4条1項),加えるに戦争放棄(9条)により統帥大権はなく,明治憲法の如く世襲の独任制であるが,単に内閣の助言又は承認を要する国事行為のみを機能とする(3条・4条・6条・7条・96条2項)国家機関である.このように,象徴天皇も,国家たる法人の機関であるから,天皇機関説はここにもなお依然として妥当しているのである. 〔完〕
「第5 日本国憲法における国体の変更」の中に、「彼が法制局長官の時」とある。金森徳次郎は、岡田啓介内閣の法制局長官を務めていたが、過去の著作『帝国憲法要綱』(巌松堂書店、1921)が「天皇機関説的である」と批判され、途中で辞任している(任期は、1934年7月10日~1936年1月11日)。
※コメント投稿者のブログIDはブログ作成者のみに通知されます