礫川全次のコラムと名言

礫川全次〈コイシカワ・ゼンジ〉のコラムと名言。コラムは、その時々に思いついたことなど。名言は、その日に見つけた名言など。

研師としての柏木隆法氏(その2)

2014-11-03 07:16:09 | コラムと名言

◎研師としての柏木隆法氏(その2)

 先月一九日に、「研師としての柏木隆法氏」というコラムを書いた。これは、柏木隆法氏の個人通信「隆法窟日乗」のうち、「10月6日」の項の後半部分を紹介したものである(通しナンバー184)。
 数日前にいただいた「隆法窟日乗」を拝見すると、そこにもまた、「研ぎ」の話が出ていた(10月17日、通しナンバー207)。本日は、これを紹介させていただきたい。

【前略】名古屋の人から拙に刀を研いでほしいとの依頼があり、女持ちの懐剣ながら銘は三条小鍛冶宗近、こんな名刀、研いだことはない。何かの縁で拙に回ってきた仕事なので精一杯研ぐことにする。考えてみれば拙は新聞社を辞してから定職に就いたことはない。大学の講師もコマ数こそ多かったが非常勤であり、執筆活動も忙しかったのでそれなりに充実していた。まさかこの歳になって刀を研いでメシを食うとは思っていなかった。先月は3本ほど研いだがなかなか金をくれないのは困ったものだ。拙にまわってくるのは現代刀が主で下手な癖して力一杯巻藁なんか斬るものだから切っ先に刃毀れが生じる。おまけに手入れが悪いために錆が浮いている刀が多い。世が世であれば切腹ものだ。武家の家で長く保存した刀は抜くと気持ちがいいほど綺麗だ。拙は公務員の刀は基本的に研がない。公務員は必ず値切ってくるからだ。ひどい奴になると「私は市役所の文化事業を担当しているから、自分の分だけ無料にしてくれれば客を集めてやる」と。いらぬお世話だ。そもそもこういう輩のいうセリフは万に一つの本当がない。公務員は決して自分の財布からは出さない。こういう文化財は市役所の職員如き下っぱ役人が持つべきものではない。軍隊でも軍刀を持てるのは将校だけで、平の兵隊はゴンボ剣だけだ。拙はこういう奴は大嫌いだから市役所からの依頼は受けないことにしている。刀を兇器という人がいる。使い方によっては兇器と化すが、武家の伝統は今もある。一本の刀でも手入れしなければ丁字油〈チョウジアブラ〉が油膜になって刀身を痛める。打粉〈ウチコ〉を打って古い油を拭いとり、新しい油を塗ることを2、3年忘れると表面が色あせてくる。蔵などに入れておくと鞘〈サヤ〉や柄〈ツカ〉が乾燥して割れる場合がある。そういったものの修理は拙の仕事である。柄は作り直して、鮫皮〈サメガワ〉も新しいのにして柄糸〈ツカイト〉も新品を使う。鍔〈ツバ〉、柄頭〈ツカガシラ〉、目貫〈メヌキ〉はそのまま外して使い、錆は取って漆処理をする。問題は鞘だが、割れたり皹〈ヒビ〉の入った程度なら漆を接着剤にして埋めていく。なかなか手間のかかる作業だが、遣り甲斐はある。拙の日常はこんなことをしている。時に刀架〈トウカ〉や鎗〈〉ヤリなどを掛ける長押〈ナゲシ〉を作る事もある。こんな不安定な仕事でも人に命令されたり、締切がないだけ気が楽だ。ただ母の入院などで大金が要るとジタバタする羽目になるのは玉に瑕だ。貧乏はもともと慣れている。贅沢しようと思わないならこれで充分だ。あえてこの暮しをしているのは前から話しているように近代仏教史のノートを書き綴っているからだ。いつ完成するやら見当もつかない。大海の水を柄杓で掬っているようなものだ。仮に出版しても拙の収入にはならない。なんでこんなことをやり始めたのがわからない。きっと米子の分岐点で道を間違えたことによるものだろう。人間誰しも引き返すことができない道がある。政治家のように明るい未来に嘘を滔々と述べることは簡単だが、過去を問われるとすこぶる弱い。拙のようなひねくれ者は田舎で好き勝手に生きていた方が世の安泰だ。こんなことで刀の研ぎや修理の御用命があればよろしく。

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