◎安倍晋三首相は立憲主義に対する理解を欠いている
昨日、インターネットで、「安倍首相に批判相次ぐ=解釈改憲めぐる答弁―自民総務会」という時事通信記事を見た。
13日の自民党総務会で、集団的自衛権行使を可能にする憲法解釈変更をめぐる安倍晋三首相の国会答弁に批判が相次いだ。/問題視されたのは12日の衆院予算委員会での発言で、首相は解釈変更について「政府の最高責任者は私だ。政府の答弁について私が責任を持って、その上で選挙で審判を受ける」と強調した。/総務会で村上誠一郎元行革担当相は「首相の発言は選挙で勝てば憲法を拡大解釈できると理解できる。その時々の政権が解釈を変更できることになる」と非難。【以下略】
前々から感じていたことだが、安倍晋三首相を初めとした自由民主党首脳には、「立憲主義」ということに対する理解が欠けていると思う。その自民党の中からも、こういう批判が出てくるということであるから、これは、大変な事態だというべきである。
なお、過去に、自民党の憲法改正草案にからめて、「立憲主義」ということについて述べたことがあるので、本日は、これを引用させていただきたい。
本書は、日本の保守思想について、原理的な、あるいは歴史的な考察をおこなおうとするものであって、保守思想をめぐる今日の「状況」についてコメントするつもりはない。ただ、最近、話題の「日本国憲法改正草案」(自由民主党、二〇一二年一〇月)については、はっきりと問題点を指摘しておきたい。
自民党改正草案の第百二条第一項に「全て国民は、この憲法を尊重しなければならない」とある。この草案の作成者は、立憲主義ということがわかっているのだろうか。憲法とは、国民が守るべき規範ではなく、権力者の専横を防ぐことを目的とする最高法規である。権力者といえども、憲法に従うというのが立憲主義である。
大日本帝国憲法は、天皇主権を定めた欽定憲法であったが、その大日本帝国憲法においても、立憲主義の原則は守られていた。このことは、上諭の「朕及朕カ子孫ハ将来此ノ憲法ノ条章ニ循ヒ〈したがい〉之ヲ行フコトヲ愆ラサルヘシ〈あやまらざるべし〉」という一文に明らかである。自民党改正草案の作成者は、憲法というものの本質をよく理解していないか、もしくは、憲法の本質とされてきたものを、あえて無視しようとしているのではないか。
また、改正草案の第六条第四項に、「天皇の国事に関する全ての行為には、内閣の進言を必要とし、内閣がその責任を負う」とある。現行憲法第七条にある「助言と承認」という言葉を、「進言」と言い換えたいのであろう。大日本帝国憲法第五条には、「天皇ハ帝国議会ノ協賛ヲ以テ立法権ヲ行フ」とあったが、これと同じ発想である。
しかし、伊藤博文や井上毅が作った帝国憲法草案の第五条は、「天皇ハ帝国議会ノ承認ヲ経テ立法権ヲ施行ス」であったという事実に注意すべきである。「承認」が、「協賛」に変えられたのは、枢密院審議の過程で、森有礼ら保守派の強硬な反対があったためである。自民党改正草案は、最初から「承認」という言葉を使うまいとしているのであるから、帝国憲法草案よりも保守的と言えるかもしれない。いずれにしても、自民党改正草案の作成者は、帝国憲法の制定史についての基礎知識を欠いていると思われる。【『日本保守思想のアポリア』「まえがき」より。批評社、二〇一三年六月刊】