◎警察庁長官狙撃事件は、なぜ解決できなかったのか
二〇一〇年三月三〇日、警視庁公安部の青木五郎部長は記者会見をおこない、一九九五年(平成七)の同日に発生した警察庁長官狙撃事件が、「本日、午前0時をもって」時効を迎えたと発表した。
事件の捜査が失敗に終わったことは、誰の目にも明らかであった。一九九六年には、オウム信者である現職警察官Kの存在を伏せようとして問題となり、二〇〇四年には、元警察官Kら四人を逮捕したが、すぐに釈放せざるをえなかった。二〇〇七年には、みずからが犯人だと名乗り出ていた老スナイパーNについて、捜査一課による捜査が本格化したが、結局、これも立件できなかった。
優秀であるはずの警視庁が、なぜこの事件を解決できなかったのか。なぜ事件の犯人を特定できなかったのか。この問題については、いろいろと論じたいことがあるが、とりあえず本日は、警察の「見込捜査」体質ということを指摘しておきたい。
上記の記者会見で、青木五郎部長は、「これまでの捜査結果から、この事件はオウム真理教の信者グループが教祖の意志のもとに、組織的・計画的に敢行したテロであったと認めました。しかし、犯行の個々の関与者やそれぞれが果たした役割について、刑事責任の追及に足る証拠をもって特定・解明するにはいたりませんでした」と述べた。
質疑応答の部では、次のようなヤリトリがあったという。
問 今回、オウム真理教による組織的犯行と断定するだけの証拠があるといえるのか
答 報告書に記載の通りです
問 死刑判決を受けた教団幹部が、銃撃事件に限って関与を否定したり、麻原(彰晃死刑囚、本名・松本智津夫)が銃撃事件を速報するテレビのテロップを見て驚き、「上前をはねるようなのがいるのか」と話しているのを教団幹部が聞くなど、捜査結果と矛盾するような状況も出てきている
答 犯行主体の判断の根拠となった捜査結果について私どもの評価を記載した
要するに、オウム真理教の犯罪に違いないという見込捜査をおこなったが、結果が得られなかった。しかし、この見込そのものは誤っていなかったと言っているのである。見込捜査が失敗したことに対する反省は、ひとかけらもない。ここに私は、警察の、あるいは警視庁公安部の「見込捜査」体質を見るのである。
今から八〇年以上前、前警視庁警視の江口治は、その著書『探偵学体系』(松華堂書店、一九二九)の中で、「見込捜査」について論じている。彼は、見込捜査そのものは否定しなかったが、独断的な「見込捜査」については、これを江戸時代以来の「旧式捜査」であるとして厳しく批判している(二五ページ)。
少し本文を引用してみよう(二八~二九ページ)。
見込と云ふものは、事物に対する人の観察が、一つの焦点を結むだ〈ムスンダ〉処に生れて来るのでありまして、其の根底には必ず由て来る〈ヨッテキタル〉処の事物の観察が横はつて〈ヨコタワッテ〉居る筈ですが、時によると此の観察の基礎なしに、或は之を超越して、閃光的の迅速さで、適正な見込を立てる人があります、斯様〈カヨウ〉に第六感的の感覚の焦点がぴつたり事実に当るのは天才的探偵家とも云ふべきでありませう、第一款〔直感的見込〕に掲げた様な所謂見込なるものは、だらけ切つた、焦点も何も無い凡庸過ぎるものでありますが、此の第六感的、仰山〈ギョウサン〉に云へば霊感的衝動とも見るべき種類の見込は、実に恐るべき効果を探偵術の上に齎す〈モタラス〉のであります。
斯様な筋の善い見込の着け方は、一見頗る〈スコブル〉無雑作に行はれたやうに見えましても、仔細に見込の依て〈ヨッテ〉生じた過程を分解して見ますと、其処〈ソコ〉には必ず合理的思索の数多の階段が潜在して居るのです、夫れ〈ソレ〉が無雑作で且つ端的に見ゆるのは、合理的判断の径路が非常な高速度で運ばれて、直ちに断案に到達した為であります。
以上は結果に就て始めて云へる事ですから、結果の顕れない前の過程としては其の見込が正しいかどうかは、矢張〈ヤハリ〉其の見込を目安として、恰も〈アタカモ〉数学問題の答案を一応検算するやうに、見込の発程〔出発〕を逆に思索するなり、或は其見込みにより発程した、探偵の進行に注意し、最初の見込が、間違ひで無いか否かを考察しつつ、堅実に歩を進めるのが、探偵術の正道であります。若し〈モシ〉此の考慮を欠き、最初の見込により盲進するときは、探偵術は活物〈イキモノ〉ですから遂に過つた筋道に踏み込み、切角〈セッカク〉立派であつた最初の見込も筋が立たず、矢張第一款の見込の場合と同様に、焦点の外れた方に落て〈オチテ〉行かねばなりません。
要するに見込捜査は、決してそれ自体は悪いもので無く、其の見込を成立せしむる基礎が薄弱であり、或は見込其のものの質が悪かつたり、又見込の応用方法が不注意で有つた場合に、始め悪いものになるのであります。
見込偏重主義の、探偵方法に於ける見込は、大抵第一款の場合の様な直覚的見込を以て発程し、其の進行に当つても、何故か本能的に合理的省察を斥け〈シリゾケ〉、探偵家の主観若は〈モシクハ〉自我一方で、探偵方法を支配しやうとするやうな傾向がある為に、動も〈ヤヤモ〉すれば無辜〈ムコ〉の人に累を及ぼす危険性があるのであります、それから今一つには、之等〈コレラ〉の人々には、科学的証明を藐視〈ビョウシ〉し〔みくびり〕又は嫌忌〈ケンキ〉する傾向が多分にあります、【後略】
警察庁長官を狙撃したのは、おそらくオウム関係者ではあるまい。警視庁公安部による「見込」捜査は、「其の見込を成立せしむる基礎が薄弱であり、或は見込其のものの質が悪かつた」、つまり、独断的な「見込」捜査であったと評すべきであろう。警視庁公安部は、その独断を修正することができなかった。「オウム真理教の犯罪に違いない」、あるいは「オウム真理教の犯罪でなければならない」と思い込んでしまった警視庁公安部に、事件を解決する能力はなかったと言ってよいだろう。
なお、指名手配中だった平田信〈ヒラタ・マコト〉容疑者が出頭したのは、二〇一一年一二月三一日のことだった。出頭の理由のひとつとして平田容疑者は、警察庁長官狙撃事件の時効を挙げている。時効になった以上、この事件に関しては自分が罪をかぶせられる可能性はなくなったという判断だと思われる。
今日の名言 2012・10・4
◎最初の見込が、間違ひで無いか否かを考察しつつ、堅実に歩を進める
江口治の言葉。『探偵学体系』(松華堂書店、1929)の29ページに出てくる。「最初の見込が、間違ひで無いか否かを考察しつつ、堅実に歩を進めるのが、探偵術の正道であります」。上記コラム参照。