卒寿。
旧字体で「卆寿」。
「卆」の字が「九十」と書くから「そつじゅ」。
90歳の祝いを指して、卒寿という。
何でこんなことを書くかというと、今日10月21日は、亡母の誕生日。
今日が生誕九十年の記念すべき日。
昭和4年の生まれであった。
生きていれば、卒寿だったのだけどね。
母は、10人兄弟の10番目だったから、一番最後まで生きるのだろうと思っていたら、順番を狂わして、兄姉4人より早く逝ってしまった。
この時期になると、思い出すのが、中越地震のこと。
今はもう15年も前のことになってしまうが、その年に母は、「最後の誕生日」をその地震の2日前に迎えていた。
午後6時前にその大きな地震が起こったのだった。
新潟県内に起こったその地震は大きな被害をもたらしたが、幸い私の周辺では大きな被害がなくてすんだ。
母と一緒にわが家でその地震を体験した私と娘にとっては、今も3人一緒にいたという大きな思い出となっている。
その頃は、母が「余命半年」の宣告を受けてから7カ月がたとうとしていた。
それでも、私たちのために夕食を作ってくれていた母であった。
やがて、その翌月あたりから、夜が眠れないと嘆き、昼はよく昼寝をするようになっていった。
そして、12月下旬、自ら病院に入院することを望み、翌年冬が終わらぬうちに亡くなったのだった。
そうか、もう15年か。
あの頃中年真っ盛りだった私も、還暦を過ぎ、老年へと移行しつつある。
今朝、卒寿だね、と心の中で思いながら線香をあげ、仏壇に手を合わせた。
夕食時には、妻が、サツマイモやいろいろな具を入れて、きれいなイモ御飯を炊いてくれたのを仏壇に供えた。
あれから15年たっても、わが家は5人家族から4人家族に減ったままだ。
その様子を天上で見ながら、笑ってくれていることだろう。
どうかこれからも、私たち家族を見守ってください。
今日は、生誕九十年を祝っています。
旧字体で「卆寿」。
「卆」の字が「九十」と書くから「そつじゅ」。
90歳の祝いを指して、卒寿という。
何でこんなことを書くかというと、今日10月21日は、亡母の誕生日。
今日が生誕九十年の記念すべき日。
昭和4年の生まれであった。
生きていれば、卒寿だったのだけどね。
母は、10人兄弟の10番目だったから、一番最後まで生きるのだろうと思っていたら、順番を狂わして、兄姉4人より早く逝ってしまった。
この時期になると、思い出すのが、中越地震のこと。
今はもう15年も前のことになってしまうが、その年に母は、「最後の誕生日」をその地震の2日前に迎えていた。
午後6時前にその大きな地震が起こったのだった。
新潟県内に起こったその地震は大きな被害をもたらしたが、幸い私の周辺では大きな被害がなくてすんだ。
母と一緒にわが家でその地震を体験した私と娘にとっては、今も3人一緒にいたという大きな思い出となっている。
その頃は、母が「余命半年」の宣告を受けてから7カ月がたとうとしていた。
それでも、私たちのために夕食を作ってくれていた母であった。
やがて、その翌月あたりから、夜が眠れないと嘆き、昼はよく昼寝をするようになっていった。
そして、12月下旬、自ら病院に入院することを望み、翌年冬が終わらぬうちに亡くなったのだった。
そうか、もう15年か。
あの頃中年真っ盛りだった私も、還暦を過ぎ、老年へと移行しつつある。
今朝、卒寿だね、と心の中で思いながら線香をあげ、仏壇に手を合わせた。
夕食時には、妻が、サツマイモやいろいろな具を入れて、きれいなイモ御飯を炊いてくれたのを仏壇に供えた。
あれから15年たっても、わが家は5人家族から4人家族に減ったままだ。
その様子を天上で見ながら、笑ってくれていることだろう。
どうかこれからも、私たち家族を見守ってください。
今日は、生誕九十年を祝っています。