ON  MY  WAY

60代を迷えるキツネのような男が走ります。スポーツや草花や人の姿にいやされ生きる日々を綴ります(コメント表示承認制です)

娘よ(4)

2013-07-14 17:44:19 | 生き方
およそ4週間いた個室を離れ、娘は集中治療室に移った。
ここは、1日の中で、午前(10時~11時)・午後(14時~15時)・夜(19時~20時)しか面会時間が持てない。
しかも、1回2人。15分くらいである。
その夜、1回目の血しょう交換を終えた娘は、深い眠りに落ちていた。
暴れるといけないので、麻酔の濃度を上げたのだという。
鎖骨の下あたりに管が通されていた。
それ以外にも導尿、血圧や心臓、脳波等の働きを示す機械などにつながる様々な管につながれていた。
こうなっては食事もとれず、点滴に頼るのみとなっていた。
翌日より翌々日は、少しよくなっていたように見えた。
声はかすれるが、しゃべろうとしていた。
金曜日には、2回目の血しょう交換を行った。

4日後には、主治医の説明を夫婦で聞いた。
今のところ順調だとのこと。
毎晩眠れず、夜中に目覚めてはすすり泣いていた妻が、この夜は、いつもより多く眠れていたことに、ほっとした。

それなのに…。
もう何度目の暗転だろう。
まだ事態は悪くなる。
7月になった月曜日の朝、病院から突然電話があった。
夕べの午前2時ごろから、およそ1時間に1回くらい、ひんぱんにけいれんを起こしたとのこと。
そこで、鎮静をかけるため濃度を上げると言う。
さらに、そうすると呼吸が弱くなるので、口から肺へ管を通して酸素を送り呼吸ができるようにする、とも。
面会時間に集中治療室を訪ねると、病室が変わっており、より暗い病室であり、機械がさらに増えていた。
ベッド上の娘は、見るに耐えられないものだった。
目は薄目でとろんとした表情、口は醜く開けられ、肺に直接酸素を送るために太い管を通されていた。
それを固定するために、口元には、何本ものガムテープのような絆創膏が張り付けられていた。
時折のどに唾液が詰まるのかむせていた。
詰まったものを取ってもらう時、娘は目から涙をこぼして苦しんでいた。
娘のことで、もう何度心がつぶれただろう。
それなのに情け容赦なく、これでもかこれでもか、と状況は悪くなる。
主治医は、想定の範囲内である、という。
今すぐ命がどうこうはないと言う。
しかし、私たちの目の前にいる娘がこのひと月余りの間に経験していることは、あまりに重い。
そして、それを胸がつぶされる思いで見ているしかない私たち…。
けいれんが頻発したというのに、この日3回目の血しょう交換。
これは、一週間に3回ずつ、7月中旬まで行われる予定である。

毎晩、仕事を終えてから集中治療室の病室を訪ねると、体じゅう管だらけになってひたすら眠る娘がいた。
こんな苦しい姿になっているなら、眠っている方がよいだろうと思ったりもする。 
一つだけ幸いは、薬で鎮静させられているから、拘束されていたベルトたちが取られていたことだった。
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