ON  MY  WAY

60代を迷えるキツネのような男が走ります。スポーツや草花や人の姿にいやされ生きる日々を綴ります(コメント表示承認制です)

彼の挑戦に勇気をもらう~「それでも僕は歩き続ける」(田中陽希著;平凡社)~

2022-02-27 21:36:01 | ひと


「それでも僕は歩き続ける」(田中陽希著;平凡社)を読み終えた。
著者は、プロアドベンチャーレーサーを名乗っている。

NHKBSプレミアムの番組に、「グレートトラバース3」というのがあり、彼の旅を追っている。
今は、月曜から金曜の毎朝、7:45からの15分間にまとめられて放送されている。

「グレートトラバース」は、田中陽希が深田久弥の日本百名山に、「グレートトラバース2」では、同じく二百名山に挑んだときの番組である。
田中は、それぞれ100、200の名山を踏破し、「グレートトラバース3」では、三百名山の踏破に挑んだ。

彼のすごいところは、交通機関を使わずすべて人力による移動ということだ。
自らの足だけで山から山へと移動し、全山踏破を目指すのだ。
しかも、海を渡るときなども自漕ぎのカヌーを使い、自力での移動を徹底するのだから驚く。

テレビでずっと彼の挑戦を見ていると、百名山、二百名山、三百名山と進むにつれて、彼の人間性が豊かになっていくのが分かる。
「グレートトラバース」で日本百名山に挑戦していたころには、スピード感をもって山々を登頂していくことが彼の魅力だった。
だが、テレビ等を通じて彼の挑戦がたくさんの人に知られるようになると、会う人会う人に自分を合わせなくてはいけないと思うようになり、ストレスをため込んだ。
そんな彼が、旅を続けるうちに、会う人に言う言葉が「すみません」から「ありがとう」に代わるようになった。
自分のことばかりでなく、相手のことも考えられるようになったからだった。
本書でも、そのことは正直に書いてあった。

ただ、三百名山全山踏破の旅は簡単ではなかった。
最初の宮之浦岳を登頂した後、徳之島から海を渡ろうとしたときに大荒れの冬の海のせいで1週間、島から出られなかった。
55座目蓬莱山登頂後には、下山時に転んで右手の薬指中手骨を骨折してしまった。
そのために、危険回避のため登山を一時見送った山は、また後日遠くから戻って登らざるを得なくなってしまった。
259座目の鳥海山を登ってからCOVID-19感染症で緊急事態宣言が発せられて、3か月間、県外への移動ができず、酒田市に家を借りて長期滞在せざるを得なくなった。
そんなアクシデントの連続で、三百名山の全山踏破は、2年8か月余りも要する長旅となってしまった。

本書は、その酒田市での長期滞在の際に、インタビューを受けたものをもとにして出来上がった本だ。
だから、まだ旅の途上だったことになる。

私たちは、そんなアクシデントもありながら進む彼の経験を見ながら共感を深めていく。
自然の雄大さや美しさ、険しく厳しい山の様相なども知りながら、がんばる彼の姿を応援したくなる。
でも、彼が人間として成長していくのは、自然への挑戦や自然の中にいるからだけではない。
最も大きい要素は、旅の途中で出会う人たちとのふれあいだった。
百名山挑戦の時に、阿蘇山山頂で出会った「ファン第1号」の女性。
宿泊中に大きな地震に遭遇したときの民宿の女主人。
酒田市で長期滞在となったときの家主の女性や、近所の子ども。
各地で出会った無邪気な子どもたちとの交流、などなど。
人間的に丸くなり、さらに魅力を高めた彼の姿は、とても爽やかで素敵であった。

彼の旅は、去年の8月初旬に北海道利尻山を登って三百名山人力踏破を達成。
7年で合計501座を踏破し終わった。
日本列島を3往復し、移動した総距離が36,000kmというのだから、すごいとしか言いようがない。
次に挑戦するというのは、チームでのアドベンチャーレース。
7年間の名山人力踏破の旅のためにできなかった、本来のアドベンチャーレースへの挑戦。
そこでの活躍にも期待したい。


テレビでは、15分ずつの放送なので、まだまだ続いている。
明日の朝は、232座目の越後駒ケ岳が放送される予定だ。
彼が、様々な困難を克服し、1座、また1座と踏破していく姿に勇気をもらっている。
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