2月13日日曜日。
なんてことのない、1年の中で当たり前の一日。
でも、うちの家族にとっては特別な日。
17年前のこの日、この曜日の朝、母の命がなくなったのだった。
ガンであったし、寿命だったと言ってしまえばそれまでなのだけれど、日ごろから元気な人だったから、もっと長生きするのかと思っていたが、満年齢で75歳とは早かった。
父も満年齢で56歳でのことだったから、両親とも長生きだったとは言えない。
まして、その息子である自分は、子どものころ病弱でよく熱を出し医者にかかっていた身でもある。
まもなく高齢者の仲間入りをするが、自分も長寿にはならないであろうと自覚している。
さて、それはともかく、今年も家族4人で命日の墓参りをした。
去年もそうだったが、今年も、雪で墓にたどり着くまでが大変だった。
幸い今日はよく晴れていたが、積雪たっぷりで道がなかった。
雪の上に点々とあるのは、野ウサギの足跡だろうか?
長靴でざくざくと雪を踏みしめ、道をつけながら、私の後ろの3人が歩けるようにした。
手間をかけて、やっと墓に到着。
わずかとはいえ風があるので、線香に火をつけるためには、風をよけなくてはいけない。
雪を掘って穴を作り、そこで風を防ぎながら線香に火をつけた。
線香を立てるところの砂も、雪で固くなっていたが、凍り付いてはいなかった。
でも、雪だから、墓の中は寒かろうと思った。
生前の母が、新潟の冬は嫌いだ、とよく言っていたのに、寒くてごめんなさい。
今日は、福島県いわき市の母の実家にあたる家の墓でも、分骨された墓に従姉たちがお参りをしてくれたそうだ。
ありがたいと思った。
そちらの墓は、太平洋が望める丘の上にある。
冬でも暖かい陽射しがさんさんと降り注ぐ、とてもいい場所だ。
そんな暖かい故郷を離れて、50年間新潟で暮らした母が亡くなってから、17年。
曜日までが同じ、祥月命日であった。
なんてことのない、1年の中で当たり前の一日。
でも、うちの家族にとっては特別な日。
17年前のこの日、この曜日の朝、母の命がなくなったのだった。
ガンであったし、寿命だったと言ってしまえばそれまでなのだけれど、日ごろから元気な人だったから、もっと長生きするのかと思っていたが、満年齢で75歳とは早かった。
父も満年齢で56歳でのことだったから、両親とも長生きだったとは言えない。
まして、その息子である自分は、子どものころ病弱でよく熱を出し医者にかかっていた身でもある。
まもなく高齢者の仲間入りをするが、自分も長寿にはならないであろうと自覚している。
さて、それはともかく、今年も家族4人で命日の墓参りをした。
去年もそうだったが、今年も、雪で墓にたどり着くまでが大変だった。
幸い今日はよく晴れていたが、積雪たっぷりで道がなかった。
雪の上に点々とあるのは、野ウサギの足跡だろうか?
長靴でざくざくと雪を踏みしめ、道をつけながら、私の後ろの3人が歩けるようにした。
手間をかけて、やっと墓に到着。
わずかとはいえ風があるので、線香に火をつけるためには、風をよけなくてはいけない。
雪を掘って穴を作り、そこで風を防ぎながら線香に火をつけた。
線香を立てるところの砂も、雪で固くなっていたが、凍り付いてはいなかった。
でも、雪だから、墓の中は寒かろうと思った。
生前の母が、新潟の冬は嫌いだ、とよく言っていたのに、寒くてごめんなさい。
今日は、福島県いわき市の母の実家にあたる家の墓でも、分骨された墓に従姉たちがお参りをしてくれたそうだ。
ありがたいと思った。
そちらの墓は、太平洋が望める丘の上にある。
冬でも暖かい陽射しがさんさんと降り注ぐ、とてもいい場所だ。
そんな暖かい故郷を離れて、50年間新潟で暮らした母が亡くなってから、17年。
曜日までが同じ、祥月命日であった。