goo blog サービス終了のお知らせ 

癒し系獣医師の動物病院開業日誌

アニマルセラピー団体で活動している癒し系獣医師。農業団体職員から脱サラし、動物病院を開業しています!

口蹄疫物語 その4

2010年07月03日 | 口蹄疫
いや、続くときは続くもので、見知らぬ子猫はいたので捕獲、保護しました。
写真は懸垂している姿?です。
2ヶ月齢くらいでしょうか?結構痩せていますので、どこかで母猫とはぐれ、さまよい、我が町内にたどり着いたのでしょう。オスのようです。
落ち着くまで保護して管理センターに里親のお知らせを出してもらいます。

第一日は高鍋町で新富の本部から30分ほどのところです。
この時点では処分農場は新富町と西都市に集中していました。進捗率も50%未満でしたから。現地に着いたのは10時近くなっていました。バスが誤った農場に向かってしまい途中で引き返したので作業開始がやや遅れました。

先に県内のグループが到着していましたので、作業は開始されていました。大概県外チームと県内チームがセットのことが多く、県内は県内、県外は県外で作業して、スピードに差があればお互い手伝いあうという感じです。

その農場は肥育農家で処分対象の牛は大きなものが多く、作業は難航が予想されました。僕の班の6名は新参者でしたが、そく作業。保定チームが牛を繋ぎ、まず麻酔を投与していきます。僕はまず麻酔をするほうに「立候補」しましたが、この麻酔の加減が難しいものでした。キシラジンという薬を使うのですが、あまり軽くても、余り深くてもいけないので、その加減を考えながら投与していくのですが、投与の際牛が暴れることも多く、肢が飛んできます。2回くらい蹴られましたが、うまくかわしたかな?

麻酔で十分沈静されたことを確認したら、殺処分になります。頚静脈から薬剤を投与するのですが、和牛は表皮が厚く、頚静脈を探し当てるのが難しい場合もあるので、駆血帯を利用する場合もあります。
薬剤が完全に投与されると、5~10秒くらいで牛は倒れるのです。この倒れる際もお互い気をつけて作業しないと牛の下敷きになったり、倒れた牛の肢で蹴られることもあるので注意が必要です。

しかも、作業は騒然とした中で行われますから、本当に危険です。人も牛も殺気立っていますから。非常に緊張を要する作業でした。気がつくと2時間はあっという間に過ぎていて、昼食の時間に気がつくと極度の脱水状態でしたが、アドレナリンにより何とか立っていたのかもしれません。

昼食の時間もダイベックス(つなぎ)を脱ぐわけには行きませんので、ほとんどそのままの姿でお弁当を食べます。それと、給水です。給水は電解質の補給できる飲料物やお茶、水で行いますが、この日は暑い日であったこともあり、
500mlのものを6本飲みました。

昼食もそこそこに午後の作業にかかりましたが、疲れは感じませんでした。極度の緊張がそうさせているのでしょう。無我夢中で作業していましたし、他の人もそうです。多少蹴られたり、ぶつかったりしていても余り気づきません。

この日は作業も埋める場所の確保もうまくいったのか、順調に処理が進みました。気がつくと予定の200頭を越していましたが、時間もあるので予定以上に処分されました。気がつくと午後5時頃だったでしょうか。

5時だと意外と早く終わった感覚になりますが、実際は「撤収」に非常に時間を要するのでそんなに早くないのです。

つづく

口蹄疫物語 その3

2010年07月02日 | 口蹄疫
現在自宅待機中ですから、基本的には家にいます。
結構暇なので、ブログ更新します。
写真の子がまだ行き先がきまりません。
今日動物管理センターにお聞きしたら、生後2ヶ月で里子斡旋の対象になるそうです。
子猫や若い猫は大抵里親が決まるとお聞きしてホットしました。
ですので、あと1ヶ月は保護します。

さて、
現場作業第1日目の朝。
ホテルの朝食は6時から用意されていて、皆さん6時頃から食べ始めます。なぜなら、集合は7時20分と結構早い時間だからです。

ホテルロビーで朝礼。私の宿泊したホテルはバス3台分くらいの防疫班の人がいました。朝礼はホテルにある、県の畜産分室の担当者が行います。交代でほとんど24時間体制で詰めているようです。朝礼の内容は現在の殺処分進捗率や新聞報道の概要を伝えてくれ、怪我や作業上の注意事項を話します。怪我は実際多く、軽いものを含めると結構な人数になるでしょう。最も重い例は眼球破裂した獣医師がいたことです。絶命寸前で絶命しきれない牛に再度薬剤を注射しようとして、牛に顔を蹴られたのです。

バス3台に分乗して、新富町の本部に向かいます。当然ですが、ホテルからそのまま現場へ行くのではなく、一旦「本部」いき、現地に行く装備をします。
この本部は初発の川南町と新富町の2ヶ所にあり、行き先の現場により新富町か川南町のどちらかに降ります。私は最後までホテルからバスで30分ほどかかる「新富」の本部でした。本部は町の区民センターのような場所でした。

そこで、玄関に入り、「Tシャツ2枚」「タイベックス3枚(ツナギのような防護服で帽子付)」「パンツ2枚」「タオル」「靴下」を取りながら、着替えの専用の部屋に行きます。獣医師用、県庁職員用、経済連用等いくつかの部屋が用意されています。その着替え用の部屋で我々の団体から派遣された獣医師と遭遇し、着替えの方法や現地での留意事項を聞くことができてラッキーでした。着替えは非常に忙しく、皆さん早い。

着替えができたら、出発するための部屋に移動して、それまではいていた衣服、履物はそこに置いて、現地に向かうため専用のサンダルに履き替えます。それから、現地毎のテントが用意されていて、そこで「点呼」を受けます。それぞれの現地(農場)ごとにチームリーダーがいます。このチームリーダーが大切な役割を担います。
現地にもって行く飲料も移動用のバスに積み込み(大量です!)、それぞれの現地(農場)毎に指定されたバスに乗ります。我々は県外の獣医師のくくりでバスに分乗します。

現地は高鍋町で新富からさらにバスで30分くらいかかるところです。
途中、消毒ポイントで消毒を受けます。ここには、県庁町職員や各県の警察やNOSAI等団体職員が24時間詰めています。

第一日目は連れて行かれる囚人のような気持ちでした。実際何をどうするか分かりませんから何となく不安な気持ちになるものです。現地に着いたら、農場から少し離れた場所に、着替え用のテントが用意されているのでそこでさらに装備します。つまり、ゴーグル、作業用の手袋(2重)、キャップ、長靴、マスクを身に付けます。手袋は2重ですが、それぞれガムテープで巻きます。タイベックス(つなぎ)の両足はガムテープで長靴に固定して、密封します。なお、タイベックスは防疫上2枚重ねて着ます。ここまで装備するとすでに汗が体中充満するので、水分補給をまめにしないと熱中症にかかります。実際体調を崩す方も少なくないようです。

装備が完了したら、タイベックス(つなぎ)に獣医師は「V」、保定の方は「H」などと赤や黄色のスプレーで書きます。タイベックには他に予めマジックで所属、氏名を書いておきます。

これだけそろってやっと農場入りするのでが、農場入りする前にはチームリーダーから本日の作業の概要が説明されます。処分予定頭数や留意事項が話されます。
で、いざ出陣なのでした。何かキンチョーしました。

作業第1日目の農場は総勢100名以上いました・・・

ここでつづきとしましょう。

口蹄疫物語 その2

2010年07月01日 | 口蹄疫
僕らの北海道の班は獣医師6名でした。
6月15日に宮崎に羽田経由で向かいました。
時期的には梅雨で宮崎も雨でした。

空港と市内は意外なほど近く、タクシーに分乗して県庁に行ったのですが、東国原知事ですっかり有名になった県庁は本当に古い建物でした。
防疫作業に当たる人員の受付場所に行きましたが、そこですでに大勢のスタッフがいました。県庁、国、その他関係機関の方です。夜は11時ころまで受付しているそうです。

そこで、所属や職種等の確認が行われ、業務の説明と宿泊場所を教えてもらい、あとは各人宿泊場所に自力でいきます。

我々の宿泊は市内からやや離れたリゾート地のホテルでしたが、無料のリムジンバスで行くことができました。周りはゴルフ場でコンビニや店舗はほとんどなし。まあ、どのみち、外出はできないでしょうから・・・。
後で分かるのですが、宮崎では韓国からの旅行客が非常に多い!韓国でも口蹄疫が発生中なのです。

ともかく、宿泊先に落ち着き、コンビニもないのでホテルの食堂へ。
ホテルでは口蹄疫防疫作業者向けメニューが用意されていて、ホテルにしては比較的安価な値段で夕食が用意されていました。ありがたい。
広い部屋に個室が用意されたこともありがたい。

翌日からの業務に備えて早目に休みました。10時頃就寝。
先発隊からは翌日のシフトというか担当農場は夜中の2時頃にホテルの所定の場所に貼り出されると聞いていましたので、夜中の3時に目が覚め、半信半疑でその貼り出される場所に行きますと、「ありました!」。

僕らが派遣された頃は、最初に口蹄疫が発生した川南町から隣の新富町の農場がメインになってきており、対象はほとんどが「和牛」の大規模農場ばかりでした。
第一日目は第1○5例目発生農場とのこと。肥育牛で飼養規模も確か1300頭くらい。そこに僕の名前がありました。第一日目は我が班は全員同じ農場が指定されていました。

集合は7時20分ホテルロビー集合で朝礼があるとのこと。
自分の担当を確認後再び床に入り、眠れました。

そして、第一日目の作業です。

つづく

ちなみに・・・
写真は保護した後に生まれた子猫の近影です。
大きくなりました。黒いほうの子がまだ行き先未定です。

口蹄疫物語 その1

2010年06月30日 | 口蹄疫
貴重な体験でした。
二度とこのような体験はないでしょう。

これから何回になるか分かりませんが、口蹄疫物語として何度か掲載させていただきます。

癒し系獣医師とは相容れない任務に就きましたが、大げさに言えば国家のためと思い、作業中はなるべく何も考えないで「効率」のみ追求して殺処分しました。これはどの獣医師も同じ気持ちだったと思います。

それでは、その1として・・・

北海道からも農業団体としてすでに2班(1班総員6名程度)獣医師を派遣済みでしたが、管総理の宮崎訪問後急に作業を急ぐこととなり、6月10日に派遣を命じられました。

慌しく出向のための準備を開始したのですが、この「準備」が結構大変なのです。何せ、口蹄疫感染地帯に直に行くのですから、ウィルスを持ち帰ったり、他の地域に撒き散らしてはいけなので、そのための2重3重の準備が必要なのです。

行程予定としては
6月15日 宮崎県に出向
6月16日から22日まで現地任務
6月23日から26日まで、東京でクールダウン
6月27日から7月1日まで自宅待機
なのですが、荷物は「宮崎滞在用」「東京滞在用」「北海道帰還用」に分ける必要があります。つまり、宮崎滞在用のものはすべて現地で廃棄し、東京滞在用のものはあらかじめ、東京に送付しておき、北海道帰還用のものも別に用意する必要があるのです。
つまり、北海道に帰るときはほとんど手ぶらで帰ることになります。
徹底してウイルスの拡散を防御する必要があるのです。

しかも宮崎に入る途中で着替えして、その衣服は密封して帰還するまであけずにいることも必要です。

具体的には
千歳~東京~宮崎のホテル: ホテルで靴、衣服を代えて、脱いだ靴、衣服は密封して置く。これから宮崎では別に衣服で過ごす。

宮崎滞在中:着ていた衣服や履物は帰るときすべて廃棄する

宮崎~東京:密封しておいた衣服や靴で行くが、羽田で別の衣服に着替える。靴も代える。それまで着ていたものは廃棄する。

その後、東京では2回衣服を代える。代えたものは廃棄する。

さらに、北海道に帰るため予め送付しておいた衣服を着る。

まあ、こんな調子です。あまりに複雑で途中で分からなくなりそうでした。

つづく

北海道に帰りました。

2010年06月29日 | 口蹄疫
本日、北海道に戻りました。
4日間東京でクールダウンしましたがが、疲れはあまりとれません。
肉体的にはまだ完全ではない感じです。

我が、ふるさとに癒してもらいます。

6月15日に宮崎に出発して、16日から22日までの予定が24日まで延期になり、25日に現地を離れました。
この10日間は一生忘れません。
いろいろな意味で勉強になり思うところが大きかったです。

癒し系獣医師とはまったく異なる作業をしていましたが、これから何回かに分けて紹介させていただきます。

大げさに言えば、生命とはなにか、生きるとは何かということに少し対峙した気持ちです。

現地からはPCでの更新もままならなかったので書くことはたくさんあるように思います。

今日は早めに休みます。

あっ、サッカーあるか・・・

クールダウンその二

2010年06月27日 | 口蹄疫
クールダウン中は余り出かけてはいけないのでホテルにいますが、ホテルを変える時のチエックインまでの時間つぶしはスタバで読書です。

東京は梅雨でそんなに暑くないです。北海道の暑さには驚きました。

することも余りなく、時間をもてあましています。

早く北海道に帰りたいです。

クールダウン

2010年06月26日 | 口蹄疫
東京でクールダウンです。
買い物以外は外出しません。
昨日は頭痛がして、直ぐに休みました。

疑似患畜を最後に処分したのは、僕がいた現場であったことをニースで知りました。

振り替える余裕もなく、怒涛の日々でした。

東京に来て、一気に気がねけました。頭痛は現場での後遺症かも。

携帯が使えるようになったので、よかった。

詳細は札幌に帰ってから報告します。

今は社会復帰に向けてクールダウンです。

口蹄疫の延長も終わり

2010年06月24日 | 口蹄疫
最終日は晴天でしかも、わが班は500頭の処分を終え県全体の擬似患畜にめどをつけました。
非常に精神的にも疲れましたが、怪我なく終えることができました。

最後に本当に最後に黙祷しました。

今は、空の牛舎を見て、飼い主さんの気持ちが痛いほど分かりました。
本当に家畜は無念だったと思うます。
処分するときは目を見ないようにしていました。

明日からは東京の某所で缶詰状態でひたすら体を休め、洗う日が4日間続きます。

皆さん、励ましのお言葉ありがとうございました。
感謝いたします。

それでは。

口蹄疫最終日

2010年06月22日 | 口蹄疫
今日は予定の最終日でした。
和牛の山の上にある牧場で、821頭の尊い命を絶ちました。

最後に命をまっとうできなかった、牛たちに皆で全霊で黙祷しました。

作業が終わり、消毒して来ていたものをパンツ以外すべて脱ぎ、着替えのテントに向かう道すがら鳥のさえずりを聞きながら、なんとなく充実感をもって帰ったのです。

しかし、新富の本部で対策本部から「北海道のNOSAIの先生には2日延長願えないかと」。

ということで明日から2日延長です。(泣)

5名残って、さらにがんばります。