日本男道記

ある日本男子の生き様

徒然草 第十九段

2019年10月29日 | 徒然草を読む


【原文】
  折節の移り変るこそ、ものごとにあはれなれ。

 「もののあはれは秋こそまされ」と人ごとに言ふめれど、それもさるものにて、今一きは心も浮き立つものは、春のけしきにこそあんめれ。鳥の声などもことの外に春めきて、のどやかなる日影に墻根かきねの草萌えいづる頃より、やや春深く霞みわたりて、花もやうやうけしきだつ程こそあれ、折しも、雨風うちつづきて、心あわたゝしく散り過ぎぬ、青葉になりゆくまで、万に、ただ、心をのみぞ悩ます。花橘はなたちばなは名にこそ負へれ、なほ、梅の匂にほひにぞ、古の事も、立ちかへり恋しう思ひ出でらるゝ。山吹の清げに、藤ふぢのおぼつかなきさましたる、すべて、思ひ捨てがたきこと多し。

 「灌仏くわんぶつの比、祭の比、若葉の、梢こずゑ涼しげに茂りゆくほどこそ、世のあはれも、人の恋しさもまされ」と人の仰せられしこそ、げにさるものなれ。五月さつき、菖蒲あやめふく比、早苗さなへとる比ころ、水鶏くひなの叩くなど、心ぼそからぬかは。六月みなづきの比ころ、あやしき家に夕顔ゆうがほの白く見えて、蚊遣火かやりびふすぶるも、あはれなり。六月祓みなづきばらへ、またをかし。

 七夕たなばた祭るこそなまめかしけれ。やうやう夜寒よさむになるほど、雁かり鳴きてくる比、萩の下葉したば色づくほど、早稲田わさだ刈かり干ほすなど、とり集めたる事は、秋のみぞ多かる。また、野分のわきの朝あしたこそをかしけれ。言ひつゞくれば、みな源氏物語げんじのものがたり・枕草子まくらざうしなどにこと古りにたれど、同じ事、また、いまさらに言はじとにもあらず。おぼしき事言はぬは腹ふくるゝわざなれば、筆にまかせつゝあぢきなきすさびにて、かつ破やり捨つべきものなれば、人の見るべきにもあらず。

 さて、冬枯のけしきこそ、秋にはをさをさ劣るまじけれ。汀みぎはの草に紅葉の散り止まりて、霜しもいと白うおける朝あした、遣水やりみずより烟けぶりの立つこそをかしけれ。年の暮れ果てて、人ごとに急ぎあへるころぞ、またなくあはれなる。すさまじきものにして見る人もなき月の寒けく澄める、廿日余り空こそ、心ぼそきものなれ。御仏名おぶつみやう、荷前のさきの使つかひ立つなどぞ、あはれにやんごとなき。公事くじども繋く、春の急ぎにとり重ねて催し行はるゝさまぞ、いみじきや。追儺ついなより四方拝しはうはいに続くこそ面白おもしろけれ。晦日つごもりの夜、いたう闇くらきに、松どもともして、夜半よなか過ぐるまで、人の、門かど叩き、走りありきて、何事にかあらん、ことことしくのゝしりて、足を空そらに惑ふが、暁がたより、さすがに音なくなりぬるこそ、年の名残なごりも心ぼそけれ。亡き人のくる夜とて魂たま祭るわざは、このごろ都にはなきを、東あづまのかたには、なほする事にてありしこそ、あはれなりしか。

 かくて明けゆく空のけしき、昨日に変りたりとは見えねど、ひきかへめづらしき心地ぞする。大路おほちのさま、松立てわたして、はなやかにうれしげなるこそ、またあはれなれ。 
 
【現代語訳】
  巡る季節に心が奪われてしまう。

 「心が浮き立つのは秋が一番」と、誰でも言いそうで、そんな気もするが、心が空いっぱいに広がるのは春の瞬間だ。鳥の鳴き声は春めいて、ぽかぽかの太陽を浴びた花畑が発芽すれば、だんだん春も本番になる。霞のベールで包まれていた花々の蕾が少しずつ開きかけた刹那の雨風に花びらは彗星のように散っていく。桜が毒々しく青葉を広げる頃まで、様々なことにふわふわして切ない。「橘の花の香りは昔のことを思い出す」という短歌もあったが、やはり梅の香の方が、記憶をフラッシュバックさせ、恋しく切ない気持ちにさせる。山吹の花が青春時代のように咲き乱れ、藤の花がゆらゆらと消えそうに咲いているのを見ると、記憶を忘却すること自体もったいなく感じる。

 「釈尊の誕生日の頃、それから葵祭りの頃、若葉の梢が涼しそうに茂っている頃になると、世界との関係を思って人恋しくなり心臓が破裂しそうだ」と誰かが言っていたが、本当にそうだと思う。端午の節句に菖蒲の花を屋根から下げる頃、田植えをする頃、クイナが戸を叩くように鳴き叫んだりして、心細くさせないものは何一つとしてない。六月、荒ら屋に夕顔の花が白く見え隠れする陰で、蚊取り線香の煙がゆらゆら揺れているのは、郷愁を誘う。六月の最後の日に水辺で神様に汚れた世間を掃除してもらう儀式は、不思議で面白い。

 七夕祭りもゴージャスだ。だんだんと夜が寒くなる頃、雁が北の空から鳴きながら渡ってくる頃、萩の葉が赤く染まる頃、最初の稲を刈って天日干しにしたりして、心奪われることが一遍に過ぎ去っていくのは、秋の季節に多い。大地を切り裂く秋風の翌朝は、これも不思議な気分がする。このまま書き続ければ『源氏物語』や『枕草子』に書き尽くされた事の二番煎じになるだけだが「同じことを二回書いてはいけない」という掟はないのだから筆にまかせる。思ったことを言わないで我慢すれば、お腹がふくれて窒息してしまうに違いないからだ。筆が自動的に動いているだけで、ちっぽけな自慰のようなものであって、丸めてゴミ箱に捨ててしまうようなものだから、これは自分専用なのである。

 ところで、冬の枯れ果てた風景だって、秋の景色に劣ることもない。池の水面にもみじの葉が敷きつめられ、霜柱が真っ白に生えている朝、庭に水を運ぶ水路から湯気が出ているのを見るとわくわくした気分になる。年が暮れてしまって、誰もが忙しそうにしている頃は、特別に煌びやかである。殺風景なものの象徴として、誰もが見向きもしない冬のお月様は、冷たく澄みわたった二十日過ぎの夜空で淋しそうに光っている。宮中での懺悔や断罪、墓参りの貢ぎ物が出発する姿は、心から頭が下がる。宮中の儀式が次から次へとあり、新春の準備もしなくてはいけないのは、大変そうだ。大晦日に鬼やらいをし、すぐに一般参賀が続くのも面白い。大晦日の夜、暗闇をライトアップして、朝まで他人の家の門を叩いて走り回り、何がしたいのかわからないけど、「ガー、ピー」と騒ぎ立て、蠅のように飛び回っている人たちも、夜明け前には疲れ果てて大人しくなり、年が去っていく淋しさを思わせる。精霊が降臨する夜だから鎮魂をするということも、もう都会では皆無だが、関東の田舎で続いているのだから感激だ。

 こうして、元旦の夜明けは、見た目に普段の朝と変わりないが、状況がいつもと違うので特別な心地がする。表通りの様子も松の木を立てて、きらきらと嬉しそうに笑っているから、格別である。 

◆鎌倉末期の随筆。吉田兼好著。上下2巻,244段からなる。1317年(文保1)から1331年(元弘1)の間に成立したか。その間,幾つかのまとまった段が少しずつ執筆され,それが編集されて現在見るような形態になったと考えられる。それらを通じて一貫した筋はなく,連歌的ともいうべき配列方法がとられている。形式は《枕草子》を模倣しているが,内容は,作者の見聞談,感想,実用知識,有職の心得など多彩であり,仏教の厭世思想を根底にもち,人生論的色彩を濃くしている。

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