
【原文】
七日。今日、川尻に船入りたちて、漕ぎ上るに、川の水干て、悩みわづらふ。船の上ること、いとかたし。
かかるあひだに、船君の病者、もとよりこちごちしき人にて、かうやうのこと、さらに知らざりけり。かかれども、淡路専の歌にめでて、みやこ誇りにもやあらむ、からくして、あやしき歌ひねり出だせり。その来と来ては、川上り路の水を浅み船もわが身もなづむ今日かな
これは病をすればよめるなるべし。一歌にことの飽かねば、いま一つ、
とくと思ふ船悩ますはわがために水の心の浅きなりけり
この歌は、みやこ近くなりぬる喜びに堪へずして、いへるなるべし。「淡路の御の歌に劣れり。ねたき。いはざらましものを」と、悔しがるうちに、夜(になりて寝にけり。
【現代語訳】
七日。今日、河口に船が入り進んで、漕ぎ上がったが、川の水が枯れていて少なく進みづらい。船が遡るのはとても難しい。 そんな時に、病気の船君は、もともと風流など解さない人で、和歌を詠むなどということは、まったく関心がなかったのだが、淡路の婆さんの歌に感心し、都近くになって元気も出てきたのだろう。苦心して妙な歌をひねりだした。その歌は、 来(き)と来(き)ては… (やっとのことでここまで来るには来たが、川を上る水路の水が浅くて、船も私自身も難渋する今日だよなあ) この歌は、自分も病にかかったから詠んだのだろう。一首では気持ちがおさまらなかったのだろうか、いま一つ、 とくと思ふ… (早く早くと思う船をこれほどまでに進みづらくさせるのは、水が浅いからでもあり、私に対する川の水の思いやりが浅いからでもある) この歌は、都が近くなってきている喜びに堪えきれず、詠んだものだろう。「淡路の御の歌に劣る。いまいましい。言わなければよかったものを」と、悔しがっているうちに夜になり寝てしまった。 |
◆『土佐日記』(とさにっき)は、平安時代に成立した日本最古の日記文学のひとつ。紀貫之が土佐国から京に帰る最中に起きた出来事を諧謔を交えて綴った内容を持つ。成立時期は未詳だが、承平5年(934年)後半といわれる。古くは『土左日記』と表記され、「とさの日記」と読んだ。