
【原文】
ここに、昔へ人の母、一日片時も忘れねばよめる、
住江に船さし寄せよ忘草しるしありやと摘みて行くべく
となむ。うつたへに忘れなむとにはあらで、恋しき心地、しばしやすめて、またも恋ふる力にせむ、となるべし。
かくいひて、ながめつつ来るあひだに、ゆくりなく風吹きて、漕げども漕げども、後へ退きに退きて、ほとほとしくうちはめつべし。梶取のいはく、「この住吉の明神は、例の神ぞかし。ほしき物ぞおはすらむ」とは、いまめくものか。さて、「幣を奉り給え」といふ。
【現代語訳】
その時に、亡くなった娘の母が、一日一時間も忘れることができずによんだ歌は、 住江に… (住吉の岸にしばし船を寄せておくれ。亡くなった子の恋しさを忘れる効き目があるかどうか、忘れ草を摘んでいきたいから) というものだった。 けっして、亡き娘を忘れたいと希望しているのではなく、恋しがる気持ちをしばらく休めて、またいずれ、恋しく思ふ力にしよう、というのであろう。 このように言って、思いにふけりながらやってくるうちに、思いがけなく、風が吹き、漕げども漕げども、船は後ろへ退き退きして、あやうく、海にはまりこんでしまいそうである。船頭が言うには、「この住吉の明神は、例の神ですよ。何かほしいものがおありなのでしょう」とは、なんと当世風であることよ。そして 御幣をさしあげてください」と言う。 |
◆『土佐日記』(とさにっき)は、平安時代に成立した日本最古の日記文学のひとつ。紀貫之が土佐国から京に帰る最中に起きた出来事を諧謔を交えて綴った内容を持つ。成立時期は未詳だが、承平5年(934年)後半といわれる。古くは『土左日記』と表記され、「とさの日記」と読んだ。