
【原文】
女は、髪のめでたからんこそ、人の目立つべかンめれ、人のほど・心ばへなどは、もの言ひたるけはひにこそ、物越にも知らるれ。
ことにふれて、うちあるさまにも人の心を惑はし、すべて、女の、うちとけたる寝いも寝ねず、身を惜とも思ひたらず、堪ふべくもあらぬわざにもよく堪へしのぶは、ただ、色を思ふがゆゑなり。
まことに、愛著の道、その根深く、源とほし。六塵の楽欲げうよく多しといへども、みな厭離しつべし。その中に、たゞ、かの惑のひとつ止めがたきのみぞ、老いたるも、若きも、智あるも、愚かなるも、変る所なしと見ゆる。
されば、女の髪すぢを縒れる綱には、大象もよく繋がれ、女のはける足駄にて作れる笛には、秋の鹿、必かならず寄よるとぞ言ひ伝へ侍る。自ら戒めて、恐るべく、慎むべきは、この惑なり。
ことにふれて、うちあるさまにも人の心を惑はし、すべて、女の、うちとけたる寝いも寝ねず、身を惜とも思ひたらず、堪ふべくもあらぬわざにもよく堪へしのぶは、ただ、色を思ふがゆゑなり。
まことに、愛著の道、その根深く、源とほし。六塵の楽欲げうよく多しといへども、みな厭離しつべし。その中に、たゞ、かの惑のひとつ止めがたきのみぞ、老いたるも、若きも、智あるも、愚かなるも、変る所なしと見ゆる。
されば、女の髪すぢを縒れる綱には、大象もよく繋がれ、女のはける足駄にて作れる笛には、秋の鹿、必かならず寄よるとぞ言ひ伝へ侍る。自ら戒めて、恐るべく、慎むべきは、この惑なり。
【現代語訳】
女の子の髪の毛はなんてハラショーなのだろう。男の子だったら、みんなが夢中になってしまう。けれども、女の子の性格だとか人柄は、障子やすだれ越しに少しお話しただけでもわかってしまうものだ。
ささいなことで女の子が無邪気に振る舞ったりしただけでも、男の子はメロメロになってしまう。そして女の子が、ほとんどぐっすりと眠ったりはしないで「わたしの体なんてどうなってもいいの」と思いながら普通なら辛抱たまらんことにも健気に対応しているのは一途に男の子への愛欲を想っているからなのである。
人を恋するということは、自分の意志で作り出しているものじゃないから、止まらない気持ちを抑えることはどうにもできない。人間には、見たい、聞きたい、匂いかぎたい、舐めたい、触りたい、妄想、という六つの欲望があるけれども、これらは、百歩ゆずれば我慢できなくもない。しかし、その中でもどうしても我慢できないことは、女の子を想って切なくなってしまうことである。死にそうな爺さんでも、青二才でも、知識人と呼ばれる人でも、コンビニにたむろしている人でも、なんら違いがないように思われる。
だから「女の子の髪の毛を編んで作った縄には、ぞうさんをしっかり繋いでおくことができ、女の子の足のにおいがする靴で作った笛の音には、秋に浮かれている鹿さんが、きっと寄ってくる」と言い伝えられているのだ。男の子が気をつけて「恐ろしい」と思い、身につまされなくちゃいけない事は、こういった恋愛や女の子の誘惑なのである。
女の子の髪の毛はなんてハラショーなのだろう。男の子だったら、みんなが夢中になってしまう。けれども、女の子の性格だとか人柄は、障子やすだれ越しに少しお話しただけでもわかってしまうものだ。
ささいなことで女の子が無邪気に振る舞ったりしただけでも、男の子はメロメロになってしまう。そして女の子が、ほとんどぐっすりと眠ったりはしないで「わたしの体なんてどうなってもいいの」と思いながら普通なら辛抱たまらんことにも健気に対応しているのは一途に男の子への愛欲を想っているからなのである。
人を恋するということは、自分の意志で作り出しているものじゃないから、止まらない気持ちを抑えることはどうにもできない。人間には、見たい、聞きたい、匂いかぎたい、舐めたい、触りたい、妄想、という六つの欲望があるけれども、これらは、百歩ゆずれば我慢できなくもない。しかし、その中でもどうしても我慢できないことは、女の子を想って切なくなってしまうことである。死にそうな爺さんでも、青二才でも、知識人と呼ばれる人でも、コンビニにたむろしている人でも、なんら違いがないように思われる。
だから「女の子の髪の毛を編んで作った縄には、ぞうさんをしっかり繋いでおくことができ、女の子の足のにおいがする靴で作った笛の音には、秋に浮かれている鹿さんが、きっと寄ってくる」と言い伝えられているのだ。男の子が気をつけて「恐ろしい」と思い、身につまされなくちゃいけない事は、こういった恋愛や女の子の誘惑なのである。
◆鎌倉末期の随筆。吉田兼好著。上下2巻,244段からなる。1317年(文保1)から1331年(元弘1)の間に成立したか。その間,幾つかのまとまった段が少しずつ執筆され,それが編集されて現在見るような形態になったと考えられる。それらを通じて一貫した筋はなく,連歌的ともいうべき配列方法がとられている。形式は《枕草子》を模倣しているが,内容は,作者の見聞談,感想,実用知識,有職の心得など多彩であり,仏教の厭世思想を根底にもち,人生論的色彩を濃くしている。