不良おやじの小言

思いのまま、自分で考え 人の生きる人生を認めた上で 

自由に、のびのびと、たった一度の人生

憲法と自衛隊

2009年04月19日 | 軍と侵略・占領の歴史



憲法と自衛隊



戦前の特高警察(秘密警察)は日本国民の間に町内会等を利用し、
情報網を作り、国民同士が疑いあう、暗黒の国民相互監視網と密告網を作りました。

内容は下記の通りです。

「無政府主義者による天皇暗殺計画とされた大逆事件(幸徳事件)を受け、1911年、警視庁に、
従来あった政治運動対象の高等警察から分かれて、社会運動対象の特別高等警察課が設置された。
これが特別高等警察の始まりである。この時、地方長官や警察部長などを介さず、
内務省警保局保安課の直接指揮下に置かれた。1913年の警視庁官制の改正によって、
特別高等警察・外事警察・労働争議調停の三部門を担当する課として位置づけられた。

日本共産党成立の翌年、1923年には、
大阪府や京都府といった主要9府県の警察部にも特別高等課が設けられ、
1925年には治安維持法が制定され取り締まりの法的根拠が整備された。三・一五事件を受け、
1928には「赤化への恐怖」を理由に全府県に特別高等課が設けられ、
また主な警察署には特別高等係が配置され、
全国的な組織網が確立された。1932年に警視庁の特別高等警察課は特別高等警察部に昇格する。

日本が戦時色を強めるにつれ、反戦運動や統制経済に対する弾圧・監視も行われるようになった。
これに先立つ1933年には小林多喜二を殺害するなど、拷問を行った。第二次世界大戦中には、
横浜事件などの言論弾圧といわれる事件を惹き起こした。
また、「鵜の目鷹の目」の監視網と密告網を張り巡らせた。
特高警察を指揮した内務官僚には、安倍源基や町村金五(町村信孝の父)などがいる。
戦後間もない1945年10月4日に、GHQの指令により、治安維持法と共に廃止された。
特高警察に関連する官僚たちは、ほとんどが他の機関と同様に公職追放されたが、
GHQの占領政策の転換に伴う公職追放者の処分解除(いわゆる「逆コース」)で、
後に旧自治省・警視庁・公安調査庁、日本育英会などの上級幹部職に復職していった。
また、GHQの占領政策において、社会主義運動に対する制限が設けられた事もあって、
特高警察から問責・処罰の対象となった者は無かった。
逆に元特高警察関係者は、GHQの手によってレッドパージの先鋒の任を与えられ役目を果たしたのである。
また、政界への転身者も多く、柳河瀬精によれば国会議員だけで衆議院41人、
参議院13人に上っている。」
----ウィキペディア(Wikipedia)より

戦後朝鮮戦争勃発等により、ロシアや中国の共産党進出を食い止めるため、
GHQは急に方向転換を図りました。
その結果憲法違反と思われる警察予備隊(後の自衛隊)などという中途半端な軍隊を作り、
上記のように、戦前の戦争指導者の中心者は戦争の責任も取らず、反省もなく、
特高警察員がまた同じ警察官僚に返り咲いたり、
その他の戦前官僚も多くが返り咲き、政治家にもなっていきました。

その中で、憲法9条の問題ですが、マッカーサーやGHQ司令部の憲法草案の主旨、
文面から言うと明らかに自衛隊は憲法違反だと思います。
『第9条 日本国民は、正義と秩序を基調とする国際平和を誠実に希求し、国権の発動たる戦争と、
武力による威嚇又は武力の行使は、国際紛争を解決する手段としては、永久にこれを放棄する。
2 前項の目的を達するため、陸海空軍その他の戦力は、これを保持しない。
国の交戦権は、これを認めない。』

この憲法の成立過程によれば、もともと自衛隊の合憲には無理があったのです。その順序を追うと、
下記のようになります。

「1946年2月3日マッカーサーによって司令部が憲法草案を起草するに際して守るべき3原則を指示

1、天皇は国家の元首の地位にある。皇位は世襲される。天皇の職務および権能は、
憲法に基づき行使され、憲法に表明された国民の基本的意思に応えるものとする。

2、国権の発動たる戦争は、廃止する。日本は、紛争解決のための手段としての戦争、
さらに自己の安全を保持するための手段としての戦争をも、放棄する。日本はその防衛と保護を、
今や世界を動かしつつある崇高な理想に委ねる。日本が陸海空軍を持つ権能は、
将来も与えられることはなく、
交戦権が日本軍に与えられることもない。

3、日本の封建制度は廃止される。貴族の権利は、皇族を除き、
現在生存する者一代以上には及ばない。
華族の地位は、今後どのような国民的または市民的な政治権力を伴うものではない。
予算の型は、イギリスの制度に倣うこと。」
----ウィキペディア(Wikipedia)より

1946年11月3日 憲法公布

1947年5月3日 憲法施行

1950年6月25日 朝鮮戦争勃発

1950年8月10日 GHQにより警察予備隊設立

1952年4月28日 サンフランシスコ条約の発行により憲法効力発生

1952年10月15日 保安隊として政府が改組

1953年7月27日 朝鮮戦争停戦

この年代を見るとマッカーサーのあわてぶりが見てとれます。

当初戦争や兵器は日本には絶対持たせないつもりで、
自国の防衛と保護は世界を動かしつつある崇高な理想に委ねると指示し,
憲法草案を司令部で作らせ、憲法を1947年5月3日に施行したのです。

その後に朝鮮戦争が勃発し、まだ占領下で憲法が発効していないという理由で、
共産圏の進出を恐れ、GHQは警察予備隊をつくってしまったのです。
それが戦争の反省がないままの、戦前の戦争指導者達を日本の政治に呼び戻してしまいました。

そしてその後サンフランシスコ条約の発効により、憲法も発効しますから、
政府に判断を任せたことにし、保安隊(後の自衛隊)として改組させたのです。
こうして日本自身の戦争の反省もないまま、中途半端な軍隊の自衛隊が出来上がってしまいました。

ですからもともと合憲であるわけがありません。それが憲法9条論争となっています。
政府は無理なこじつけで自衛隊を無理にみとめざるを得ない状態なのです。
それでは憲法改正すればいいではないかということなのですが。施行された日本国憲法は

第96条 この憲法の改正は、各議院の総議員の3分の2以上の賛成で、国会が、これを発議し、
国民に提案してその承認を経なければならない。
この承認には、特別の国民投票又は国会の定める選挙の際行はれる投票において、
その過半数の賛成を必要とする。

2 憲法改正について前項の承認を経たときは、天皇は、国民の名で、
この憲法と一体を成すものとして、直ちにこれを公布する
としており改正はかなりハードルが高いのです。
特に出席議員ではなく総議員の3分の2以上の賛成となっており、
そして国民投票の過半数となっています。
私個人では、憲法改正は余り必要ないと思っています。何故なら、
今の行政や国会は9条やそれ以外にも、
たくさんの憲法違反と思われることをしています。自衛隊の無理な合憲を認めてから後、
エスカレートし,何でも屁理屈をつけて特別法とか、時限立法とかおこない、
憲法を余り重視していません。そして憲法解釈になると

第98条 「この憲法は、国の最高法規であつて、
その条規に反する法律、命令、詔勅及び国務に関するその他の行為の全部又は一部は、
その効力を有しない。」
となっているにもかかわらず、ブランダイス・ルールとか何とか難しいアメリカの先例を理由にし、
高度な政治判断として最高裁は判断を逃げてしまいます。
そのほかに、20条の宗教の違反問題はどうでしょう?高度な政治判断でしょうか?
そんな行政や国会に憲法改正を任せたら、憲法改悪になるような気がします。
戦前の暗黒の国民相互の監視体制や徴兵制に戻りたくないなら、
国民は憲法改正について慎重に見守る必要があります。
憲法を改悪にするのも、ちゃんとした改正にするのも、
今からの日本を担ってゆく国民一人一人の意識の問題と思います。

下記は第二次世界戦争で亡くなった、特攻隊員の遺書を調べた人が無記名で、
インターネットに掲載されたものです。
私も下記の他に鹿児島の知覧の特攻平和会館や沖縄等で多くの遺書を拝見しましたが、
本音も書けず、同じような文面で思わず涙し、心痛むものがありました。
わたしの母の兄も海軍の学徒出陣によりレイテ沖で若くして亡くなりました。

「※当時、機密保持上、正式には遺書は検閲された
限られた条件の中で 思いの内を書き残された

また敗戦後
米軍が彼らを苦しめた特攻隊関係の資料を持っている人を徹底的に処断するという噂が流れた
その噂から 遺書や遺品があちこちで焼却処分された
その中でも、自らに危険が及ぶ可能性がありつつ遺書・遺品を懐に抱くように大事に隠し
持っていた方々がいた それが今  私たちの目に触れ、心を打つ

謹啓 御両親様には

相変わらず御壮健にて御暮しのことと拝察致します 
小生もいらい至極元気にて軍務に精励いたしております
今までの御無沙汰致したことをお詫び致します
本日をもって私もふたたび特攻隊員に編成され出撃致します 
出撃の寸前の暇をみて一筆走らせています
この世に生をうけていらい十有余年の間の御礼を申し上げます 沖縄の敵空母にみごと体当りし 
君恩に報ずる覚悟であります
男子の本懐これにすぎるものが他にありましょうか
護国の花と立派に散華致します 私は二十歳をもって君子身命をささげます
お父さん、お母さん泣かないで 決して泣いてはいやです ほめてやって下さい
家内そろって何時までもいつまでも御幸福に暮して下さい
生前の御礼を申上げます 
私の小使いが少しありますから他人に頼んで御送り致します何かの足しにでもして下さい
近所の人々、親族、知人に、小学校時代の先生によろしく、妹にも 後はお願い致します
では靖国へまいります
四月六日午前十一時記す
昭和20年4月7日
松尾 巧 享年20才

父母上様
お父さんお母さん 清も立派な特別攻撃隊員として出撃することになりました
思へば二十有余年の間、父母のお手の中に育つた事を考へると
感謝の念で一杯です 全く自分程幸福な生活をすごした者は外に無いと信じ
この御恩を君と父に返す覚悟です
あの悠々たる白雲の間を越えて 坦々たる気持で私は出撃して征きます
生と死と何れの考へも浮かびません 人は一度は死するもの
悠久の大義に生きる光栄の日は今を残してありません
父母上様もこの私の為に喜んで下さい
殊に母上様には御健康に注意なされ御暮らし下さる様
なほ又、皆々様の御繁栄を祈ります
清は靖國神社に居ると共に
何時も何時も父母上様の周囲で幸福を祈りつつ暮らしてをります
清は微笑んで征きます 出撃の日も、そして永遠に
小川 清 24歳

今度攻撃命令を拝して 出撃することになりました
日本男子の本懐これに過ぐることなく 喜びに耐えません
父上様方も聞かれましたら さぞかしご満足されることでしょう
今更言う事はありませんが 一寸の孝行もせず
ただただ二十年の人生を育てて下された父上様、母上様、祖母様方に
何とお詫び申し上げてよいか判りません
まだ戦争に行ったことがないので不安な点もありますが 弾が命中したら
必ずや敵の空母を撃沈します  突然でさぞかし驚かれると思いますが
立派に男子の本懐を全うします  出発まで時間がありません
一言、最後の言葉を
昭和20年4月7日
清水雅春 18才

待ちに待った晴れの出陣を、明日に控えました 
突然でいささかあわてましたがおおいに張切っておりますので何とぞご安心下さい
生を享けて ここに22年になります なんの恩返しもできず誠に申し訳ありません
なにとぞお許し下さい 国家のために散って征くことを 最大の孝行とお受け下さい
私が戦死したと聞きましたら 赤飯をたき 黒い着物など着ず
万歳と叫んで喜んで遺骨を迎えて下さい たぶん骨はないものと思いますから体操シャツを一枚送ります
これは昭和十七年七月十一日土浦航空隊に天皇陛下が行幸されたときに使用した記念すべき品です 
私と思って大切にして下さい  今となって別に言い残すことはありません
とにかく、命のあるうちは徹底的に頑張り抜く覚悟でおります
必ずや、敵空母の一隻や二隻は沈めて見せるつもりです
取急ぎ乱筆になりました 感無量で何も書けません これでペンを措きます
ずいぶんとお元気で いつまでも暮らして下さい  小父さん、小母さんたちによろしく
ではご機嫌よう さようなら
 母上様
昭和20年2月21日
小松 武 22才

素子、素子は私の顔を見てよく笑ひましたよ 私の腕の中で眠りもしたし
またお風呂に入つたこともありました 素子が大きくなつて私のことが知りたいときはお前のお母さん 
佳代叔母様に私の事をよくお聴きなさい
私の写真帳もお前の為に家に残してあります 素子という名前は私がつけたのです
素直な、心の優しい、思ひやりの深い人になるやうにと思つて、お父様が考へたのです
私は、お前が大きくなって 立派な花嫁さんになつて 仕合わせになつたのを見届けたいのですが 
若しお前が私を見知らぬまま死んでしまつても 決して悲しんではなりません
お前が大きくなつて 父に会ひたい時は九段へいらつしゃい 
そして心に深く念ずれば必ずお父様の顔がお前の心の中に浮かびますよ
父はお前は幸福者と思ひます。生まれながらにして父に生きうつしだし
他の人々も素子ちゃんを見ると真久さんに会つている様な気がするとよく申されていた
またお前の伯父様、伯母様は、お前を唯一の希望にしてお前を可愛がつて下さるし
お母さんも亦、ご自身の生涯をかけて只々素子の幸福のみを念じて生き抜いて下さるのです 
必ず私に万一のことがあつても親なし児などと思つてはなりません
父は常に素子の身辺を護って居ります 優しくて人に可愛がられる人になつて下さい
お前が大きくなつて私の事を考へ始めたときに この手紙を読んで貰ひなさい
昭和十九年○月吉日
植村素子へ
追伸、素子が生まれた時おもちゃにしていた人形は
お父さんが頂いて自分の飛行機にお守りにしております
だから素子はお父さんと一緒にいたわけです
素子が知らずにいると困りますから教へてあげます
植村 眞久 25才」


生き残りの戦争指導者の方その子孫の方また現在の憲法改正賛成論の皆様、
彼らの文面にあらわれていない「戦争でなぜ私達が死ななければならないの?
何故あなたは死なないの?」の思いはどう解決しますか?

また、憲法改正して徴兵制度を復活し、召集令状の赤紙を発行し、
戦前の公安制度を復活させたいのですか?戦争指導者達は、今度は後方指揮だけでなく、
率先垂範でトップ自ら、前線に行くことは、当然求められて当たり前だと思います。
「いざとなったら雲隠れ」は許されません。


たしかに北朝鮮やイラン問題で日本国自衛の問題は難しい局面ですが、
そんなに資源のない日本を滅ぼしても、北朝鮮やイランにメリットはあまりないと思いますが?
ただアメリカとそれらの国との間に日本がありますので、巻き込まれる可能性はありますが? 
国民一人一人の判断ですね。

今の世界の混乱を見ていると、欧米や日本、中国、ロシア等、各国の一部の人で、
まだ世の中の経験が少ない成績だけ優秀な、大学卒業20歳代前半出身者で、
将来も試験でトップを決定し、
構成してしまう、官僚エリート指導体制が全世界的にひずみを起こし、
機能しなくなっているのではないでしょうか?
日本では、それが○×式や択一の試験を作る人の問題か、受験者本人の問題かはわかりませんが?
一つには、政治に携わる政治家と官僚のエリート意識が、
現場というか庶民感覚と相当ずれてきているのではないかということは容易に想像できます。
もともとずれているのかも知れませんが?

また一つには、各政府や国会内の権力保持者との、あの手この手の金に絡む、
政治家・官僚の汚職も深刻なものがあります。
もう一つはよくわかりませんが、短絡的に正しいかどうかもわからないまま、
アメリカを中心とする自由主義経済圏だけで、
いまはグローバルスタンダード経済の時代として世界を語るような変な経済論者や、
金融にゲーム感覚の工学論者が出てきたりしています。
こちらの金融エリートたちの考え・思想も、国家単位での金融危機を招いたり、
膨大なバクチ的信用取引のバーチャル(仮想)市場を形成したりして混乱を招いているような気がします。

全世界の人種・民族問題、政治体制問題、宗教問題、格差の問題、
市場経済問題、貨幣の問題、為替の問題等が、
まだグローバルスタンダード化がされていないことは、誰の目にも明らかなのですが。
そして一般人民はある程度この体制に流され、あきらめているのではないでしょうか?
そんな気がするのは、若いころ遊んでばかりいて勉強しなかった
落ちこぼれの不良おやじのコンプレックスとひがみかもしれませんが?
寅さんのように言うと、庶民よ弱者よ、もっと強くなれ!ですかね
コメント    この記事についてブログを書く
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする
« 選挙と民主主義 | トップ | エリートと汚職 »
最新の画像もっと見る

コメントを投稿

軍と侵略・占領の歴史」カテゴリの最新記事