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富戸は400年近く前(江戸時代初期。1726年頃)からボラ漁が盛んだった。獲れたボラは住民の蛋白源となるほか、徳川御三家の一つ紀州家へのご用達品や直接将軍家への献上魚として使われた。徳川三代将軍家光公もその美味を楽しんだとも云われる。ボラは又出世魚と言われ縁起のいい魚だった。このため幕府の保護を受けながら富戸のボラ漁は発展/継続された。ぼら納屋には春と秋の漁期に漁師が住み込み迅速な出漁に備えた。ボラ漁は昭和39年ごろまでは続けられたがボラの数も減り現在は行なわれていない。ぼら納屋もレストランに改造されている。
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ボラの大群を見つけると”あんぶね(網舟)”から大網を海に広げ、”くちぶね”が網の入口を両方から持ちボラが網に入り易い様に保つ。ボラが網に近づくと”はしけ舟(4丁櫓の高速舟)”が右に左に走り、漁師は舟腹を叩いてボラを網に追い込む。このとき網の入口付近に待機していた”いきじ舟”と”かいじ舟”が細長い別の網(かけ網と云う)を使ってボラが横に逃げないようにする。更に”はしけ舟”、”いきじ舟”、”かいじ舟”及び何人かの漁師が海に飛び込んでボラを大網に追い込む。頃を見計らって”くちぶね”が網の入口を絞りボラが網から出られなくする。
ボラの水面近くを群れをなして回遊する性質を利用した漁法。一度に何百匹~数千匹を獲る漁法。