ディスカバリー伊豆

伊豆の美しい自然と貴重な歴史物語を徒然なるままに気の向くままに綴りたいと思います。

富戸のぼら納屋

2008-02-09 | 富戸地区

富戸は400年近く前(江戸時代初期。1726年頃)からボラ漁が盛んだった。獲れたボラは住民の蛋白源となるほか、徳川御三家の一つ紀州家へのご用達品や直接将軍家への献上魚として使われた。徳川三代将軍家光公もその美味を楽しんだとも云われる。ボラは又出世魚と言われ縁起のいい魚だった。このため幕府の保護を受けながら富戸のボラ漁は発展/継続された。ぼら納屋には春と秋の漁期に漁師が住み込み迅速な出漁に備えた。ボラ漁は昭和39年ごろまでは続けられたがボラの数も減り現在は行なわれていない。ぼら納屋もレストランに改造されている。


<ボラの漁獲方法>
ボラの大群を見つけると”あんぶね(網舟)”から大網を海に広げ、”くちぶね”が網の入口を両方から持ちボラが網に入り易い様に保つ。ボラが網に近づくと”はしけ舟(4丁櫓の高速舟)”が右に左に走り、漁師は舟腹を叩いてボラを網に追い込む。このとき網の入口付近に待機していた”いきじ舟”と”かいじ舟”が細長い別の網(かけ網と云う)を使ってボラが横に逃げないようにする。更に”はしけ舟”、”いきじ舟”、”かいじ舟”及び何人かの漁師が海に飛び込んでボラを大網に追い込む。頃を見計らって”くちぶね”が網の入口を絞りボラが網から出られなくする。
ボラの水面近くを群れをなして回遊する性質を利用した漁法。一度に何百匹~数千匹を獲る漁法。

富戸の魚見小屋

2008-02-09 | 富戸地区
富戸は江戸時代半ば(1744年頃。徳川8代将軍吉宗の頃)からボラ漁が盛んに行なわれたが、ボラの大群を見張ったりボラを獲るときの指揮をこの小屋で行なった。
現在この魚見小屋は貴重な文化遺産であり静岡県の「有形民族文化財」に指定されている。

富戸の定置網

2008-02-09 | 城ヶ崎海岸
ぼら納屋近くの”まえかど(岬)”~”こずり(岬)”の約100m沖には定置網が置かれています。回遊してくる魚が網(垣網)にあたって方向を変えると網の奥へ奥へと進んで網から出られなくなってしまう構造となっており、一時に大量の魚を捕獲する漁法の一つです。10人程の漁師さんが、毎日、早朝、2隻の漁船で網を引き上げます(第二と第四土曜日は休み)。魚の種類はブリ、アジ、サバ、イワシ、スルメイカなどのほかチヌ、ブダイ、イシダイ、ホウボウなど各種の魚が獲れます。
伊東には富戸のほか宇佐美、川奈、赤沢地区の沿岸にも定置網が敷設されています。


"おおづり”の歌碑

2008-02-09 | 城ヶ崎海岸
城ヶ崎海岸をぼら納屋から門脇灯台の方へ歩き出して間もなくの岬”おおづり”の岩の上に歌人 香川進氏(1910年~1998年)の歌碑があります(ピクニカルコースから微かに見える程度で殆ど気がつきませんが)

1970年沖に見える伊豆大島の御神火を詠んだ句が刻まれています。
『夜の海 うるしの如くうねりゐて 噴く火に明るき島ひとつある』

 (注)香川進は豊かな海を有する香川県出身。多くの海の歌がある。