ディスカバリー伊豆

伊豆の美しい自然と貴重な歴史物語を徒然なるままに気の向くままに綴りたいと思います。

いがいが根

2010-11-16 | 城ヶ崎海岸( 2 )
<いがいが根>
城ヶ崎海岸ピクニカルコースと自然研究路合計9Kmの遊歩道の丁度中間地点に「いがいが根」というところがあります。凡そ4,000年前、大室山の溶岩が海に向かって流れ出し、比較的低く平坦に海に向かって張り出して固まって出来た場所です。「根」とは陸地が海に向かって丁度木の根の様に低く平坦に張り出した(突き出た)場所を言い、ここは「根」の表面(溶岩の表面)がざらざら、ごつごつ、イガイガ(栗のイガ)、素足で歩くと痛々しい感じを抱くので「いがいが根」という名前がついたものと思われます。表面が茶褐色になっているところは溶岩の鉄分が酸化したものです。
ここは海に向かって展望が開けており天気のいい日には大島、利島、新島など伊豆七島が一望できます。

蓮着寺

2010-11-16 | 城ヶ崎海岸( 2 )

<蓮着寺>
日蓮宗の元祖 日蓮上人は今から凡そ750年前の鎌倉時代、法華経を法典とする立正安国論を著し当時の北条幕府に献上しましたが、結局は幕府の反感を招くことになり伊豆に流罪となりました。そして幕府の役人によって城ヶ崎海岸日蓮崎の俎岩の上に置き去りにされましたが、潮の満ちてくる前、間一髪のところで近くに住む漁師舟守弥三郎に助けられました。しばらく伊豆に身を隠し、その後再び鎌倉に帰ることになりましたが、この日蓮上人法難の場所にその後(日蓮上人死後45年)弟子の「日云(ニチウン)」と言うお坊さんが日蓮上人を偲んで小さな堂宇を建てたのが現在の蓮着寺の始まりと言われています。現在の建物は大正の時代(いまから約90年前)に新築されたものです。山号は「俎岩山」。境内にはありし頃の日蓮上人の銅像があります。

俎岩(まないたいわ)

2010-11-15 | 城ヶ崎海岸( 2 )



----日蓮崎(崖上)から見た俎岩---

<俎岩(マナイタイワ)>
今から凡そ750年前の鎌倉時代、「法華経」を唯一の法典となし「南無妙法蓮華経」を唱え「立正安国論」を著した有名なお坊さん”日蓮上人”は幕府の反感を買うことなり捕らえられ伊豆に流罪となりましたが、その時日蓮上人が置き去りにされたと言う岩がこの「俎岩」です。城ヶ崎海岸 日蓮崎の目の前にあります。



灯明台

2010-11-14 | 城ヶ崎海岸( 2 )

ーーーーー(灯明台イメージ)


<日蓮崎の灯明台>
城ヶ崎海岸蓮着寺の近くの日蓮崎の崖上には灯明台(現在の灯台)の跡があります。大正5年(1916年)蓮着寺の住職(田辺日浄和尚)が沖行く船の安全航海の為に石造りの灯明台を建て、毎夜石油ランプの火を灯したということです。


(注)「灯台/灯明台の歴史」についてはここをクリック