ディスカバリー伊豆

伊豆の美しい自然と貴重な歴史物語を徒然なるままに気の向くままに綴りたいと思います。

ゆうまの坂と天神ヶ峯(赤沢)

2013-12-21 | 八幡野・赤沢地区


伊東市八幡野から旧下田道(東浦路)を赤沢方面に向かう時、曽我兄弟仇討ち物語発祥の地として有名な河津三郎祐泰の血塚を過ぎると、道は上り坂になります。この坂を「ゆうまの坂」と言います。この付近は地形的に山の谷間にあたり、昔は竹や木が生い茂り昼尚暗き寂しい場所だったそうです。今でも竹林が見られます。「ゆうま(”ユウマ”とカタカナ書きもする)」と言う由来は、明るい「昼間」に対していつも暗い「夕方」つまり「夕間(ゆうま)」の様だった事からその名が付けられとも言われています。(「夕魔」、「幽魔」から由来したと言う説もあります)

ゆうまの坂には昔悪い狐が住んでいて人をよく騙したと言うことです。ここでいろいろ悪い狐に騙された話が伊東の民話にあります。

ゆうまの坂を上りきり赤沢の方に下っていく途中(現在のルネッサ赤沢施設のある付近)を天神ヶ峯と云います。
下り道の始まる右側に石碑があります。第一次世界大戦に青島で名誉の戦死をされた小山濱吉と言う人を讃える墓碑です。

札場(ふだば)跡

2013-12-05 | 八幡野・赤沢地区
(イメージ)














ふだば(札場)又は高札場とは新聞、テレビ、電話等情報伝達手段のない時代(古くは奈良/平安時代からとも言われていますが主に江戸時代から明治時代の初期まで)国の定める法令を板に書いて往来に立て民衆に知らしめる方法をとりましたが、その立て札(高札)のあったところを云います。八幡野の国道135号線の山側、旧下田道(東浦路)が八幡宮来宮神社方面と伊東方面に分れるところがその跡地と言われています。現在は近くに「フダバ電気(フタバ電気ではありません)」と書かれた建物(民家)がその名を残しているだけで他に札場の跡らしき看板、案内板、痕跡などありません。