ディスカバリー伊豆

伊豆の美しい自然と貴重な歴史物語を徒然なるままに気の向くままに綴りたいと思います。

灯台の歴史

2008-06-20 | 補足説明など
灯台の歴史 
人類が舟(筏や丸太を含む)を使って水の上を物や人を運んだのはこの世に人類が出現したのと略同時期と言われる。その後板などを張り合わせた船の原型ともいえるものが出現したのは今から約6,000年前の紀元前4,000年といわれる。
その頃は目的地へ航海するには山の頂とか岬、大きな木など自然の物を目印としました。その後夜間の航行や沿岸から遠く離れた漁場に出て元の港に帰ってくる為に陸の岬や高いところで火をもやしたり煙を上げることを考えました。これが灯台の原点です。
今から約2,300年前(紀元前279年)エジプトのアレキサンドリア港が栄えたころ、その入口に大理石造りの火を焚く塔が建設されたのが世界で一番早い灯台と云うことです。
日本においては航路標識の歴史としては大阪難波の「みおつくし」が最も古く万葉集にも歌われていますが、火を焚く灯台の原型としては664年(天智天皇)壱岐、対馬、筑紫に「さきもり(防人)」を置いて海岸防備にあたらせましたが、ここで夜はかがり火を焚いて船(主に遣唐使)の航行の標識にしたのが灯台のはじまりといわれています。
その後江戸時代になり石積みの台の上に小屋を建てその中で木を燃やす「かがり屋」とか「灯明台」と呼ばれるものになって行きました。幕末には全国に100余基の灯明台があったといわれます。(海岸近くの神社や寺院の石灯籠など常夜灯が灯台の役目を果たしていたもの多くあり)
日本が現在の様な灯台を建てるようになったのは1866年徳川幕府が米英仏蘭の4ヶ国と江戸条約を結んでからです。これにより以下の8基の灯台が建設されました。
観音埼灯台・・・1869年 日本初の灯台(洋式灯台)
野島埼灯台・・・1870年
樫野埼灯台・・・1870年
神子元島灯台・・1871年
剣埼灯台・・・・1871年
伊王島灯台・・・1871年
佐多岬灯台・・・1871年
潮岬灯台・・・・1873年




キンシバイ

2008-06-11 | 
キンシバイ(金糸梅)

2008年6月伊豆海洋公園入口付近で撮影。松川湖でも多く見る事が出来る花。中国原産で、江戸時代の宝暦10年(1760年)に渡来したといわれる。
(同種のビジョヤナギ又はビヨウヤナギ又は中国名”金糸桃”と大変よく似ているがビジョヤナギの方はおしべが遥かに長い。)

ツルナ

2008-06-09 | 
ツルナ

海岸の砂地に生える多年草。葉が厚く,三角形のような形をしている。葉は食用にもなる。(ゆがいて、おひたし、きざんで、そのまま食べる)
薬用植物としては胃潰瘍、胃酸過多、胃腸カタルに効き目があるとされる。
多年草で茎は地面をはうようにツルの様に伸びることから其の名がある。
  葉が地上を這う・・・・・>ツル  つる性
  葉は食用・・・・・・・・>ナ   菜っ葉
花は、葉と茎の間に、小さく開く。花びらは無く、黄色の花びらのようなものは「ガク」で、その外側は緑色のまま。
英語名: NewZealand Spinach ニュージーランド・ほうれんそう。英国の探検家キャプテンクックがニュージランドの海岸で採取し本国に送って栽培したことから、呼ばれている

三島神社裏のタブの木

2008-06-07 | 富戸地区
三島神社の裏には根周り4m近く高さが20m近い立派な「タブの木」があります。伊東市の名木の一つです。
タブの木には霊が宿ると言われ「タマの木」が「タブの木」と呼ばれる様になったとも言う(他の説もあり)
タブの木の皮は染料(黄八丈)や蚊取り線香の原料になります。







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ジンベエザメ供養塚

2008-06-06 | 富戸地区
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<富戸(払)のジンベエザメ供養塚>
富戸(払地区)の県道の海側、漁協近くの土手に「供養 南無妙法蓮華経」と書かれた高さ3m程の柱がたっている。これは一体何んだろう?
富戸は定置網漁業で有名なところですが、時々「ジンベエザメ(ジンベイザメとも言う)が網に入るそうです。ジンベエザメは大漁をもたらしてくれると言う言い伝えがあって、網にかかったジンベエザメを漁師さんたちは必ず丁寧に海に返してやるそうです。或るとき、一匹のジンベエザメが網にかかりましたが、たいそう弱っていて漁師さんたちが海に返してやる前に死んでしまったそうです。ところがその日から定置網漁は毎日不漁の日が続いたそうです。「これはきっとジンベエザメが往生していないからに違いない」と言う訳で、海岸の近くに塚を作ってジンベエザメを供養したと言うことです。それがこのジンベエザメ供養塚だということです。
因みにジンベエザメはジョーズの様な恐ろしいサメと違って、人になつこく、心まろやかなおとなしいサメだと言うことです。また、軟骨魚類の中では最大の魚で10mもの大きさにもなります。






富戸村落の原点

2008-06-06 | 富戸地区
(Yahoo地図使用)

富戸駅の南西側約500m、線路の山側の山のくぼんだ所に鳥居とその奥に小さな「不動尊」の古い建物がある。ここが富戸の始まりの地と言われている。つまり富戸1丁目1番地である。不動尊の創建は不詳である。不動明王を祀ってある。
(明治になるまでは神仏習合(シンブツシュウゴウ)つまり神道と仏教がチャンポン状態だったので不動尊の前に鳥居がある)


ところで「富戸(フト)」と言う地名の由来は何だろう? 作家で民俗学者の柳田国男氏(明治8年7月31日生~昭和37年8月8日没)著『地名の研究』(角川文庫)153ページを下記に引用します。

”昔の人の感情は驚くべく粗大であった。羞恥という言葉の定義が輸入道徳によって変更せられたまでは、男女ともにその隠し所の名を高い声で呼んでいたらしい。そうしてその痕跡をとどめている地名のごときは、よほど起源の古いものと見てよろしいのである。これも海岸において往往遭遇するフト又はフットという地名は、疑いもなくホドすなわち陰部と同じ語である。
  日向南郡・・・・・
  尾張知多郡・・・・
  伊豆田方郡対島村大字富戸
以上三個のフトは地形が最も顕著に相類似している。・・・(略)”

つまり柳田國男氏によると、その地の地形があたかも二俣大根の如くになっていてその間からは必ず水が流れ出ている、その様な場所や村が「フト」と言われているところは全国たくさんあり、それらは上記の通り「ホド」から由来していると言うものです。

スコリアラフト

2008-06-05 | 補足説明など
大室山麓の北西側、さくらの里の中央付近には大きな岩石と小石の混ざった土(スコリア)とが混ざり合った様な岩の様なものがある。スコリアラフト(Scoria raft)と云う。
これは大室山(スコリア丘)が作られつつある過程(或いは出来上がった直後)にマグマが地中より火道を上昇してきて地表に出て、比重がスコリア(軽石)より大きいので大地とスコリアの間を流れ、このときスコリアの一部をまるで溶岩流の海に浮くスコリアの筏(raft)の様に押し流したものである。スコリアが完全に溶岩でつつまれたものを溶岩ボール(lava ball)と云うことだが,さくらの里のものは溶岩ボールへの漸移型スコリアラフトと云うことです。
2010年(平成22年)5月26日 伊東市の天然記念物に指定されました。


....(注)raft=筏(いかだ)。船舶の「救命筏」はライフラフト(Life-raft)と云う。