ディスカバリー伊豆

伊豆の美しい自然と貴重な歴史物語を徒然なるままに気の向くままに綴りたいと思います。

産毛石

2008-08-06 | 富戸地区
富戸の海岸に”産毛石(又は産衣石)と云う平らな大きな石(岩)があります。今から約850年前、平家によって伊豆に流された源頼朝は伊東の庄、伊東祐親の保護観察下で日々を送っていましたが、伊東祐親の三女八重姫と恋仲となります。二人は愛を重ねるうち「千鶴丸」が生まれました。驚いたのは伊東祐親、平家の怒りを恐れて家来に命じ「千鶴丸」を殺させました。家来は可哀相とは思いつつも御大将の命令とあって「千鶴丸」を伊東のはずれにある八代田の川(現在の伊東市松川上流)に流しました。しかし、余りの惨さに家来は気がとがめ、せめてもと川の近くにあった香りのいい橘(タチバナ)の木の枝を折って「千鶴丸」の両手に握らせました。「千鶴丸」の遺体は川を下り、海に出て、何日か経って富戸の宇根の海岸に流れ着きました。遺体は富戸の漁師によって発見されました。「千鶴丸」の着ている高価な着物から『きっとこの子は高貴な御子であろう』と漁師はそばの大きな石(産毛石)の上に安置し産毛を切り、髪をとかして近くの三島神社に丁寧に祀りました。そして両手に握っていた橘の枝2本を社殿の前に挿しておきました。その後、「千鶴丸」の怨念でしょうか、橘の枝は2本とも根付いて立派な大木になりました。現在も三島神社の社殿の前には橘の木が2本植わっていますが、それらはオリジナルではなく何代目かの木です。毎年橘のいい香りの花を咲かせ当時を偲ばせてくれています。
尚、千鶴丸に握らせた橘の枝は伊東の鎌田神社の橘の枝を折ったものであるとも云われ、富戸の三島神社の橘と鎌田神社の橘の木は「おとどの橘(兄弟の橘)」と呼ばれています。
三島神社
石段をあがった左右に橘の木がある。


三島神社(伊東市富戸)

2008-08-05 | 富戸地区
<三島神社>
創建は定かではないが最古の棟札によると天平年間(西暦729年~749年)ではないかと思われると言う。源頼朝が伊豆に流刑の身の時、源氏復活の祈願をした神社(17社あり)の一つと言われていることを考えると少なくとも850年前には存在していたことになる。事代主命(コトシロヌシノミコト。大国主命の長男)を祭神とする三島神社と若宮八幡を合祀する。
若宮八幡の祭神は源頼朝と八重姫の子、千鶴丸と伝承されている。現在の建物は1803年の建立。「二間舎流造り」と言う珍しい建築様式(八幡野の八幡宮来宮神社も同じ)

(橘(タチバナ)の木>
千鶴丸が握っていた橘の木を三島神社の前にさしたところ見事に根付いたという。
オリジナルの木は枯れてしまったので現在の木はその何代目のものだろうか?
拝殿の左右に計2本植わっている。