「いまチューニングしているの。ほったらかしで置いてあるから、弦が伸びちゃってる。楽器チューニングするの上手じゃないんだけど、だいたいはあわせられる」
細く柔らかくしなった指がギターの弦を抑えた。それは指にとって過酷な労力にみえる。いくつかの音を鳴らしはじめた。ピックをはじくとビーン、ビーンと響く。指先が弦を滑らせるとさらに痛そうで、これじゃ指の皮がこすれて割けたり、経常疲労で厚くなったり、常駐化してタコになったり、、、 なんてよぶんなことばっかりアタマに浮かぶ。
ギターなんか握るよりもっと違うもの握って欲しいとか、爪とか傷つけるよりキレイに磨いてマニキュアとか塗るといいのにとか、、、 でも、これまで朝比奈の顔やスタイルばかりに目をとらわれていたけど、、、 高校生男子としては普通だな、、、 けど、指先見るとけっこう使い込んであったりして、、、 ナニに?
「バンドのひとに、ひととおり楽器は教えてもらった」
朝比奈はギターをつま弾きながらそう言った。だから爪なんかにおしゃれせずにギターやベース、ピアノを弾くのに不都合ないようにしているんだと言わんばかりに。それだけに真剣度がつたわってくる。
昨日、バンドの演奏を見た時にあらためてそう思ったんだけど、右手と左手が別の動きをしていろんなメロディを奏でていくってほんと手品見てるみたい。おれにはなにがどうなっているのか、まともにあたまで考えてやったらうまくいかないだろう。もう左右の手がひとつの生命体として勝手に動いているみたいだ。
「何度もね、繰り返し練習していると、たしかにね、自分の思考からははずれて考えなくても、弾けちゃったりする。ホシノだってさ、走ってるときここで右足出して、右腕出してっていちいち考えてるわけじゃないでしょ。そう思うと簡単にやってることってほんとはすごいことなんだって、われわれ人間もすてたもんじゃない」
なんてあいかわらずいろんなメロディを演じながら話をつづける姿をみると、たしかにあたまと手が別もんだと納得したりして。それって走るなんかよりよっぽど高度な技だろな。その時のおれは楽器の何たるかをまだなにも、こんなことも、あんなことも、なあんにも知らなかったんだからしかたない。
「いまから簡単なのひとつ弾くから。指の押さえかた見てて。コード進行というのがあるんだけど、言って覚えるより見て覚えたまえ」
えっ、さっきは自分の感性でヤレって、そう言ったはずだけど、、、 それになんで“たまえ調”?、、、 なに、教えてくれるの? それならはやく言ってよ。
「キホンはね。基本は教えてあげる。歯をみがくのは好きなようにしていいけど、歯ブラシの持ち方は教えてあげるわ。指でみがくのもいいけど」
またまた、深いのか、意味不明なのか、よくわからない例えばなしをして。朝比奈のその白魚のような指なら、みがいてもらいたいぐらいの発想しかできなかった。
「指より、コッチでしょ。ちゃんと見ててよ」
と言われておれが見ている先は、組んだ脚にギターをのせた朝比奈の身のこなしと、スラッと前に出た長いおみ足。そこからやわらかそうな太ももとお尻につながる曲線美、、、 曲線美ってこのためにある言葉だとおれは確信した、、、
朝比奈は一度、右手のひらですべての弦を押さえて音を止めた無音を作り出した。防音設備がされている部屋はまわりの音がすべて吸収されてしまうかのようで、耳から音が吸い取られていく。さらに朝比奈が昨日と同じように、スッと息を吸った。こんどはおれの魂が抜かれた。https://youtu.be/i2RK3NZk7vE
それはやはりよく耳にする曲だった。“アメージングレース”たしか『ドナドナ』を歌っているひとの歌だ。朝比奈のプリプリとした唇が艶めかしく動いている。そしていい声だ。耳障りがいいっていうのか、心地いいっていうのか、聴いていて幸せな気分になってくる。その感情はひとによって違うだろうから、そうでないって言われてもしかたがないんだけど、だとしてもそれを越えて一度は聴いてみるべきなんじゃないだろうか。
そしてギターの音色。ギターがうまいのかおれにはわからない。それなりには弾けているんじゃないか。それよりギターの縁にのせたオッパイが良い感じに盛り上がり、指をくわえるより、せっかくならそっちのほうがいいかなと腕を伸ばしたくなる。その先に質感のいい手触りや、吸いつくような握り具合が容易に想像できるぐらいで、一度握れば離し難いのはまちがいないだろうな。
いやいやそうじゃなく、見るべきは朝比奈の左手のうごきで、それはいろんな形に変化して弦を押さえ、そのたびに音色が変わっていく、明るい音、切ない音、少し変調した感じ、それがコード進行ってやつなんだろう、それらがつながっていき曲が完成する。これまで楽器に興味のなかったおれの本能が目を覚ましたようだ、、、 ほんとか?、、、
最後にギターをジャジャンッとやって曲をしめた。
「ちょっとなにその手。なにつかもうとしてるわけ」
あっ、音は聴きながらついつい、手が勝手に、これはどうだろ、いわゆるアタマと手が別の生き物として、、、 あっ、イテっ。
「さっきね。受付のおねえさんに言われたの。密室に男の子と二人きりで大丈夫? って」
ええ、それで。
「襲われたら、蹴り飛ばしますからって言ったら。やりそーって笑われた。それであとで見に行くねって言ってくれた」
おれのみぞおちに朝比奈の長いおみ足が突き刺さっている。できればおねえさんが来る前に抜いて欲しい、、、
「どう、いい感触でしょ。これまでにない、ああ、初めてだったわね。はじめてでこれじゃ、今後は舌が肥えるから、他のじゃもの足りなくなるかもね」
なんの話をしているのか、演奏のことなのか、キックのことなのか、演奏だよな。そういうもんなんだ、はじめて口にした食事が高級ステーキなら、もうあとからどんなニク食っても安っぽく感じられるみないな。
「高級ステーキとかって、例えが貧困。でっどうだった? はじめて触れた感じは。自分の思いでコントロールできるっていうのは、なんにしろいいことだわ」
そんな、簡単に言っちゃってくれちゃって。単に見惚れていたわけじゃない。太ももが描く有機的な曲線があまりにも美しすぎて目を奪われていただけだし、盛り上がったムネのラインに吸い寄せられるのは、街灯に集まる夏虫みたいなもんじゃないか、、、 いいかたを変えても助平心は変わらない、、、 だな。
なにしろ、おれのスケベ心が功を奏して、その動きだけは脳裏に焼き付いている。遊び半分でドラムをたたいた時の、あのギクシャクとした感じが思い出される。ああいったのはあたまで考えちゃダメなんだ。カラダが勝手にやってくれるまで染み込ませて何度も繰り返すしかないんだ。
そんなことよりもう一曲聴いてみたくなった。こんどはちゃんと聴くからさ。なんて信頼性の低いお願いをしていたら、ドアをたたくノックの音がした。
「どう、仲良くやってる?」
受付にいた美代ちゃん似のおねえさんが顔を出した。
「あら、演奏するのは朝比奈さんのほうだったの」
いろいろな常識的判断は、常に覆されるために存在して、そのたびに仰天するのは一般小市民であるおれたちで、そうやって物語は続いていくわけだ。日常を破壊して、はじめて世の中に出られる。あの感じが忘れられずになんどでも求めてしまう。
「彼氏に押し倒されない抑止力として同席させてもらっていいかしら。わたしね、いま昼休みに入ったの、よかったら一緒に聴かせてもらえる?」
なんだか最初の理由が気にかかるおれだけど、朝比奈は面白がっているようだ。
「澤口さんはどんなジャンルが好きなんですか?」浅田さんではなく澤口さんというらしい。なんで朝比奈は知ってるんだ。知り合いだったのか、、、 ああ名札見たのね。
「わたしジュリーが好きなんだけど、そういうのは演奏(やん)ないわよね。フォークだったら、S&Gとか、PPMとか、CSN&Yとか… 」なに、その暗号文、、、
「ああ、澤口さんはそういう方向性なんですね」ええっ、それでわかるんかい、、、
「じゃあ、こんなのどうですか?」朝比奈は低音のリフを奏ではじめると、澤口さんはこの曲大好きと手を叩いて喜んだ。これはこれで疎外感。おとこだけでなく、女性にも嫉妬してしまうおれって、だいたい想像はつくとおもうけど、あまりいい思い出にはなりそうにはない。