「この公園ね、周回コースがあって、木陰に覆われているからそれほど暑くないでしょ。この時期でもけっこう走れるの」
朝比奈は着ていた薄手のウインドブレーカーを脱いで腰に巻いた。そう、下は膝丈までのフィラのショートパンツにハイソックスで、ルコックのジョギングシューズは図書館ではいささか不釣り合いだった。その理由がいま明らかになった。
それはいいとしよう。それなのに上はピッタリとフィットしたNikeのランシャツ。困ったなあ、それじゃあ胸が揺れておれは目が離せないじゃないか。それよりもそれを見るまわりの好奇の目が気になってしかたないし、、、 暴徒と化す群衆を制する力はおれにはない。
立ち上がってストレッチをはじめる朝比奈。屈伸したり、腕を伸ばしたりと、ひととおりしたあと、立ったまま前屈してシューズの紐を締めなおしはじめた。それもストレッチのひとつなのか、朝比奈の肢体はなめらかにしなる。その脚はおれとおなじ人間のものと思えないほど、、、 長い。
「なにもたもたしてるの。いくよ、ホシノ」
えっ、おれ、走るの? ムリでしょ。腰治ってないし。春先からこっち運動したことないし。
「できないって決めつけて過去にしばられたまま、なにもしないのは愚か者。未来だけを夢みているのは楽観思考のお調子者。だったらさ、どうせできなかったんだから、やってみたって失うものはないでしょ。できたらラッキーぐらいでいいじゃない。わたしは過去の失敗に学べないより、未来の自由な空間に想いを馳せるほうがいいと思うんだ」
それがなにかにつけてできない言い訳をしているおれと、そうでない朝比奈とを分けるひとつの指針なんだろうな。そう言ってとっと走り出してしまったから、おれは運動するなんてひとつも考えてこなかった普段着のままで、、、 そりゃ夏だから、部活の時に穿いていた短パンと普段着のTシャツで、靴といえばこれしかもっていないプーマのシューズ穿いている、、、 だから運動できない状態ではない。
おれは恐る恐る一歩、二歩と、足を動かしていった。恐怖心がないわけではない。あのときの衝撃が、いつ自分のからだに訪れるのか。そればっかり気にして。でもそんなものはいつだって同じだ。ふつうに生活してたってそれが安全地帯ってわけじゃない。いつなんどき痛みがおこるかなんてわかりゃしないんだから。ひとにかならず訪れる死とおなじで、、、 朝比奈をまねて大げさに例えてみた。
朝比奈にはなかなか追いつけなかった。さして速いスピードで走っているわけじゃないのに、おれが思った以上に自分の脚が動いてないだけだ。たまにうしろを振り返り、小ばかにしているのか、心配しているのか、、、 今回もまた、前者だな、、、 あの時の感覚に近づけるならもっとスピードも増していくはずだ。
うしろについて走るのも悪くなく、そのフォームはやっぱりキレイだった。あのとき、夏休み前のあの日、下校する生徒のなかを回遊していた朝比奈の歩く姿を見て、キレイな歩き方だと感心していた。あのときは俯瞰からみてたけど、やっぱりそれは見誤りではなく、そのまま走りに直結していて、それこそ朝比奈が思っているよりもっと速く、どこまで速く、走っていけるはずだ。
「いつまで、後ろについてるつもりなの。お尻見てへんな気持ちになってるんじゃないでしょうね」
朝比奈はスピードを落として、後ろ向きに走りながらおれが追いつくのを待った。そんなよこしまな理由だけじゃなく、女性のランナーを見るとボリュームのあるオシリから絶妙な曲線の大腿部に、猛烈なパワーが秘めているんじゃないかっていうのがおれの持論だ。
そりゃどうしたってオトコのほうが速く走れるわけだけど、見た目から言えば女性の体形のほうが、走るにあったって理にかなっているような気がしてならないんだ。
「そういう見方もあるんだ。見た目で騙されることも多いし、見た目以上ってこともあり得る。ひとが自分のカラダの能力をすべて使いきっているわけもないし、もっとうまく使えるのに、どこかで歯止めをかけているのは自分の意思か、自制する脳のしわざなのか。女性ランナーが男子をうわまわれば、いろいろな普遍がひっくり返って楽しいかな」
やめてよ、そういうことサラッと言うの。朝比奈が言うとさ、それを自ら実現しそうでシャレになんないんだから。そうしておれたちはようやく並走して走るようになった。いくら木陰だからといって夏は夏。朝比奈の表皮に汗がキラキラと輝きはじめていた。
おれなんかの汗だとべたッとして気持ち悪いだけなんだけど、同じ人間の汗なのにどうしてこうも違うものなのか。もしかして別モノなのかもしれないなんて、本気で心配してしまう、、、 若い男子は放出するものがいろいろあるんだから。
「運動している時っていいなって思うのは、五感が研ぎ澄まされていく感じ。この世の音だとか、匂いだとか、色とかが、自分のカラダの中に吸収されていく。歌を歌うのはアウトプットで放出だから、こんな自然な感じでインプットできるのがいいんだ。本を読むのも好きだけど、どうしても活字の中だけに身を置いてしまう。そこから感じられる立体的な映像であっても、歪曲の隘路のなかだけの狭い範囲での世界でしかなくてね」
走って、五感を研ぎ澄まして、少しは良いアイデアでも出せばいい。そんなこと言われたって、おれはこれまでなんにも考えずに走ってたんだから、それはおれがどこまでも能天気な人間の証明ってことなんだろうか。
股間を研ぎ澄ますならほっといてもできるんだけど、歯を食いしばって、自分以上の成果を求めて、苦しみだけをともなった走りからは、前頭葉に刺激を与えはしなかったんだ。
「やっぱり、違うね。走ってるときのホシノは、クルマを運転してるときより生き生きとしてる。合う合わないってどうしても個人であるんだから。あのとき、慌てて走ってきたホシノを見て、ブレーキをかけているのは他人の言葉に囚われてるだけかなって」
いろいろと見透かされているとヘコんでばかり居られないから、やり返してもみる。昨日、帰り間際の朝比奈は深刻だった。だからおれはマサトの話を聞いた時、そこに囚われているんじゃないかと直結してしまったから。
「ああ、そうだったの。たまにね、そうなることもある。自分の中でイメージを膨らませていき、多岐にわたってつながりだすとそうなる。ホシノが吐き出した空想がわたしのなかで形成されようとしはじめたから。集中していった」
二周目のラップに入った。いまだに腰は悲鳴をあげていない。そりゃジョギングレベルのペースなんだから、高い強度で走っているのとはわけが違う。それでもかたくなに走るのをこばんでいた身にとっては、もはや罪悪感にさいなまれるぐらいだ。
「パラドックスとかジレンマとか、ひとりでおちいることも、集団でいるからこそおちいることもそれぞれある。さっきのピアノの話しもそう。望まない状況に流されていく。自分一人がガマンすればみんなが喜ぶだろうとか、自己犠牲の発端がときにみんなをまきこんでより一層の不運を呼んでしまう。“アビリーンの不幸”とか有名なんだけど、小さくは日常にどこにでもあり、大きくは勝てもしない戦争をおこしてしまい、負けるとわかっていて戦い続けてしまう」
おれに走れというのは酷だとだれもが思っているから、安易にやってみればいいだなんて誰も口にすることはない。その言葉にだれも責任をとれないし、いい思いをするわけでもない。じゃあ朝比奈がどれほどの確証があってやったかなんてわかるはずもない。確証があるからやるのではもう遅いんだろうな。