private noble

寝る前にちょっと読みたくなるお話し

Starting over16.31

2019-09-15 06:49:39 | 連続小説

「 …あのさあ、ホシノォ」
 ひと夏の思い出にひたっているおれの心境を、現実にひき戻そうとしたのか言葉をつづけた。それが深刻な口調だったから、いったい何を言い出すつもりなのか、とりあえずさっきまでの、、、 つまりソフトクリームを食べる前にしていた、、、 話の説明とか、続きなんだと身構えた。
 こういうのって、やっぱりおれのほうから尋ねるべきなんだろうか。だけどさあ、あんまり重過ぎると、おれ、持ちこたえられそうにないなあ。ただでさえこの夏は問題が山積みで、できればいい思い出だけを残したいと、自分勝手に考えてるところなのに、、、 諸問題は解決できる気がしないし、、、 自然解決を待つ。
「そうね、そう。物事には順序ってものがあるし、いきなり詰め込まれても混乱するだけか」
 朝比奈はおもむろに立ち上がり、目をつぶって、そして、、、
https://youtu.be/3y5LJasDJHI
 さっきまで鳴いていたセミが静まりかえった、、、 たぶん鳴いていた、、、 そして噴水の水が止まり、子供たちの歓声が止んだ。
 それはたぶんすべて偶然のかさなりあいにちがいないのに、それなのに朝比奈が起こした奇跡にも思え、おれはただ口を開けたまま聞き入っていた。水遊びをやめた子供たちも、その親たちも、動きをとめて朝比奈を見た、、、 気がしたんだけど、、、 それは一瞬のことで、すぐに家族の会話に戻っていった。
 なぜなら朝比奈は、声をそこまで出していない。いや歌っている姿は嘘偽りのないそのままだ。遠くから見ていればふつうに歌っていると思うだろう。でもそれは、近くのおれが聴いてもわずかな音量で、どうにか聞き取れるていどだ。それでも、その声は、夏空に抜けていく歌声は、たったひとりの声なのに、厚みがあり、艶があり、大ホールで聴いている気にさえさせてくれる。
 歌い終わって一礼をする、、、 誰に向かって、、、 そりゃ、聴いてくれたすべての人に向けてだ。そのとたん噴水が吹き上がった、セミが大合唱をし始めた。子供たちとその家族はふたたび水遊びをはじめる、、、 イリュージョンか。
 よろこぶ子供たちは、ピョンピョンと飛び跳ねながら手を振っている。家族たちは顔を見合わせてそのようすを眺めている。
 さっきのユウちゃんだけは、こちらに向けてニッコリと親指を立てた、、、 聴こえたのか、、、 ユウちゃんに向かってバレエのダンサーが最後にやるように、キュロットの裾をつまんで右足をひき、朝比奈は会釈をした、、、 そんなわけない、、、 こうして即興のコンサートは終了した。これが順序だてて話すってことなのか。
「これはミュート歌唱法っていうんだけど。実際と同じパフォーマンスをしながら、音声は絞って歌っている。ホントは大きな声で歌わなくちゃいけないんだけど、いまはまだね、まだダメなんだ。友好的ではあるんだけど。それではダメなの。曰く、期待を越えて感動をもたらさなければプロとしてやっていけない。そう、わたしは歌い手になるの。そのためのね、そのための試験がある」
 おれはダンジョンの入り口ですでに迷いはじめて、出口にたどり着ける気がしない。朝比奈はなにをしようとしているのか、どうしたいのか、そこにおれが介在する理由。なにひとつわからないままだ、、、 それなのに共感している、、、
 もがいて苦しむ姿は春までのおれと同じなんだから。先生や先輩、それに仲間たちにうまく伝えることはできなかった。伝えたくないことだって、少しでも参考にならないかと、遠回しに訊いたこともあった。
 そんな経験があるから言えることで、そうやって消化していくしかない。朝比奈がすべてを言葉にするわけじゃない。言いたくないことも、言わなくてもわかって欲しいこと、それは朝比奈にだってあるはずなんだって理解のしかたなんだけど。
「そうとらえてもらえるとうれしい。そうね、うまく歌うのと、人を魅了するのはまた別なのよ。テストの点数がそのまま個人の将来につながらないように」
 たとえ噴水の向こう側がザワついたとしても、朝比奈は満足しないんだろうか。それともその試験ってのをクリアするレベルにないとわかっているとか。
「それでわたし、バイトしながらボイトレもしているんだ」
 バイトで、ボイトレ、、、 ボインになるトレーニング、、、 いやもう十分ご立派なんだからそんなトレーニングなんかしなくてもいいんじゃないのかと忠告したいところだが、きっとそれはおれの大きな勘違いのはずだからやめておこう、、、 どんなトレーニングかは興味がある、、、 いや、ぜひ知りたい。
「おいおい、ホシノ。目つきがいやらしいけど、なんかスッゴい勘違いとかしてないか。ボイトレで、まさか… 」
 やめて、そこまで読むのは。
「あのなあ、ボイトレって、ボイストレーニングの略で、発声練習みたいなもの。なんだけど」
 ハッセイ練習か、そうかよかった、、、 残念だけど、、、 漢字わかってないし。
「このあとさ、バイト先にもつきあってほしいんだ。クルマのお礼わすれてないよな」
 クルマのお礼、、、 運転のしかたを無理やり教えられたことか、、、 そうじゃなくてクルマをあきらめる決断をさせてもらったことだろうな。そりゃお礼じゃなくてもついていくのはぜんぜんかまわないんだけど、、、 あれっ、クルマ動くのか。
「そろそろ、プラグも乾いたんじゃないかな」
 と、朝比奈は立ち上がる。噴水ではユウちゃんが小さく手を振っている。バイバイのつもりか。朝比奈も振り返す。このふたり似た者同士に思えてきた、、、 うちの母親とあわせて三世代完成だな、、、 おれには立ち入る隙もない。
 グラウンドに放置された春空色のチンクは、ヤドガリが抜け出したあとに抜け殻になった貝殻のようだ、、、 言葉が変だな、、、 クルマも運転する主がいなければ、ただの甲殻類と変わらないのか。
「なに、それ。甲殻類って。ハハッ」
 なんだかわからないけど、ウケた。
「春空色は素敵な表現だったけど甲殻類は物悲しいな。でも視点や環境を変えればなんにだってなるし、なんにだってなれる。それを見いだせる能力が誰にだってあるのに、それを許さない環境も同時に存在する」
 感心されたのか、幻滅されたのか微妙なところだ。そして謎の朝比奈語彙。
 何周かしたタイヤのあとは風に舞った砂で消されて、このまま立ち去れば誰もここでクルマを乗り回した、、、 運転の練習か、、、 だなんて思わないぐらいになっていた。日照り続きで乾燥しきってるうえに、使われてないからきっと散水もされてないんだ。
 そんなグラウンドの乾ききった砂の上を歩いていると、朝比奈とふたり、砂漠を漂流するボヘミアンとなり、ようやくクルマを発見したシーンをあてはめていた。チンクも砂をまとい、くすんで見えるから舞台効果も抜群で、エンジンがかかれば助かるってのもいまの状況に似ている。
「雨、降ってないからな。このごろ」
 雨のあの日、突然のドシャ降りで洗濯物がパーになってしまい、洗いなおす羽目になったあの日。あれから降ってないのか。キョーコさんと洗濯機をはさんで、永島さんとのことをはじめて聞いた日だ。
 葬式の日に抱きしめてしまった感触とか、匂いとかがよみがえってくる、、、 不謹慎と知りながら、二度ほどオカズにしてしまった、、、 この歳で、あれぐらいの年齢の女性を抱きしめるのは今後ないだろうなあ。
「うぉーい、ホシノーっ、なんかスケベな顔して突っ立ってるな。エンジンかかったぞ」
 うぉ、おーっ、エンジンかかった。よかった。なんだ、かかるじゃないかと胸をなでおろしてしまう。うまい言い訳も思い浮かばず、、、 まともに考えてなかったけどな、おれ、、、 そんななかで問題がひとつ解決したのは朗報だ。やはりジタバタせずに、自然に解決するのを待つのが正しいんだなと、自分に言い聞かせる。
 そして、朝比奈は自分のペースでものごとを進めていく。だからおれはそれについていくだけだ。いつか主導権を握りたいと、現実的でない目標をたててみた。