private noble

寝る前にちょっと読みたくなるお話し

Starting over15.32

2019-08-25 14:14:26 | 連続小説

 おれは膨らみきった期待は速攻でしぼんでいき、おずおずと座席にすわりこむしかなく、でっ、おれはどうすればいいんだ。たしか、このレバーをこうして。
「あわてないで、わたしがちゃんと教えるから。ただし教え方にもんくつけないように」おてやわかにお願いします。
「まずはここに手を、そう、そうして包み込むようにしてつかむ」こうかな?。
「強くしないで。力むと思いどうりに動かせない。力を抜いて手のひらでころがすようにする。相手のことを思ってね。無理強いはだれも喜ばないよ」そうか、優しくころがすのか。
「それでもう一方の手は、ここに添えて、あんっ、ツメ立てないで」おっと、おもわず力が入ってしまった。無理強いはダメだったな。
「そうよ、どこも同じよ。そしたらコッチを押し込んで」おしてみた。感覚は鈍い。グニャっとした感じで、そのまま押さえつけてかないと戻されそうだった。
「それで、そこまでしたら初めてコレをココに入れる」朝比奈は、おれの手に手を添えて導いてくれた。入れた感触はたよりなくホントに奥まで入っているのかよくわからず、これで本当に大丈夫なのか心もとなかった。
「大丈夫よ。ちゃんと入ってるから」そうか、これでいいのか。
「次は、ソッチで煽って」おれは、何度か足首を動かし、微妙に上下してみた。そりゃ、名門スポーツカーの雄叫びとまではいかないが、これはこれで素敵な叫喚をあげている。カンツォーネに勝るとも劣らぬ美声ではないだろうか。
「そう、頂点に達したところでコレを抜いて、コッチをさらに押し込む。そうすれば出発進行っ」おっ、たしかに反応よく動きだした。
「あとはね、押して、入れて、押し込んで、抜くのを繰り返すだけ。どう、簡単なもんでしょ?」それが簡単なのかどうか、いまのおれにはまだわからない。でもそれで朝比奈が満足してくれるならおれはやるしかない。
 とにかくチンクはゆらゆらと走り出した。言われたとおり同じ動作を繰り返し、レバーを1から2に入れてみた。クンとスピードがあがったけど朝比奈のようにキビキビとした走りにはならない。朝比奈は低速じゃグズグズしてるって言ってたけど、おれの能力では性能を引き出すにいたらない。
 とにかくそんな調子でグランドを2周ぐらいした。それからまっすぐ走ってもう一面のホームベースにたどり着いたとき、おれはブレーキを踏んでクルマを止めてしまった。
「終わっちゃったね。なんだか線香花火が落ちたときと似てるみたい」

 そう朝比奈は言った。おれも夏の花火が終わってしまったときの、もの悲しさを感じていた、、、 だいたいおれのなんて線香花火みたいなもんだし、、、 
 クルマを動かすのは、自分の意思にそって物事を思いどおりに動かす行為であり、人間にとってカタルシスを与えるみたいだ。それはこれだけの運転であっても理解できたから、そりゃマサトやツヨシがのめりこむのも無理はない、、、 だけどおれには、、、
「しょうに合わない。 …ってとこかな」
 さっきもし、久しぶりに全力で走ってなかったら、もう少し感想も違ったのかもしれない。人間が自分の能力以上を、自分の努力だけで成し遂げなけられなきゃ、それでもなお、大きな力や必要な動力を得たいと考えるなら、きっとこういう機械が必要なんだ。
 それを認めてしまうと、おれがここまでやってきたことって、なんなんだろうかと鼻白らんでしまう。だったら勉強できないおれが機械の力を借りて、いくらでも難問喚問を説いてしまえるようになるのとおなじことじゃないかなんて、、、 そういう屁理屈だけは一人前に思い浮かぶ、、、
「文化ってさ、そういうものでしょ。その中で、またルールが決められて、一見平等を見せびらかしておきながら、やはり勝つ者が決まっているとか、ホシノがそう感じたんならそれはそれ、別の力をみせればいいじゃない」
 ああ、そうなんだなあ、やっぱり巨人が勝って、横綱が優勝して、卵焼きがうまいのも文化の恩恵なんだなあ。そうだ、それに文句言うなら、それにかわる代替え案が必要なんだった。
「いろいろと捉えかたはあるんだから、それはそれでしょうけど。でっ、どうする? キョウコさんにもらったクルマ。マサトくんにあげちゃうとか?」
 そう言って、含みを持った笑い方をする。それはなあ、いくらなんでも大盤振る舞いっていうか、キョーコさんに顔向けできなくなるから。やるならツヨシのほうがまんだマシかなあ。
 きっと、朝比奈はわかっていたんだな。おれには重すぎるキョーコさんからの贈り物を、どうするか考えあぐねていたおれに実際に体験させ、考えさせ、判断させた。そう、いつまでもダラダラと結論を出さないおれには、これぐらい追い込まれたほうがちょうどいいんだ。
「そう、そうねえ。じゃあもう少し考えてから結論出してみればいいんじゃないの。遅考が必ずしも悪いってわけじゃないから」
 で、あいかわらず朝比奈にうながされて、おれは再度チャレンジしてみることにした。エンジンは温まっているままだ。もう一度エンジンを(ハートに)かける(火をつける)ところかは始める必要はない。教え方がヘタな朝比奈の言うとおりに手ほどきをうけ、なんとかもう一度、発車できるまでになった。
 おれがヘタなせいもあって、ときおり朝比奈から出される艶声は、セミの鳴き声にかき消されていくなかで、おれは三速に入れたり、二速におとしたり、回転数にあわせて力がでる領域ってヤツを教えてもらいながらそのポイントを探していく。不器用に乗りこなしていたって、口うるさく言うわけでもなく、それもいいんじゃないってぐらいの顔をしてくれたからあせらずにすんだ。
 そして何周かしたところで、ふいにエンジンが止まってしまった。やりかたがまずかったんだろうけど、もうこれで十分なんじゃないかとも思った。どうやら朝比奈はまだまだものたりなそうで、こっちに目配せしてくる。かんべんしてくれもうこれ以上は、なれない動きでカラダがどうにかなっちまう。朝比奈につきあって満足させようとすれば、夜までかかってもかなえさせられそうにない。
「やっぱり、着替えもってきたほうがよかったかもね」
 いや、そこまで用意周到だとおれもさすがにつらいし、どうして、おれみたいなヤツにここまでしてくれるのかよくわかっておらず、朝比奈ならもっとふさわしいオトコがいくらでもいると、、、 このチンクの先輩とか、、、 はずなのに。
「おとこにはわからないから、おんな心。とかって聞いたことある? だからそんなもんは気にする必要はないの。女に寄り添うことだけが優しさじゃなく、だったら自分を見せたらいいんじゃない。男女のあいだにも正解なんかないんだから。でしょ?」

 でしょって言われても経験のないおれにはあいまいにうなずくしかできず、そう言ってもらえればおれのほうとしてはずいぶんとラクだんだけど、だいたい世の中はセオリーにはめたがるしな。そうでないと判断できないヤツラがおおすぎるから、、、 おれを含めて、、、
 クルマが止まってしまうと暑さだけがきわだってくる。そりゃそうだ、ホロを開けた天井からは太陽がギラギラと射し込んでいる。このままじゃ干からびてしまうなあなんて思ってると「木陰に行きましょ」と言い放って、さっさとクルマから出てしまった。おれもしかたなく、、、 しかたなくないけど、便宜上そうなるだけで、、、 ついて車外に出た。
 グラウンドに取り残されたチンクは、あきらかに浮いており世間離れした光景を自分たちが残していったことに、変な自己満足と、不安が入り混じった思いになった。
 朝比奈はそんなことに気も止めず、ずんずんとひとり歩いて行く。一歩木陰に入るだけで外気が変わる。陰のせいだけじゃなく、木々から発せられる酸素が熱気を緩和しているようだ。
「クルマ。あのままにしておいても大丈夫。だれも来やしないから」おれの気持ちを、あいかわらずズバッと言い当てる朝比奈。
「いつだって自分のしたことが、それがキッカケでなにかが起こるだなんて、みんな自分の影響力が、あるときはすごすぎるほど膨張し、そうでなければあまりにも孤独で存在価値をなくしてしまう。他人の意思なんてなるようにしかならないんだから、そんなとこまで考える必要もないし、責任を感じなくてもいい」
 市営グラウンドにクルマを放置することが、大したことなのかそうでないかは、そのひとの考え方の差なんだろうけど、そう言いきられれば、大丈夫なんじゃないかって思うしかない。
「あのね。そう、あたしね。夏休みが終わったら、もう、学校に行かないんだ」