private noble

寝る前にちょっと読みたくなるお話し

Starting over13.3

2018-02-18 06:18:52 | 連続小説

 その男はヘルメットも被っておらず、ひとめでその種族とわかる風貌で、そしてすぐに、それっぽい言葉づかいをこちらに向けて、汚い言葉を投げつけてきた。
 育ちのいいおれにはとても直接には表記できないので、言いかえしますけど、『キミにはもったいないぐらいの素敵な女性だから、いつまでも引っ付いて喋ってないで、仕事すませたらさっさとどっかに消えちまいな。このオンナはオレがヨロシクやっとくからよ』 怒りがコントロールできずに最後の方は、ほぼ原文のままになってしまった。
 
朝比奈はなんら動揺したところも見せず、変わらぬそぶりでなりゆきを見守っている。そう、いつもと同じクールでタフな、、、 聞いたような文章だな、、、 言いかえれば、冷静かつ力強いスタイルを保っている。
 下あごをつきだして息巻いている男の荒くれた言葉に、おれはなにも決められずあいかわらず阿呆ヅラしてたたずんでいると、当然のように突然の闖入者は苛立ってくる。ヒートアップした言葉は、言いかえるのも面倒なので原文のままお聞きください。
「オメーよぉ、なにアホずらして突っ立ってんだよ。聞えねえのか? ボケがぁ」
 自分でもそれはわかってるって。だからそうやって心理描写してるんだけど、、、 心の声は聞えないからしかたない。
 
冷静っぽく見えるかもしれないが、実はケツの穴が縮み込んでいて、このピンチをどう乗り切るべきか考えなきゃいけない状況で、あいもかわらず、みごとになんの打開案は思い浮かばない。そんなおれに畳み掛けるようにして、傍若無人なこの男は肉体的に直接攻撃をしかける。
「おらっ、とっとと消えな!」とおれの腹に向かって脚蹴りを入れてきた。結構痛かったけどこれはガマンできた。
「さあ、行こうぜ」と朝比奈の手をなれなれしく引っ張った。これはガマンできなかったみたいで、颯爽と意識が飛んでった。身体とアタマがつながっていない状況ってやつは、さほど人生にそうそうあることではない。はじめてといったできごとにおれは、どこで止めたらいいのか、あと先考えることもなく、それは自分が制御できていないのか、本当の自分が現れたのか、誰かに操られているのかもわからなくなっていた。目の前の映像はテレビ画面を見ているようで、自分の意思とつながっているとは思えない。
 
そこから先の行動は良く覚えていない。気付いたらスタンド裏のガレージの中のクルマの中に二人で座っていた。そう、永島さんのモノだったクルマで、キョーコさんにもらってと言われたクルマの中に。きっと何かに包まれていなきゃ不安でしかたなかったんだ。このクルマがこのために残されたんだとしたら、おれはキョーコさんの啓示の中に生きている。
 アタマは熱っぽかった。何か考えなきゃいけないんだろうけど、血液の流れが大きな音を立て、それをジャマする。熱かったのはアタマだけじゃなく、左手が妙に温かいと感じていたら、どうやらおれは朝比奈の手を握っていた。無我夢中で朝比奈の手を引っ張って、ここまで連れてきて、そのままクルマに乗り込んだみたいだけど、手を握ったままクルマには乗れないはずだ。
「ホシノ… 」
 朝比奈は難しい顔をしていた。こんな表情を見たのははじめてだった。いつもクール、、、 冷静沈着な朝比奈は、それこそ少女の顔になっていた。そりゃそうだ、この状況でそんな態度を取られたらおれの立つ瀬がない。ここはおれが安心させなきゃいけない場面だ、、、 ってなにができる。
「 …アンタさあ」
 朝比奈がナーバスになっていると思っていたのは、おれの勝手な推測、というか希望的観測でしかなく、やっぱり朝比奈はこんなことがあっても朝比奈でありつづけた、、、 少しホッとした。
「思い切ったことするわね。あのバカにホースで水でもかけるようにガソリンぶちまけて、ポケットに手ェ突っ込むから、そりゃ腰も抜かすわ。アイツたぶんチビってたんじゃない。ガソリン被ってるから、バレずにすんだと思ってるかもしれないけどね。タバコすわないからそれはないって思ってても、さすがにホシノがライター出したらどうしようかって、わたしもチョコっとは心配した」
 チビりそうなのはおれの方だ。全身がまだ震えていて、それを朝比奈には知られたくないと思っていても、触れていた左手のことを考えればそれはありえないはずで、それにここまでの行動を目の当たりにしていれば、おれがケンカなれしてないとか、度胸がすわってないとかそんなことはお見通しだ、、、 それでよく朝比奈を安心させるとか、、、
 
成り行きとはいえ、大そうなことをしでかしてしまった。自分の許容を越えた行動に、慟哭はつきものだ。さっきそれを実践したばかりなのに、許容に収まらないほどの経験値以上であれば学習能力も役立たない。たかだか人の経験なんてそんなもんで、朝比奈はそんなおれを気遣ってくれている、、、 たぶん、、、
「だけど、よかったんじゃない? 人ってさ、突然の行動に本心が出るもんだし、みさかいなかったとしても、わたしを護ろうとしたホシノは」
 疑問形なところや、検体的に見られるのがいまいち不満だけど、多くを望んではいけない。そう言った朝比奈はアツい眼差しとともに、おれの左肩越しからカラダを寄せてきて、おれの不満は吹き飛ぶどころか想像以上の成果だ。
 この場合、身体をカラダって表現するからエロさが増すと思うんだけど、おれ的にはまさにそんな感じで、朝比奈のやわらかな肌が薄手のシャツごしから伝わって、おれの左腕が羨ましかった、、、 おれ自身だから別にいいのか、、、 そう納得すると、いろいろと立ち上がってくるモノが、、、 きっとこのクルマはこのために、、、
「やっぱりここか」
 シャガレた男の声を耳にして、いろいろションボリと貧相なカタチに戻って行くのには時間がかからなかった。
 
こんなもんだ。いい場面になると必ず現れて、物語をなかなか思い通りに進めさせてくれないヤツが登場する、、、 オチアイさん本人には言えない。
「オマエなあ、大したことしてくれたな。おとなしいヤツかと思ってたけど、やってくれちゃって。永島さんがいなくなって、ただでさえゴタゴタしてるんだからよ、カンベンしろよな」
 あっというまに現実に、、、 悪夢のような現実の世界に、、、 引き戻された。朝比奈に寄りそられていい気分になっている自分が悪いんですけど。くっついていた朝比奈は、いつのまにかちゃっかりと座席に戻って澄ました顔をしている、、、 やっぱり抜け目のないオンナだな。
「とりなすの大変だったんだからな。ヤッコさん、いつまでもみっともない姿さらしたくなかったみたいで、そうそうに引き上げてったけどさ、悪態ついてたし、絶対お礼参りにくるだろうな」
 ですよね。そういった風情だったし、そういったお仲間もいそうだし。自業自得なんだからって、やっちまったからにはしょうがないってハラ括るほど男気もないくせに。
 
ひとつ上に立ってすべてを見わたせていたら、世界から争いがなくなるはずだけど、そうじゃないから、世界中で争いがあり、その中のわずかな諍いではあるけれど、おれにもそいつが飛び火しているんだ、、、 と思うことにしよう。
「ホシノ。オマエさ、もうここに来ないほうがいいな。どうせ8月いっぱいでここも閉めることになりそうだし、わざわざ火種を大きくする必要もないだろ。なんか言ってきたら、もう辞めたって言っとくからよ。その先まではなんともならんから、そこまでは責任もてんぞ」
 すいません。オチアイさん。さっきはひどいことを心の中でつぶやいてしまって。いい雰囲気になってるときに顔を出す、馬に蹴られて死んでしまうような男だと少しでも思ったこのおれをお許しください。
「じゃあな、お前ら、いつまでもイチャついてないで、早めに帰れよ… あのさ、」
 早く帰れといいながら、なんだか話が終わらなさそうなんですが。年配のひとってそういうとこあるよね。年配っていっても5歳しか変わらないけど。それにイチャつくとか、そんなこと全然ありませんから。
「オレぐらいの年になるとなあ。こう、夏休みがきて、オマエみたいな新人のバイトが入ってくると、ああ、また一年たったんだって、そう思うわけよ。この一年なにをして、なにを手にできたのかなって。オマエらはまだ、そんな感じ方しないと思うけどさ。だからだ、だからさあ、そうならないうちが実は一番いい時期ってことなんだと思う。いろいろあると思うけどよ、それもいい経験だ。なんていうとオッサンくさいか」
 なんて言うと、朝比奈はじゅうぶんオッサンだよ、と小さいけれど聞えるようにつぶやいた。
 
苦笑いしているオチアイさんが、オッサンかどうかっていうことより、いったいおれたちがその心境に達するまでにあとどのくらいの時間が残されているのかわからないし、いま生きていくことだけで精一杯で、気がつけばオチアイさんの見た景色と重ね合わさっているなんてことになりかねない。
 
限りある期間に咲き乱れ、ひっそりと散っていく桜のはかなさに意味があるように、若者たちのこの時期ってやつにも意味があるんだろうけど、その意味を知る頃にはもう後戻りできないところまで来ている、、、 いつだってそうだ。