private noble

寝る前にちょっと読みたくなるお話し

商店街人力爆走選手権 SCENE27

2016-04-17 11:37:46 | 連続小説

「でっ、どうなんだ? 返事、聞かせてくれるんだよな」
 仁志貴はマールボロに火をつけて、紫煙を夜空に吐きだした。今夜は珍しく星が多く見える。空気が澄んでいるのか、瑶子の姿も街燈の下でハッきりとした輪郭がわかるのに、本人としては消え去りたい気持ちがありありと見て取れる。
 仁志貴に上段から言われても、当然のように瑶子は返答もできず困惑のままだ。何度か口を開こうと試みても、くびれたあたまは持ち上がりかけたところで、すぐに萎れ花に戻ってしまう。こうなるのはわかっていたし、瑶子のそんな姿を見るのは心苦しいだけだのに、なぜか自分はこんな役回りを担っている。
 そんな瑶子を見ていると、人を好き嫌いになることをどれだけ論理的に説明しようとしても無駄なあがきでしかなく、納得させようとすればするほど、押しつけがましくなり、自分のエゴを表に出すだけで見苦しいものだと、あらためて身にしみていた。
 戒人と瑶子の関係を動かすためであり、なにも自らの積年の渇望を満たすわけではないと言い聞かせ、自分から言い出すはずもない瑶子と、自分が何者なのかわからず自信を持てないまま瑶子をつなぎ止めている戒人に対し、自分が何者なのかわかったふりをして、ふたりの行く末を案じている。
 それがはなはだお節介で、巻き込まれた方が迷惑だけなであるのに、恵の口車に乗ったのも口実でしかなく、自分が動いたからといって、どういう手を打てばいいのか、なにが最善なのか、結論が出ないまま宙ぶらりんとなり、その分、瑶子を苦しめているだけだった。とはいえ自分が動いたことで悪い方向に傾いたとすれば最悪で、楽になるために急ぐことでやり方を間違えるわけにはいかない。それに戒人なら一向に気に止めることなく、気長に瑶子の返事を待ちつづけるだろうし、そもそも、瑶子を困らせるような問いはしないはずだ。
 いつのまにかマールボロは熱さを感じるほど、フィルターの近くまで焼け落ちていた。吸い口を持ち直し、指先ではじいた吸殻は大きな孤を描いて下水溝に落下した。その方向を見たまま瑶子の目線は戻ってこない。

「オマエさ、ヨーコと話し続くのか?」
 そんな、やっかみともいえる問いかけをしてみたこともある。
「いやいや、ああ見えてもさ、ヨーコちゃんけっこうしゃべるんだぜ。そりゃさ、時間かかるし、言葉もゆっくりだけど、黙って聞いてれば、一生懸命に自分のこと話してくれるんだ。みんなさ、無駄にスピードが早いんだよ。次から次へと話題変えて、何でもかんでも知ったようなふりして、オレに言わせりゃ、みんながお互いについていけないことに不安を感じているだけで、まわりに合わせられない自分を見せたくないだけだろ。ホントのところナニしゃべってんのかわかってなんいんじゃないの? ヨーコちゃんはさ、最初からそんなんについていかないから。そんなんだったら最初から黙ってるだけなんだよ。ちゃんと話を聞いてくれる人には、ちゃんとした話をする。フツーだろ?」

 普通だと仁志貴は内々に納得する。誰もが知ったような顔をして生きている。分からないと言えない雰囲気に包まれる。空気を読めなければ疎外される。正義の味方が常に正しいと思っているし、多数が支持する正義がまかり通らなければ不満を持ち、匿名の名の下に正論を振りかざし、楽な方へ流されようとする。それが叶わぬと知れば目を閉じてしまう。傷つけた人間のことなどお構いなしに。戒人がそこまで考えているかは別として、瑶子のことをそこまで知りつくしていることにやっかんでもいた。

 別に仁志貴だって気長に待つことはできた。今だって、このまま一晩過ごしてもいいくらいに思えるぐらいに。瑶子の行動のすべてが自分の手の中にあるのが心地良くもあり、そして同時に決して結実しない未来が歯痒くもあった。

 どうして、今になってそんなことをと、ようやくそれだけを口にする瑶子に、仁志貴は笑うしかなかった。まったくだ。なぜ今ごろになってこんなことを言い出すのか。恵にそそのかされたのも半分、戒人の背中を押してやりたいのも半分と、みせかけることはできた。しかし、そんなものは嘘っぱちだった。自分の中にわだかまっていて、シコリのように残っているモノを消し去るための言い訳でしかない。それは自分でも自分の正義を振りかざしているだけであり、誰かを咎める立場ではない。
 
「オマエさ、ホントはヨーコちゃんのこと好きなんじゃないの?」
 戒人がよりによって、瑶子の前でそう聞いてきた。それが計算ならば仁志貴もあえてそうだと言っていただろう。戒人にそこまで回るあたまがあるわけはないし、赤ら顔になって下を向く瑶子を目にすれば、当然出てくる言葉は。「バーカ、誰がこんな、根暗オンナ好きになるんだ。カイトぐらいだろ、そんなモノ好き」なんて、憎まれ口をたたきつつ戒人を後押ししてしまう。その時の瑶子は妙に安心したような、やっぱりそうだ、それでいいんだと納得させるような表情が辛かった。
「これだよ、ニシキは。オマエはヨーコちゃんの良さがわかってないんだよ」
 強く言い返したかった。お前よりわかっているつもりだと。

 自分は陰ながら瑶子のことを見守ってきたつもりだった。瑶子が決して不幸な思いをしないように、させないために。それを本人にどれだけ気づかれずにやれるか。そのくせそんな自分を知って欲しがっていたし、いつかは感謝の言葉を聞ける日が来るのではないかとも思っていた。いまの瑶子の姿を見れば、その日が来るのは見果てぬ夢か。
「何でだろうな。自分のアホさかげんにようやく気づいて、居たたまれなくなっちまったのかもなあ。自分が本当に誰を必要としているか、素直に感じられるようになっただけかもしれない。勝手な話だけどさ、好きになる気持ちなんて別に順番じゃないだろ」
 おどろいたように顔をあげ、それでもやはり自分は仁志貴に好かれるような女ではないと言いかけて口を閉ざした。
 そんな自分が嫌だったのはいまさらはじまったことではない。朝起きたら今日からは違う生き方をしてみようなんて何度も思ってきた。だけどそんなものは昼食前にはどこかへ消え去っている。押し付けられ、追われるようにして、同じ生き方しかできない自分を思い知らされるだけで、そんな不毛な日々を繰り返してきた人生だった。
 「もうさあ中学生じゃないんだ。おたがいにな。だから早いもの勝ちじゃないって言ったろ。オレにもさ、もう一度チャンスが欲しいんだ。それでダメならあきらめもつく… それぐらいは許してくれてもいいだろ?」
 やりかたがあざとい仁志貴は舌打ちしていた。瑶子に押し付けることではない。例えその先が出来ている話であっても苦い思いはこの先も残ってしまう。
 瑶子は今度は口には出さず、首を横に振るにとどめた。言いたいことは同じだ。自分はそんな思いを抱えられるほどの人間ではないと。
「釣り合わないなんて言うなよな。オレはそれほどのモンじゃねえ。それはオレが一番わかってるし、オマエだってうすうす気づいてるはずだ。オレはただまわりの期待に乗っかっただけなんだ。逆にそれがなけりゃできなかった。高校中退してからのオレを見てりゃわかるだろ」
 おどろきの表情を浮かべる瑶子。自信のかたまりのような仁志貴がそんな考えを持っているとは思いもしなかった。
「悪かったよ、困らせる言い方して。オマエがそうだなんて言えるわけないもんな」
 そう言いながらも、それこそが仁志貴が本当に伝えたいことだった。戒人の手前、瑶子の気持ち、自分の役回り、そんなものを勝手に決めて自分を演じていた。それがその時は正しいと信じていた。その分、他のことで目いっぱい力を発揮した。自分でも自分が出した結果におどろきながらも、それがさも当たり前だという態度をとっていたのは、それが自分の役目だと思い続けることで、実感できていない能力を懐疑する不安を呼び込まないようにしていただけだ。
「いまのオレに必要なものってっさ、ヨーコがどうして自分なんかがって思っている部分なのかもな。そういう思いってさ、オレにとって大切なんだよ。なんだかさ、歪んだ強さだけを身につけちまって、手の内にある力しか信じることができていないんだ。自分のできることを精一杯にやっているヨーコがさ。別にいまになってそう思ったわけじゃないぜ。子供の時からそうだった。ただ、オレから言わない方がいいって、ずっと思ってた」
――だったら、永遠に言わなきゃよかったんだ。
「………」
「いいんだ、もう無理強いするつもりはない。だけど、これだけは了承してもらうぜ。オレはカイトと勝負する。人力車引いて、商店街の端から端まで走る。これで勝ったらオレはヨーコを力づくでもカイトから奪い取る… 」
 仁志貴は言っておいて、かなり本気になっている自分に驚いていた。ミイラ取りがミイラとはこのことを言うのだろう。与えられた役回りを演じることで、今度は堂々と自分の気持ちを伝えられる。その解放感が本気の自分をさらけ出し始めていた。本気でないオンナには気軽に好き勝手してきたのは、気負いがない分、ダメもとでやれたからだ。それがうまくいけばいくほど、瑶子に対しては慎重になっていった。
 瑶子は、運動で戒人が仁志貴に勝てるわけがないと寂しげに言う。悪気のない瑶子の言葉が痛みとして感じられるから強がるしかない。
「オレだって負ける気しねえよ。そんなやりかたズルいか? でもな、絶対勝つ自信があるってのはさ、それだけオレが真剣なんだって… そういう見方をしてくれたっていいだろ」
 さらに言ってしまえば、そのシチュエーションで戒人が勝てば効果も倍増だ。仁志貴の深読みが伝わるはずもなく、瑶子は小さくなるだけだ。
「そんなんされると、オレも参るよ。そんなにオレに言い寄られるのが迷惑だったのかってな」
 蚊の鳴くような声でごめんなさいとあやまられる。
「あやまるなくていいんだ。面倒言い出してるのはオレの方だ。それぐらいの方がやる気もでてくるし、かえって一発逆転狙ってみたくもなる。悪いな、バカな男の意地につき合わせちまって。でもな、今回だけはちゃんとやんないと、自分の気持ちに正直にならないといけないと… 」
「まて、まて、まてええーっ。ニシキーッ!」
 自分では正義の味方の登場をイメージして戒人が飛び出してきた。驚く瑶子と、いいタイミングでの登場だと、戒人のあいかわらずのミラクルぶりに感心する仁志貴。ところがそこからがいただけない。息が整うのを待つこと5分、テイク2を演じるようにして仁志貴を見切った。
「間に合ってよかった。ヨーコちゃん。なにもされなかった? コイツ足だけじゃなく手も早いんだ。そのくせアッチは遅いから、オンナもまいっちまうから困ったモンで、そんでさ、って、なんのハナシだっけ?」
 せっかくカッコ良く(少なくとも自分はそう思っている)登場したはずなのに、いつもの調子に戻っている。
「ナニ、言ってんだよ?!」
 仁志貴が、何を瑶子の前でと一喝する。
「 …アッチ? 遅い?」
「あーっ、いいの、いいの、ヨーコちゃん気にしないで。そんなことよりよ、ニシキ。お前なんでいまさらヨーコちゃんに手ぇ出そうとしてんだよ。オマエなんか、いくらでも女が言い寄ってくるだろ。こないだも、カオリちゃんとか、ミサキちゃんとか、よろしくやってたじゃないか。オレなんかヨーコちゃんに見捨てられたら、もうたぶん一生オンナ運に恵まれないんだからな。だいたいオマエはよ、オンナと付き合う期間は短いくせに。アソコは長いんだから。うらやましいやら、あやかりたいやら。んっ? なんで誉めてるんだ。ああ、これがホメ殺しってやつか。いや、ニシキの得意技はハメ殺しで… 」
「だから、なんの話してんだよオメエはヨ!」
 この戦意を喪失させる話し方がクセモノだ。それが今日まで仁志貴を行動を抑制してきた要因の一つなのかもしれない。
「 …ハメゴロシ?」
 瑶子はプロレスの技でも想像しているらしく、仁志貴がツッこむ。
「ヨーコ。オマエはなんでそいうとこばっかで反芻してんだよ」
「 …エッ?」
「いやいや、ヨーコちゃんは悪くないから。オレの言葉が詩的かつ多彩だから、聞き返したくなるのはいたしかた… 」
「オメーは黙ってろ。いや、言いたいことがあるなら、回りくどいのはやめてハッキリ言えよ」
「だから、ヨーコちゃんに手ェ出すなっていってるんだよ!」
「手ェ出そうにも、ぜんぜん相手にしてくれないからさ、オマエも随分と、ヨーコを手なずけたもんだな」
「なんだよそれ、聞き捨てならないな」
  仁志貴は、戒人を怒らせようと煽って、瑶子はふたりを止めようと、あいだに入る。舞台は出来上がった。
「聞き捨てさせるつもりはコッチもねえよ。今日は遠慮なく言わせてもらうからな。オマエは自分の価値観だけで、ヨーコを縛り付けてるって言ってんだよ。ヨーコだって、ヨーコなりに努力してるんだ。なんとか他人とうまくやっていこうと。コイツだっていつまでもこのままじゃダメだって思ってるんだ」
「そんなのムリすることないだろ、人それぞれなんだから」
「そうさ、無理するのも、これじゃダメだと思うのも人それぞれだ。ヨーコがなんでいまの仕事選んだのか知ってるのか」
「そりゃ、少しでも引っ込み思案をなんとかしたいって。でもわりに合わない仕事だよ」
「そんな接客業をあえて選んだんだ。どれだけ苦労するとわかっててもやっている、ヨーコの気持ち考えてみろよ」
「そりゃ、一歩踏み出した勇気はすごいと思うけどさ、だからってツライ思いをガマンするのとは違うだろ。そんな仕事やめちゃやいいんだよ」
「オマエのそういう決めつけたモノの考え方が、ヨーコの人生の幅を狭くさせてるんだよ」
 ふたりのあいだで自分の存在が大きくなりすぎている。瑶子はいたたまれなかった。人との関わりを最小限にとどめ、余計な面倒を抱え込まないようにして日々を生きてきた。自分が表現できる場所だけを夢見て、取りつかれたように陽のあたる場所を探している。でも、そんな場所が用意されているわけではない。ただ無意味に時間が過ぎて行くのが怖くて抗っているだけなのに。それをいみじくも戒人が代弁してくれた。
「何で? ツライことガマンしたってしょうがないだろ。誰もそんなの見ちゃいないだ。陽のあたる場所を歩けるのは、陽のあたる場所を歩く権利を持った人間だけだ。有りもしない能力を信じていいのは子供うちだけで、身の丈を知るのが大人ってもんだろ。だからオレは自分を大きく見せないし、見せる必要もない。やれる範囲内の80%でやっておけば無難な人生が過ごせるんだから」
 戒人の素直な言葉は、身に覚えのある仁志貴にはキツかった。それでも、たじろくわけにはいかない。
「それが、オマエの考えなら、それはそれでいいだろ。オレはヨーコの能力を信じられるし、伸ばすこともできると思ってるんだよ。あとはヨーコ次第だ。なりたい自分がなんなのか、どこまで自分を信じられるのか、どこまでその決意が強いのか。小さく収まるのもいい。叶わない夢を見るのもいい。一度の人生なんだからな。いつからだってやり直しはできるんだぜ」
 瑶子の奥歯が噛みしめられたのを肌の上から伝わってきた。心が揺れている。そのタイミングを外すわけにはいかない。
「ひとつ賭けしようぜ。カイト」
「なんだよ賭けって?」
「さっきから、ヨーコにもフラレっぱなしだし、オマエがやすやすノッてくるなんて思ってねえけどよ。こっちは勝手に宣戦布告させてもらうから。戦いに穴あけるならそれもいいだろ。あとはヨーコに聞いとけ。オマエもさ、ヨーコを縛り付けているのか、ヨーコに愛されてるのか、一度、真剣に考えた方がいいんじゃないか。じゃあな」
 仁志貴は背を向け歩き去る。タバコに火をつけたらしく、一瞬だけ上半身のシルエットが浮き上がった。
「なんだよ、アイツ。いきなり変なことばっか言い出してさ。どうしたんだ。ねえ?」
 いきなりでないことを知ってしまった瑶子は、答える言葉が見つからないままなのに、言葉数が少ないのはいつものことと、戒人にはそれほど気にはならない。ただ、仁志貴の言葉にどれほど気持ちを持っていかれているのか、知りたいところではあった。
 二人は仁志貴の後ろ姿を追ったまま立ち尽くしている。それぞれ思うところを咀嚼するのに時間をかけながらも相手の動きを待っていた。どのみち戒人がなんらかのアクションを起こさない限り、瑶子はいつまでもそのまま動かないだろう。昔で言えば侍の妻と、あがめられるはずだ。
 腹が減ってきた戒人がきり出す。
「あー、そのう、どうだろ? とりあえずさ、どっかでメシ食わない? な、ハラ減ってると、ロクなことしか思いつかないから」
 ハラが膨れててもロクなことしか思いつかない戒人に、優しくうなずくしかない瑶子だ。
「問題があったってさ、困ったことがあったってさ、いまこうして生きてるだろ。それがこれまで選んできた人生が正しかったって一番の証拠なんだよ。どうにもならないこと心配してもしょうがないんだからさ」
 それが戒人の、仁志貴の選択に対する精いっぱいのアンサーだった。変化はいらない、これまでの平穏が続くことを求めていた。瑶子の笑みが固まったままなのは、自分の言葉が届いたのだと信じたかった。瑶子にもその気持ちは十分伝わっていた。そうであっても、ふたりの心の隅では仁志貴の捨て台詞が重く圧し掛かっており、表には出せない状況がこれまではなかったぎこちなさを生み出してた。