private noble

寝る前にちょっと読みたくなるお話し

商店街人力爆走選手権

2016-03-06 19:00:48 | 連続小説

SCENE 24

「遅かったわね… 」
 扉を少しだけ開け、恵の様子を伺おうと覗きこんだところで、すかさず声をかけられた。パソコンの操作したままなのに、空気の動きだけで仁美の存在を認識したのか、それともいまや遅しと仁美の帰りを待ちかまえ、つねに扉が開くのを気にかけていたのか。
――両方ね、たぶん。
 仁美が来るものだと思っていたのに、とんだ闖入者の戒人に時間を取られていたのを仁美は知らない。
「なにがあったかのか、どんな手を使ったのか、そこまで細かく聞くつもりはないけど、結果の報告だけは早く知りたいからね」
 仁美は恵の言葉に思わず、衣服の乱れがないか手を伸ばしてしまった。すぐに恵の顔を見ると、恵はあいかわらずモニターから目をそらさないままキーを打ち込んでいた。ゆっくりとなんでもないように見せかけ、手をおろした。一連の動きは見られてはいないはずなのに、目ざとい恵のことを考えれば油断はならない。ドアを開く前に身だしなみは見直しているのに、いざ前面に立てば、そんなことも忘れてしまうほど恵の眼力を畏怖しているし、一目置いている。
「あっ、えーと… 」
言葉を探している仁美の目が泳いでいる。恵が髪をかきあげ、足を組み直してからようやく目を合わせた。涼しい笑顔が逆に怖い。
「ふーん、そうなの」
――えっ、なにが?
 腕を組んで、わかったような表情をに変わる。
「なんかいいわねーえ、若いって。あーら、嫌味じゃないわよ。よかったわねえ、タコス屋のおにいちゃんで。私もさすがに会長とはねえ。まあそれもアリかもしれないけど?」
――間違いなく、イヤミっしょ。
「あのう… 」
 言葉を発そうとする仁美に、遠慮なくかぶせてくる。
「なんだかねえ、ニシキくんだったっけ? ふーん。なんかC調を絵に描いたようなコだったけど… あーいうのがタイプだったけ? 別にね、私が行ってもよかったんだけど、会長のところにアナタをやるわけにもいかないし。そりゃ会長と間違いがあるとも思わないけど… ふーん、ああそうなんだ。私は全然タイプじゃないから、気にしないでいいのよ。熱量が高いのよね、若い人たちは。私はもう下がっちゃってるからね」
なんだ、かんだと、言いたいことだけ言って、すっきりしたのか再びパソコンに向き合い出した。
――何があったか追及してますよね、これって。そのわりには私の話し聞く気ないですよね。つーか、どうして分かった? これって単にカマかけられてるだけとか? ハッタリ利かすのは恵さんの専売特許だし。だったら、コッチも強気で出るけど。えっ? それともアイツからリークしてるんなら、ヘタなこと言えないわね。
 恵は入力した文面を黙読しながら、あいた右手でペンを手にとり、手持ち無沙汰に指のあいだを通し始めた。
――ペン回しはじめちゃった。マジで機嫌損ねてる。で、わたしの報告は聞く気あるのかしら?
 不機嫌な時に恵がよくするクセだ。そしてまだ言い足りないらしく、ひとり言のようにつぶやき始めた。
「あのコ、ホンとにやる気あるのかしら。ヒットミさん。ちゃんと話ししたんでしょ。ニシキ君の役回り。それなのに、瑶子ちゃんオトす前に、別の女をオトしてどーすんのよ。だったらその前にオトすべき人がいるんじゃないかってハナシよねえ」
――えーっ、めんどくさくなってきた。これはいわるゆるネコも喰わないってヤツでしょ。ウマだったっけ。それは蹴られる方か。恵さん、不満タラタラ状態? いやあ、それもフリの可能性大よね。
「セキネさんもセキネさんよね。なあにが適材適所よ。私なんか会長から重堂のどっぷりオヤジコースなんだから。そりゃあ、あれぐらいの年代になれば、落ち着いた雰囲気も必要だし、私が出張るしかないのはしかたがないけど、会長はまだセンスがいいけから話してても面白いからいいとして、重堂なんかもう眼つきが嫌らしいだけで、アーっ思い出しただけで背中が寒いわ」
――あーっ、そういうこと。それも不機嫌な理由のひとつか。このあいだも、さんざん飲み屋でグチられたし。きっと、ああいうタイプの男と昔なにかあったんだわ。まるで親のカタキみたいに罵ってたし。あっ、あのときのお勘定、私が立て替えたままだった。って、いま言い出すわけにはいかないか。
「そうは言っても、ちゃんと、仕事してきたわよ。アイツがちゃんと話しを聞いてたかどうかは、うかがわしいところだけど。契約書は取ってあるから、聞いてようが聞いていまいが知ったことじゃないけどね。だってね、契約書見てるのか、スカートの裾見てるのかわかんないんだからね」
――でも、それを見越してミニ履いてますよね、恵さん。計算? このあいだの打ち合わせもそれ履いてたし。もしかして会社に常備? 不意の不幸に対応するための黒ネクタイ状態的な? それこそ適材適所に使える最強アイテムじゃないですか。セキネさん、ナイス。
「そんなんだからね、話しもそこそこに飛びついてきたわよ。私にじゃないわよ。もし、私に飛びついてきたら、ローリング・ソバット食らわしてやるつもりだから。一度、飛びついてこないかしら?」
――そのミニで、ローリング・ソバットしたら、逆に相手を喜ばしてしまうんじゃないですか… それで、結果ノックアウトさせても、どうなんでしょう?
「ヤツったら上機嫌で、『そんなムチャして大丈夫ですか?』だって。その言葉そのまま返して、さらに今回の夏祭りでは駅前のお客さま根こそぎカッさらわせていただきますからって。そう言ってやったわよ。そうしたら何て言ったと思うアイツ」
――もし、動員数で駅ウラが負けたら、ボクと結婚しませんか? 仕事はもう辞めて。 …とか。
「だったら、動員数で負けたら、仕事を辞めてボクと結婚しませんか? だって。それしかアタマにないのかしらねえ」
――おしい! だって、それしかないでしょ。えっ、受けちゃったとか?
「だから言ってやったわよ。絶対に負けませんから、受けて立ってもかまいませんわ。って」
――受けたんだ。しかも上からで… ああ、そのかわり、恵さんが勝ったら、重堂に代理店辞めさせて、この会社でセキネさんにでも、こき使かわせるとか。
「でね、そのかわり、コッチが勝ったら、アナタが会社辞めて、私のドレイになってもらいますから、って言ってやったの」
――さすが! まだ私は甘いわ。でも、それもある意味、喜ぶでしょ、アイツじゃあ。
「アイツ、あいかわらず気持ちの悪い笑い声を上げて、すでに勝ち誇ったような態度で、よろこんで貴女の奴隷になりますだって。喜ばすつもりはないつーの。あったまきちゃう。だからね。絶対に勝たなきゃいけないのよ」
――よろこぶでしょ、そりゃ。自業自得だし。考えようによっては向こうの思うつぼというか、それもアリ的な…
「はい、私の報告はおしまい。次どうぞ」
――あ、順番だったんだ。しかも、重堂のほうだけ? あいかわらず大事なところは胸の内ってことですか。
 両肘を付き、手の甲にあごをのせるポーズは楽しんでいるようにしか見えない。
――ちょっと、なにを聞こうとしているの? 仕事の話しでいいんですよね。まさか自分みたいに、いろいろとモリ気味にして楽屋オチ期待しているとか?
 仁美がこれまでの恵の話しぶりや、表情から何を気づき、何を知っているのか読もうとしても、ポーカーフェイスは崩れない。これまでの経験上、変に隠し立てしようとすれば、却ってネチネチといたぶられるのがオチだ。追い詰めたネズミを玩ぶ時のようにして、傷口を広げられるのは遠慮したい。しかたなく大外から回り込むような問い方をした。
「あのう、恵さん。いまの話しからすると、もう木崎さんからその件について聞かれてるようですが? でしたら言い訳するつもりは… 」
 恵は満面の笑みをたずさえ、首を傾けた。
――しまった! やっぱりカマかけ!? そのポーズ、カワイくない!
「あなたも、まだ甘いわね。それぐらいで動揺してちゃ。駆け引きにならないわよ。ちょっとね、妙に落ち着きがないし、いつもと様子が違ったから。なんとなくって思っただけなんだけど。大丈夫よ、私は別に。ちゃんと仕事さえしてくれれば、ナニしたって」
――いや、それ、ちょっとストレート過ぎだし。
「でっ、レスポンスはどうだったの」
「はあ、それは、見た感じのがさつさとは打って変わって、気遣いのある言葉とか、繊細な手のつかいかたというか。手だけじゃ… 」
「ちょっとお、なんの話ししてんの?」
――なんのって。ああ、そっちのレスじゃなくて。って、あたりまえか。
「ああそれは、見た目のがさつさとは裏腹に、気遣いや繊細な面もあり、こちらの手の内も把握してるようですし、下調べしたとおり折原さんには思うところがあるものの、瀬部さんに対して無理はできないのは明らかですね。木崎さんは当方の思惑は理解してもらえたようです。カレにとっての思惑ではないでしょうけど、そういった大義があった方が動きやすいでしょうから」
「そう、まずまずね。でもね、目指すところは100パーだから、完璧なストーリーを描いてもらわないとね。駅ウラのお祭りの企画の出どころは私だけど、この部分のアイデアはあなたなんだし、結果が出ればあなたの成果にもなるのよ。勝負がかかってるのは私だけじゃない。あなたが私とこの先も一緒に仕事を続ける気があるのなら、絶対に越えなきゃならない壁なのかもしれない。やりかたにどうこう、いちいち言わないけど、結果は100%しかありえない。わかるでしょ」
「はい、わかってます。この件は、恵さんに託されているんですから。私の責任でこの計画が成功するよう遂行します」
――せっかく私を一本立ちさせてくれようとしているんだから、ここで期待を裏切るわけにはいかないわよね。
「そうでないと、私が重堂と結婚しなきゃいけなくなるでしょ。絶対ありえないから」
――ああ、そっちの心配ですか。それにしても恵さんは、今回の件で、いったいどれだけの人間を動かそうとしてるのかしら。これだけ大きなところを見せられると、とても敵に回す気にはなれないわねえ。
 恵の眼が鈍く光っていた。それも手札の内のひとつだと言わんばかりに。仁美は内心ヒンヤリとした寒気を感じていた。
「ヒットミさん。席に戻る前に化粧室行きなさい。口紅が取れてるわよ」
 条件反射的に、右手が唇を覆う。身だしなみばかりに気が行って、化粧のことがあたまからこぼれていた。
「恵さんっ。えっ、いつから気づいてたんですか?」 
「あなた、服装整える前に、顔も見直しなさい。若いからってノーメイクってわけじゃないんだから。それこそ、あたま隠してシリ隠さずよ。ああ、あたま隠してないか、お尻かくしたかどうかも疑わしい… 」
「なんの、話ですか。もうっ! せっかくだから、このまま休憩室でコーヒーでも飲んで気分変えてきます。それから化粧直ししますから」
「はい、はい、細かい報告はいつものテンプレートに落とし込んで、メールで送っといてね。パスまで付け忘れないでね」
 仁美はべそをかきそうな顔で一礼して部屋をあとにした。
 1時間ほど経つと仁美のメールが届いた。添付ファイルは暗号化されているので、二人で示し合わせてあるパスワードで開封すると、報告にプラスしてスクープ情報が盛り込まれていた。しばらく腕を組んでその文章を何度も読み返してみた。
「あのコもタダじゃ起きないタイプね。口紅のついていないコーヒーカップで偽装するとはいいじゃない。あえて口紅を残すというのも手だけど、社内じゃ効果ないからね」
 まんざらでもない表情をする。
――さて、どうしたものか。手札は多いにこしたことはないから、あとは使いようよね。知らないふりをしてヘタを打たすもよし、いざとなれば効果的なタイミングで正面突破してもおもしろい。ヒットミさんには、なんかお礼しないとね。
 その前に飲み代の清算が先だと言われるだろう。