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マクロス外伝大本営 新統合軍極東太平洋軍管区司令部

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佐久間信盛

2017-12-10 23:02:22 | 戦国武将・戦国姫図鑑
佐久間信盛
【諱】
信盛
【苗字】
佐久間
【朝臣】

【生没】
1528年ー1582年
【父親】
佐久間信晴
【母親】
不明
【兄弟】
佐久間信辰
僧明嶽
【正室】
前田種利の娘
【子息】
佐久間信栄
佐久間兵衛介
佐久間信実
安見右近大夫妻
福島正頼室
佐々氏妻
【解説】
佐久間信晴の嫡男として生まれ、若い頃から織田信長に仕えていた。
なお佐久間氏は平姓三浦一族の和田義盛の曾孫である佐久間家盛を祖とし。
同族に鬼玄蕃と恐れられた佐久間盛政や茶道・宗可流佐久間実勝などがいる。

後年無能扱いされるが、かなり有能な人物であり。
家督相続問題では信長と対立していた織田信次の家臣である角田新五と坂井喜左衛門が造反させたり。
稲生の戦いで信長方の武将として戦い、その功績で筆頭家臣として扱われ。
退きの佐久間と言う異名がつく程殿軍に優れた武将として活躍する。

桶狭間の戦いや六角義賢.義治父子との観音寺城の戦いでは箕作城を落城させ.長島一向一揆や越前一向一揆戦などで活躍。
徳川家康と同盟を結ぶ際に長男・松平信康に信長の娘・徳姫が嫁ぐ際に岡崎城まで同行し、その後は家康の領地と接する西三河を統治。
畿内の行政担当者として松永久秀を配下として、畿内統治を行っていた。

三方ヶ原の戦いでは、平手汎秀・水野信元と共に徳川家康の増援として向かうが、平手・水野が善戦する中浜名湖付近の今切まで戦わずに退却する失態を見せ。
戦場から離脱する朝倉義景軍の追撃を怠った織田家臣団の面々は信長の叱責を受けた際に・・・

さ様に仰せられ候共、我々程の内の者はもたれ間敷

と信長の怒りに油を注ぐ行為を行っているが。
足利義昭を匿った河内若江城主・三好義継を信長の命令で討伐したり長篠の戦いに参陣している。

水野信元が武田と内通していると信長に訴え、徳川家と共闘し信元を殺害し刈谷城を手に入れた。
そして、石山本願寺との戦いを終えると信盛は畿内最大の軍隊を持つ大出世するが・・・・

突然、息子信栄と共に信長に追放されてしまう。
追放された結果、どんどん家臣が離れてしまい・・・・・同年失意のうちに亡くなり。
本能寺の変の一因を作ってしまう。



子孫に幕府軍兵第十一連隊を指揮し鳥羽伏見の戦いで戦死した佐久間信久やその養子であり戦前の英学者佐久間信恭がいる。
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