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安倍政権版「山県有朋首相の『主権線・利益線』」=安全保障法制

2024-03-28 14:27:53 | 防衛

 安倍政権以降の自公政権が成立にこだわる「安全保障法制」は、そのルーツが1890(明治23)年にある。1889年2月11日に大日本帝国憲法が公布され、1890年7月に第1回衆議院議員選挙が実施され、同年の11月に第1回帝国議会「第1議会」が開催された。山県首相は1891(明治24)年度予算案の中で、「国家の独立を保持し、国勢を振張する」ことは国民的課題であるとし、「主権線」と「利益線」の確保を力説した。「主権線」とは国境の事であり、「利益線」とは主権線の安全と密接に関連した地域、朝鮮をさしていた。山県はこの両方の線の確保のため膨大な軍事費を要求した。(1894年8月には「日清戦争」を引き起こしている)。政府や軍部の意向に対して、国民のアジアに対する関心はそれほど切実なものではなかった。国民(自由民権運動のながれをくむ民党)の主な関心は「民力休養」(税金軽減)とか、「政費節減」(予算削減)とか、国内問題にあったため、政府予算の11%の削減を求めた。(また中国に対する歴史的尊崇の念から、日清の提携による欧米先進国との対抗という発想が有力であった)。政府はこれを認める事ができず、閣内の陸奥宗光自由党民党の一つ)左派政府側への寝返り工作に成功し、予算案は衆議院を通過した。議会閉会後、山県内閣は総辞職した、という歴史があった。

 福沢諭吉日清戦争開戦に対し、「日清戦争は文野の戦争なり」とした。「文野」とは日本の「文明野蛮」な中国との戦いであり、日本の文明を野蛮な中国に伝える使命を持つという考えである。日露戦争に対しては非戦論を主張する内村鑑三も、『国民の友』「日清戦争の義で、「日本は東洋における進歩主義の戦士」であり、中国は「野蛮主義の保護者」であり、日清戦争は「義戦」であるとした。これらに共通するのは、 ➀日本が文明開化の課題をすでに達成した文明国である事 ②中国はもはや伝統的な「文明」国ではなく遅れた「野蛮」国と認識している事 ③日本の使命は文明をアジアに伝達する事である、とする考え方(大国意識)である。

 この大国意識は、この後  ➀最終的にはアジアの盟主となるべきだとする過度の自負心 ②中国及びアジア諸国民への蔑視 ③欧米諸国への過度の卑屈さ、を内包するものとなり「自衛のため」「東洋平和のため」との理由を掲げ、侵略戦争を継続拡大し続ける神聖天皇主権大日本帝国政府の歴史が作られていく事になった。

 その原因は、神聖天皇主権大日本帝国政府が、「異論を認めない」政治体制、それは天皇独裁による全体主義の政治体制(国体)であったからである。現在の安倍自公政権こそその最後の「落とし子」である。自己の目的達成(神聖天皇主権大日本帝国政府への回帰)のためには、まず自民党内において、そして国民に対して、弾圧の手を伸ばす。主権者国民がこれに屈すれば、このあとの国民生活は抵抗する事さえできない状態にされて、あらゆる事に関して、彼らの思うままにされていくだろう。安全保障法制の成立が終着点ではないのである。「自民党憲法改正草案」と「日本国憲法」を比較してみよう。その行きつく先がイメージできる。

 公明党」も党内での「異論封じはすさまじい状態で行われている。支持団体である創価学会」においても同様である。「公明党」は「山口那津男氏」の独裁体制となっており、「創価学会」も山口氏と考え方を同じくする人々(公明党山口ワールドによる独裁体制となっている。

 創価学会の名誉会長・池田大作氏については、私は違うが、学会員である友人自身の話では「池田大作氏はすでにこの世にいない」との事だ。この時代になんという事だろう。

 国民は何という政府に政治を握られてるのだろうか。もうこれは民主主義国家ではない。敗戦までの神聖天皇主権大日本帝国政府では軍部特に陸軍部が主導し、政府の政策を左右してきたが、安倍政権以降の自公政権はその軍部の果たした役割を併せ持つ体質を持っている。

 一筋縄ではいかないが彼らに政治権力を握らせてはおけない。民主主義を本当に大切なものと考えるならば。

※「戦後70年談話(安倍談話)に関する「有識者会議」「21世紀構想懇談会」が7月7日、議事要旨を公開した。その中に国民の生活に関わる事、もちろん憲法違反に当たる事であるが、注意すべき話題が2つ含まれていた。それは修正歴史主義歴史観の正当化」と「靖国神社の国際的復活という事だ。これはこれまでの価値観をすべてひっくり返すという事だ。「歴史修正主義歴史観」についていえば、「証拠を積み上げてきた歴史を、根拠が薄弱なまま疑わしいと主張する。論理的な飛躍を犯しながら、自分たちが否定したい事柄は捏造だといい、修正を図る」ものだ。90年代後半から、安倍政権ワールドの「日本会議が言い始めたもので、侵略と植民地支配を問う声を否定する事が目的である。

 安倍首相は「歴史認識は歴史家に任せるべきだ」と発言したが、言葉のトリック(詭弁)で、彼も彼自身に都合よく作り上げた「歴史認識」にもとづいて政治をしているという事を国民は押さえておかなければならない。

(2015年7月18日投稿)

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