朝日新聞の2017年10月26日「天声人語」欄に、「1950年代、中国の全土でスズメ撲滅運動が起きた。当時の指導者だった毛沢東の指示により、ネズミ、ハエ、カと並ぶ「四害」とされた」との言葉を見て、ふと最近テレビ番組でも取り上げられたあの悪名高い日本のアウシュビッツともいわれる「731部隊」も「ネズミ」と関りが深かった事を思い出した。
●「731部隊」とは秘匿名で正式には「関東軍防疫給水部本部」(1940年12月2日)といい、ハルピン市の平房に秘密基地がつくられたのである。その部隊長・石井四郎(軍医中将)の名前をとって「石井部隊」とも呼ばれた。言葉通りに受け取れば「伝染病や風土病を予防し、無害の飲み水などを給付する」部隊という事であるが、実際の活動は対ソビエト戦に備えての大規模な細菌戦の研究と開発であった。
細菌戦とは、人を殺すために様々な「ばい菌」を作ってばら撒く事である。人の命を救う事を使命とする医者でありながら、それを逆に利用したという事である。それも反満抗日運動をしていた中国人や、朝鮮人、ロシア人などを生体実験の材料としていたのである。
日本敗戦の年には、「731部隊」はペスト菌の乾燥保存(乾燥菌製造)技術を開発し、通常ペスト菌の60倍の毒性を持つ変性菌をも産出していたという。また、ペスト菌霧化技術も進み、陶器爆弾も完成し、特別に生存力の強いネズミや、「最も効果的な吸血能力を持つノミ」の一種族が大量繁殖されていた。
そして、1945年5月、石井部隊長は部隊幹部に対して「日ソ開戦は必至の情勢……これより731の総力を挙げて、細菌とノミ、ネズミの増産に突入する」という増産訓示をしたのである。
元隊員の証言によれば「ペスト菌を中心に、井戸水や貯水池に投げ込むチフス菌、コレラ菌、河や牧場を汚染する脾脱疽菌を、向こう2カ月間に大量生産せよ、命令が下りてきたのが5月10日の事だった……細菌製造工場だったロ号棟1階勤務の柄沢班は増員され、24時間体制で生産に入った……その結果、ペスト菌だけで20㎏近く製造したと思う……貯蔵してあるものを含めると、乾燥菌を合わせ100㎏に達したのではないか」という。
ペスト菌をネズミのノミを媒介にして拡散させるために、ネズミについては「300万匹増産」を目指す命令が下った。ネズミの捕獲のために「特攻隊」が組織され、隊員たちは大量の捕鼠器をトラックに積み込み、ハルピンや新京(長春)の各市街を回り、住民や中学生女学生たちを大々的なネズミ捕りに動員したようだ。731部隊は各支部はもちろん、庁舎、宿舎を問わず、高さ1㍍足らずの板囲いの中で、不寝番までつけてネズミ増産に狂奔したという。平房秘密基地周辺の村人にも1人当たり5匹の「ネズミ捕りの命令」が発せられ、捕まえなければ処罰されたという。
散布・投下にも使用するペスト・ノミの増産目標は「300㎏」(約10億匹)とされたが、田中班には4500個のノミ飼育器があり、わずか数日間で1億匹のノミを確保できたという。
元隊員の証言によれば、敗戦直前に使用可能な保存細菌は「もし全部を理想的な方法でばら撒けば地球上の人類はことごとく死んでしまう」ほどの量であったという。
この増産計画は8月9日のソ連軍の対日参戦により成就できずに終わらざるを得なくなったというが、ナチスと同類の731部隊の一連の極悪非道の所業は二度と行ってはならない事であり、戦後に生まれた我々日本人も先祖の犯したその所業の罪深さを肝に命じ決して忘れてはならない。
●大阪にペスト襲来について
1899年には大阪に襲来しており、府下で161人が発病し、市内では153人のうち138人が死亡しているが、1904年暮れから1910年までの6年間、再び大阪で大流行した。ペスト菌がネズミのノミを媒介にして広まる事は1894年に北里柴三郎により究明されており、感染経路は明らかとなったが、死亡率は89%であった。患者は大阪市立桃山病院に運び込まれ、家族と隣接民家の住民は北区西梅田下島町(現福島区)の通称鼠島の消毒所へ隔離された。患者の出た町も広い範囲でトタン板で交通遮断し石灰のようなもので大消毒がなされた。治療の決め手はなく、リンパ腺を切り取り、衰弱するとブドウ酒に強心剤を混ぜて飲ませたという。
ペスト菌の感染拡大を防ぐ方法も「ネズミ退治」しかなかったので、1904年11月25日から大阪市は、各交番を窓口にしてネズミ1匹を2銭で買い上げた。連日3000匹以上が持ち込まれ、感染地域が広がると買い上げ値段は値上げ(05年12月には1匹10銭)されていき、持ち込まれるネズミの量も5000匹を大きく上回った。当時1日20銭あれば大人の男は1日生活できた時代であったので、5匹も獲れると「すき焼き」をしたという。また、ネコを飼うのも流行り、どこの家でも最低2匹はいたという。ネコがネズミをくわえていると、人間がそれを横取りし交番へ走ったともいう。
この大阪でのペスト大流行の時期は、ちょうど日露戦争旅順総攻撃、桂・タフト協定、ポーツマス条約、日比谷焼打ち事件、第2次日韓協約、朝鮮統監府開庁、ハーグ密使事件、第3次日韓協約、安重根による伊藤博文射殺、大逆事件、韓国併合(朝鮮植民地化)条約、朝鮮総督府開庁などの時期に当たる。
(2017年10月29日投稿)