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天皇の宮中祭祀(皇室神道)が三権の長(為政者)など公務員による憲法の「政教分離原則」違反行為を生んでいる。

2025-01-24 22:19:33 | 皇室

 国家神道の中核となっていた「皇室神道」は、GHQが日本政治に政教分離を確立させるために発令した1945年12月15日の「神道指令」(「国家神道、神社神道に対する政府の保証、支援、保全、監督ならびに弘布の廃止に関する件」)に基づいて、当時の宮内省は、国家神道の中核となっていた皇室神道の祭祀(宮中祭祀=天皇の祭祀)を規定した「皇室祭祀令」の廃止をしなければならなくなった。

 皇室祭祀令は1908年9月の「皇室令」第1号で制定されたもので、1927年に部分的に改正され、宮中祭祀の主な内容と形式を定めたものであった。それを敗戦後のGHQ の指導により廃止をしなければならなくなったという事である。

 廃止の中身は、特に8条と20条を見ると、「皇室祭祀令」の大祭、小祭にある「天皇、皇族及び官僚を率いて」(8条、20条)の文言を削除した。また、19条1項「皇室又は国家の大事を神宮、宮中三殿、神武天皇山陵、先帝山陵に親告する」儀式を中止し、例祭の時に天皇の勅使が奉幣する「勅使社」の扱いを取りやめた

 しかし、1947年5月2日、日本国憲法施行の前日に、宮内府長官官房文書課長名で「依命通牒」が出された事によって、宮中祭祀は、基本的に1908年9月の「皇室令」第1号で制定された「皇室祭祀令」に基づいて、敗戦後も引き続き行われ伝承継承され、現在も行われているのである。その「通牒」の内容は、

 「皇室令及び付属法令は、5月2日限り廃止せられる事になったについては、事務は概ね左記により取り扱う事になったから、命によって通牒する」、そして第3項で「従前の規定が廃止となり、新しい規定ができていないものは、従前の例に準じて事務を処理する事」というものであり、『宮内庁法規集』に収録されていたが、その後(1950年9月)この「通牒」は削除してしまっているのである。

 このような宮内庁の国民に対する欺瞞的な対応によって、現在まで、上記のいずれもが、廃止されたかつての「皇室祭祀令」に基づいて「内廷の事」(私事)として行われてきたのである。しかし、この行為は、憲法の「象徴天皇制」「政教分離原則」「三権分立」「国民主権」など、「日本国憲法」の原則をまったく無視し空洞化させた犯罪行為という以外の何物でもなく、天皇を含む時の為政者による政治権力の濫用によって主権者である国民を欺いて続けられてきたのである。

 例えば、「宮中祭祀」の「大祭」の中の「春秋の皇霊祭」「神殿祭」「新嘗祭」は先の「皇室祭祀令」によれば、天皇自らが「皇族及び官僚を率いて親から祭典を行う」となっているのであるが、そのために祭祀令中の「官僚」(国家公務員など)に当たるものに賞典長(天皇家の私的使用人)名で「案内状」が出されているのである。

 その「官僚」とは、

内閣総理大臣、国務大臣国会議員、衆参両院議長、同副議長、同両院事務総長、最高裁長官、同判事、同事務総長、認証官、国会図書館長、内閣法制局長官宮内庁職員、皇宮警察本部職員」であり、

その案内状は、

「来る23日に新嘗祭神嘉殿の儀を行われますからご参列の向きは、午後○時○分までに賢所参集所に参集されますようご案内申し上げます。なお、モーニングコートを御着用」というものである。

 そして、「皇族及び官僚」は「天照大神」(伊勢神宮の祭神、天皇は祖先神としている)に拝礼しているのである。日本の自民党系政権は天皇家というオカルト集団を核として成立するオカルト政権という事なのである。天皇家というオカルト集団による宮中祭祀(皇室神道)廃絶しないかぎり、これによって生じる様々な弊害(科学的思考が困難)は継続し、主権者国民は非建設的なその矛盾に苦悩し続け発展できないであろう。しかし、為政者はそれが狙いなのである。

 安倍政権は「憲法違反」を重ねている。また、メディアはその情報を意図的に隠し、安倍政権の側に立ち、安倍政権にとって不利にならないように、国民に伝えず国民の判断を誤らせているのである。つまり、情報操作であり、世論操作をしているのである

 宮中祭祀の大半は、国家神道体制を樹立するために、明治維新後に新しく創作されたものであり、何百年もの歴史を持つものではないという事も知っておかねばならない。為政者は政権を維持するために主権者国民に隠し欺いている事が多い。国民は主権者であろうとするならば、隠されている事を知る事に努力し、知り得た事を多くの国民に広め正しい判断の糧としてもらわなければならない。

 主権者国民は、安倍政権の「式典準備委員会」が、現行天皇の退位や新天皇の即位に関する儀式のあり様を検討している今こそ、憲法の「政教分離の原則」の重要性に目覚め、現行天皇の即位儀式の誤り(政教分離原則に違反していたが強行した)を繰り返してはならない。そして、天皇家や安倍政権に対して、第99条「憲法尊重擁護の義務」を遵守するよう要求すべきである。

 安倍政権は、主権者国民の考え(皇室神道色の排除)が反映される方法で、退位・即位の儀式のあり方を決定すべきである。

(2018年1月18日投稿)

 


皇室神道(今日も存続する国家神道の中核)のメディアが報道しない年末宗教儀式

2025-01-24 22:02:17 | 皇室

 神聖天皇主権大日本帝国政府が生み出した「国家神道」は、アジア太平洋戦争の敗戦後、GHQ占領下の「神道指令」により「解体」された。しかし、それは「消滅」したのではなく、戦後も、国家神道の「」である「皇室神道」と、それを支え「神社神道」のほとんどすべてを傘下に収め君臨する「神社本庁」(前身は内務省神祇院)によって存続しつづけ、今日に至り、さらに戦前回帰を目論んでいるのである。自公政権日本国憲法第20条1項「いかなる宗教団体も、国から特権を受け、又は政治上の権力を行使してはならない」、2項「何人も、宗教上の行為、祝典、儀式又は行事に参加することを強制されない」、3項「国及びその機関は、宗教教育その他いかなる宗教的活動もしてはならない」という定めを無視し意図的に蹂躙している。それを許しているのは、明らかに国家的な行事として神道儀式が実施されているにもかかわらず、「内廷の事」、天皇家の私事としてメディアが処理し報道しない事と、主権者国民の多くがそれを問題視しないからである。

※国家神道(皇室神道が核) 神像……日の丸、御真影

              教典……教育勅語

              賛歌……君が代

 皇室神道の年末の儀式には、「節折(よおり)」と「大祓(おおはらい)」がある。「節折」とは、天皇の穢れを払うというもので、天皇に白絹の着物をあて、そのあと天皇は口気を三度かけ、穢れを移す。次にの枝で自分の身体を左右左となでる。そのあと、侍従(公務員)が天皇の背丈、肩から足などに篠竹を当て、その寸法で折る。最後に15㌢ほどのに三度息を吹き込む。これらの「荒世(あらよ)の具」を使っての所作が済むと、次は「和世(にごよ)の具」として、同じものを天皇に渡し、同じ事を繰り返す。絹の着物だけは紅地である。皇后、皇太子夫妻は、御服の儀だけで、それぞれ吹上、東宮御所で行う。

 「大祓」とは、宮中三殿と称するものの一つである神嘉殿前庭で「節折」に続いて行う。「掌典(天皇家の私的使用人)」が参列者を代表して「皇族」を「大麻」で払う。これらの「贖物(あがもの)」は唐櫃に入れて、浜離宮から海に流した。1980年からは皇居・北詰門付近の濠に、重しをつけて沈めている。

掌典は宮中三殿の神殿に、内掌典賢所皇霊殿に仕える。

神嘉殿新嘗祭を実施する。

(2022年12月27日投稿)


「恵方」とは?それはどうして決めているのか?

2025-01-24 09:58:22 | 日本人

 2021年2月2日。今日は「節分」の日となった。国立天文台暦計算室によると、節分が2月2日になるのは、1897年以来124年ぶりとの事である。また、2月3日でなかった年は1984年にもあり、その年の節分は2月4日であった。この1984年からすると37年ぶりとの事である。ちなみに、2021年から2057年までは、4年毎に「節分」の日が「2月2日」になるとの事である。

 ちなみに、この日付の変動は、地球の公転周期が約365.2422日であり、1年を365日としている日常生活から微妙に長いため、それを調整するためとの事である。

 さて、この節分には、「恵方」が話題になる。「恵方」とは何か? 古くは、元旦には「年神」を迎えるという風習があった。その年に「年神」が宿る方角は「縁起の良い方角」とされていた。その方角を「恵方」といったのである。今日、「初詣」が盛んであるが、「初詣」はそもそも「恵方参り」に由来するものであり、その年の「恵方」にあたる神仏に参詣して、一年の豊穣と家内安全を祈願するものだったのである。

 その「恵方」はどのようにして決められているのだろう。それは「陰陽道」に基づき一定のルールに従って定められているのである。「恵方」には4つの方角(甲、庚、丙、壬)があり、は寅卯の間(東北東)、は申酉の間(西南西)、は巳午の間(南南東)、は亥子の間(北北西)とされている。その4つを使い「甲庚丙壬丙」の順の組み合わせをつくり、それを(甲乙丙丁……)(子丑寅……)表記の年号(例えば、甲午年)と組み合わせて各西暦年号の「恵方」を決めているのである。つまり、

西暦年号   十干  十二支  恵方  方角

2014年    甲   午    甲   東北東

2015年    乙   未    庚   西南西

2016年    丙   申    丙   南南東

2017年    丁   酉    壬   北北西

2018年    戊   戌    丙   南南東

2019年    己   亥    甲   東北東

2020年    庚   子    庚   西南西

2021年    辛   丑    丙   南南東

2022年    壬   寅    壬   北北西

2023年    癸   卯    丙   南南東

2024年    甲   辰    甲   東北東

2025年    乙   巳    庚   西南西

(2021年2月2日投稿)