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つれづれなるままに心痛むあれこれ

知る事は幸福度を高める

「母の日」の由来

2020-08-17 09:07:11 | 文学・歴史

 1948(昭和23)年7月20日発布の法律第178号「国民の祝日に関する法律(祝日法)」では、5月5日の「子どもの日」は、「子どもの人格を重んじ、子どもの幸福をはかる」日とするとともに、「母に感謝する日」ともしているが、一般的に「母の日」は「5月の第2日曜日」という事になっている。

 由来はアメリカにあり、母を亡くした人は、生前のキリストマリアの涙を意味する「」、母が健在の人は復活したキリストを意味する「」のカーネーションを胸に飾り、母に花束を贈って常日頃の母の苦労を慰め、母の愛を讃えて感謝する日とされている。

 アメリカのウェストヴァージニア州教会に、ミス・ジャービスという女教師がいた。日曜学校の説教の時、モーセの十戒の一つ「汝の父母を敬え」という章の解説に「母の恩の深い事を人に悟らせる方法を考えよ」と教えていた。彼女が亡くなり、その追悼式が命日に行われた時、一人娘のアンナ・ジャービスは、母が好きだったという白いカーネーションを母に捧げる事で母の教えを伝えていこうと思い、信者たちに白いカーネーションを配った。信者たちはそれを胸に飾って、教えの通り母への感謝を示した。

 この話を伝え聞いたデパート経営者ジョン・ワナメーカーが、1908年5月の第2日曜日に母を讃える記念会を催して、アンナの話を人々に伝えた。これが反響を呼び、1914年、議会の決議をへて、第28代ウィルソン大統領が国民の祝日として、5月の第2日曜日を「母の日」とする事を定めたという。

(2020年8月17日投稿)

 

 

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ぶらっと関西歴史散歩「奈良・竹内集落」が紹介する松尾芭蕉の句碑

2020-08-17 09:01:56 | 文学・歴史

 2020年8月14日の朝日新聞「ぶらっと関西歴史散歩」が奈良・竹内街道」を取り上げていた。竹内集落に近い「二上山」についても紹介していた。ここへは昔、2、3回訪れた事があった。縄文石器時代の石器の材料、主に西日本で流通し使用された「サヌカイト」の産地であったためで、それを直に目にし手で触れた体験をしたものであった。

 また、竹内集落は江戸時代に松尾芭蕉が訪れていくつかの俳句を残したとし、「綿弓の句の石碑」が存在する事も紹介している。この句は『野ざらし紀行』に載せられた句であろう。芭蕉は1684(貞享元)年8月から85(貞享2)年4月にかけて、門人の千里を同行させ、初めての文学の旅に出て、俳諧紀行文『野ざらし紀行』をあらわした。その『野ざらし紀行』に「大和の国に行脚して、葛下の郡竹の内といふところはかの千里が旧里なれば、日ごろとどまりて足を休む、としてこの句─ 綿弓や琵琶になぐさむ竹の奥 ─を詠んでいる。

(2020年8月17日投稿)

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