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安倍自公政権は「明治の産業遺産」について世界遺産委での韓国政府との約束を反故にするな。近鉄は生駒トンネル建設事故死の朝鮮人労働者慰霊碑建立

2024-07-28 09:00:44 | 世界遺産

 2019年12月1日までに安倍自公政権は、世界文化遺産に登録された長崎市の軍艦島など「明治日本の産業革命遺産」に関する保全状況報告書をユネスコに提出した。安倍自公政権は、2015年の世界遺産委員会では「意思に反して連れて来られ、厳しい環境の下で働かされた多くの朝鮮半島出身者がいた事を認め、当時の徴用政策について理解できるような措置を講じる」と表明していたが、今回触れていない。そのため、韓国政府は安倍自公政権に対し「朝鮮半島出身の強制労役の犠牲者を記憶に止める措置をとる事を約束した」と主張し、「約束通りの措置をとる」よう要求している。

 近畿日本鉄道の前身である大阪電気軌道会社生駒トンネル建設において、朝鮮人労働者が落盤事故により死亡している。

 1910年9月、大阪~奈良間に電車を走らせようと、大阪電気軌道会社が創立された。大林組の大林芳五郎らが創立委員となり、社長に広岡恵三、専務に七里清介、取締役に岩下清周らが就任した。大正時代の初期には、大阪~奈良間にはすでに国鉄(現JR関西線)が走っていたが、生駒山を迂回していたので、2時間近くもかかっていた。それを50分前後に短縮しようとした。この事業の最大の難関は生駒山であった。山をぶち抜くトンネル案と、ケーブルで山頂を越そうという案と、2つの案が出た。トンネルでは膨大な経費が必要なのでケーブル案に傾きかけた時、岩下が現地を見に行き「遊覧電車ならともかく、高速電車をケーブルにすると後世の物笑いになる。どんな事があってもトンネルにすべきだ」と主張した。

 1911年6月19日、大阪上本町~奈良三条間の30.6㌔の鉄道敷設に着手した。同年7月4日から全長3388㍍、幅6.7㍍、高さ5.5㍍のトンネル工事が、東西から同時に始まった。当時、国鉄中央線の笹子トンネル(4.7㌔)が日本で最長であったが、これは単線狭軌で、複線広軌では生駒トンネルが最初の試みであった。1913年1月26日午後3時半頃、生駒トンネル東口から700㍍の坑内で、レンガを積み上げ中、落盤事故が発生し、153人が生き埋めとなり、19人が死亡した。

 生駒駅の北側にある浄土真宗西教寺では工事関係者の葬儀や法要が営まれた事から当時の追悼式の文書や工事期間中の過去帳が遺されている。生駒トンネル西口から下った浄土真宗称要寺(東大阪市日下町)境内には大阪電気軌道会社と大林組が建立した「招魂碑」がある。裏面には24名の傷病没名が刻まれ、その中に朝鮮人労働者の名がある。

 生駒駅から宝山寺への参道を登ると、右側にハングルのルビがふられた「宝徳寺」があるが、戦後外国人に対し認められた最初の宗教法人である。この寺は住職の趨南錫(故人)が生駒トンネル工事で酷使された同胞の話を知り、トンネル工事にゆかりのあるこの地に建てたものである。境内には1977年11月、地元の有志と近畿日本鉄道の協力し、本堂より一段高い敷地に「韓国人犠牲者無縁仏慰霊碑」を建立している。

 生駒トンネル工事の現場に朝鮮人労働者が働きに来ざるを得なかった背景の一つに「韓国併合」以前の朝鮮での鉄道工事がある。生駒トンネルの工事を請け負った大林組は当時のゼネコンとでもいうべき他の土木請負会社とともに、日露戦争(1904~05)を契機として朝鮮での鉄道工事に参入している。京釜鉄道(ソウル~釜山)の一部と臨時軍用鉄道の一部、さらにソウル~義州間の停車場や機関庫の工事を請け負い、以後の日本国内の請負工事に実績を上げていく。大林組と朝鮮人労働者との関係はこの時期から密接になり、生駒トンネル工事にも朝鮮人労働者が就労する事になったといえる。また、大林組は「韓国併合」後の日本国内での請負工事で、朝鮮人の労働力を最大限に利用し私益を上げていく。

 生駒トンネル工事の歴史は、単にならと大阪の地方史ではなく、これ以後に続く「朝鮮人強制連行・強制労働」の起点であり序章であるといえる。

 1914年1月31日未明、生駒トンネルは貫通し、4月30日に開業した。

 1964年7月、車両の大型化にともない、すぐ南側に新しい生駒トンネルが貫通し、50年にわたるお勤めを終えた。

(2019年12月12日投稿)


NHK「所さん!大変ですよ、追跡!世界遺産その後」で偏向テロップ「仁徳天皇陵(大山古墳)」:古墳の被葬者は学術的に未確定。堺市市長教委と大仙小校長教員そして大人は世界遺産登録のため小学生を利用するな

2024-03-28 22:07:39 | 世界遺産

 2019年2月21日NHK テレビ番組「所さん!大変ですよ 追跡!世界遺産その後」において、「大山古墳」とすべきを、「仁徳天皇陵古墳(大山古墳)」との文字テロップ(もう一つについては「誉田御廟山古墳」とのみ)を流していた。このNHKの番組作りの姿勢は、学術成果を無視したものであり、偏向した思想に基づく主観的非科学的なものであり、故意に誤った知識情報を伝えようとしているとみなすべきであり、断じて許す事ができない。

 2018年9月28日、日本考古学協会は、来年の世界文化遺産登録をめざし安倍自公政権が推薦している大阪府の百舌鳥・古市古墳群に関して、大阪市内で記者会見し見解を発表した。宮内庁が「仁徳天皇陵古墳」などと称して管理している現状について、協会は「各古墳の被葬者は学術的に確定していない」のであるから「学術的な観点に基づいた名称で呼ぶべきである」などとして、たとえば「仁徳天皇陵古墳」は「大山古墳」と称するべきだなど、一般の古墳同様、地名や地元の古い呼称に基づいた名称で呼ぶべきだという見解を発表した。

 しかしすでに、この宮内庁称する「仁徳天皇陵古墳」に関連して看過できない批判すべき出来事が起こっていた。それは堺市で大仙小学校の6年生75人が2018年9月18日、堺観光ボランティアに指導されて、校区内にある宮内庁称する「仁徳天皇陵古墳」の観光ガイドに挑戦したというものである。子どもに郷土への関心を高めてもらう事を目指す堺区の取り組みの一環として実施したという。

 しかしこの取組みは、上記のような考古学協会の見解を尊重するならば、決して行ってはならないものであるというべきである。それは、堺市長、堺市教委、大仙小学校の校長と教員がその地位立場の権力権限を利用して、その取り組みを学校教育の一環として位置づける事によって子どもたちにとっては拒否できない形で、事実ではない事=「ウソ」を押しつけ観光ガイドをさせたという事になるからである。さらには、子どもの権利条約第14条1項「思想・良心及び宗教の自由について児童の権利を尊重する」という趣旨に照らしても行ってはならない事である。

 また、住民の大人たちの中にも考古学協会の見解を理解をせず、宮内庁の主張を事実であると思い込み、無責任にも子どもたちに誤った認識を与えている人々がおり看過すべきではない。たとえば、古墳の清掃活動に取り組む住民団体「仁徳陵をまもり隊」である。この事務局長は「世界遺産登録で、古墳を次代に残していければ」と話しているからである。ただちに謝罪させ止めさせるべきである。

 ところで今回の考古学協会の見解はすでに古くから周知の事である。にもかかわらず観光ガイドの取り組みを実施したという事は、行政関係者(市長、教委、学校校長教員など)が、その地位と権力を不正に利用して小学生たちを動員したと断言してよいがなぜそんな事までするのだろう。それはほかでもなく、安倍自公政権にとってそうする事が都合が良いという事であり、事実でなくても、歴史を捏造して事実に仕立て上げ世界遺産に登録してもらうためである。つまり、世界遺産に登録される事によって事実にしてしまおうというのである。それは詐欺行為以外の何物でもない事は明白であるが、安倍自公政権の文化庁世界文化遺産室長が、「来訪者への情報提供のあり方」や「古墳の保全への地域住民の関わり方」などについて、現地堺市に対して指導している事を見ても明らかである。ちなみに歴史を捏造する事についての罪悪感など、敗戦までの神聖天皇主権大日本帝国政府にはまったくカケラもなかったのだから。すべてを捏造と見てもそれほど見当違いにはならない程である。主権者国民が知っておかねばならない事は、このような歴史の捏造行為は、科学的な裏付けなく歴史を自己に都合よく作り上げる歴史修正主義者の姿勢なのだという事であり、神聖天皇主権大日本帝国への回帰を目指す安倍自公政権はそれを誠実に受け継いでいるという事実である。

(2019年2月24日投稿)

 

 


世界遺産推薦閣議了解「百舌鳥古墳群」:文科相の会見内容では国民も世界の人々もその価値を理解できない、憲法第88条の厳格適用を

2024-03-28 22:03:04 | 世界遺産

 2018年1月19日、安倍自公政権は、2019年のユネスコ世界文化遺産登録を目指す「百舌鳥・古市古墳群」の推薦を閣議了解したという。その中には前方後円墳「大仙古墳」(伝仁徳陵ともいう)が含まれている。

 そして、林芳正文科相は会見で、「土で造られた建造物群であり、世界的に顕著な価値があると十分認められると考えている」と話している。

 会見内容を知って驚いた。文科相でありながらこんな理由(土で造られた建造物群)で推薦の閣議了解を認めたのかと。また、これは国民に対しての説明でもあるが、その説明がこれだけなのかという事で呆れてしまったという事である。国民がいかになめられてしまっているかを表している。

 単刀直入に言えば、「大仙古墳」は、宮内庁が「天皇家の墓」であるとして、発掘を認めていない。そのため、誰が葬られているのかもわからない。構造も詳細にわからない。ないない尽くしであるのが今日の国民の知り得ている状態である。当然、国民自身にはもちろん推薦の理由が理解できない。であれば、ユネスコ、つまり、世界の人々には「推薦」の理由は理解不可能であろう。

 世界遺産リストに登録されるためには、「世界遺産条約履行のための作業指針」に示されている登録基準に合致する必要がある事はもちろんであるが、そのほかに、「真実性」「完全性」の条件満たさなければならない。

 この事はつまり、現在の「大仙古墳」(他の多くの古墳もそうであるが)は当初の景観とは異なっていると考えるのが一般的である。つまり、「古墳」の基本的な景観は、表面に「葺石」が施されていたと考えられている。であるならば、上記の「真実性」や「完全性」の条件をクリアするためには、現在繁茂している表面の草木類を撤去し、「葺石」状態に復元しなければならない。それが「完全性」をクリアする事にもなるはずである。主権者国民はこのような点を安倍自公政権に対して要求すべきである。そして、「古墳」を国民の財産、国有財産として取り扱うべきである。そうする事が、憲法第88条「皇室財産・皇室の費用」に定めている、「すべて皇室財産は、国に属する。すべて皇室費用は、予算に計上して国会の議決を経なければならない」という趣旨に沿った取り扱いではないだろうか。

 安倍自公政権が、「百舌鳥古墳群」等を「世界的に顕著な価値があると十分認められる」と考えるのは、現状では、手前勝手な自己都合自己満足に過ぎない。

(2018年2月2日投稿)


白石、福永両氏(世界遺産推薦者)は、軽薄で無責任、宮内庁と結託し考古学界の常識倫理に背く:安倍自公政権に利用され、自らも売名目的に利用した

2024-03-28 21:59:54 | 世界遺産

 2019年7月6日、「百舌鳥・古市古墳群」が世界遺産に登録された。その推薦作業に関わった考古学者に、白石太一郎氏(大阪府立近つ飛鳥博物館名誉館長)と福永伸哉氏(大阪大学教授)がいる。安倍自公政権が世界遺産登録に推薦する動きを進めてきた中で、様々な点に関して、日本考古学協会など考古学・歴史学の13学会が登録推薦に対する見解や抗議を行ってきたが、彼ら両人のその見解や抗議に対する反論主張を分析してみると、彼ら両人はまったく学者として説得力のある常識や倫理を有していない事が明白である。彼らは、真の学者としての立場からではなく、自己の売名目的で推薦作業に関わっていたのであり、安倍自公政権はそのような彼らの体質を見透かして彼らを利用したのである。彼ら両人の考え方は、共通しており、軽薄で無責任そのもので、そして、彼らの専門とする考古学界はもちろん歴史学界の常識や倫理を否定無視したものであり、学者としての倫理に背いたものである。彼らは、ただ単に考古学に関する「物知り」に過ぎず、アマチュアにも劣る体質というべきである。

 彼ら両人は「売名体質」を有していたので、安倍自公政権が彼らの「売名体質」や「肩書」(日本国民は肩書に弱い習性をもつ)を利用して、特に「大山古墳」をその代表としてその被葬者を確定するという宿願を、「世界遺産に登録される」という手法を使って達成しようと試み、実現させたと言って良い。彼ら両人は、神聖天皇主権大日本帝国政府において伊藤博文がすでに捏造し正当化してきた「神武天皇に始まり、万世一系とする神聖不可侵の天皇制支配」を、敗戦後の日本で否定されたにもかかわらず、安倍自公政権が今日再び真実として捏造しようとする(歴史捏造)目論見に加担したといえる。

 白石氏の考え方は、極めて自己中心的独善的で軽薄で無責任である。たとえば、「「陵墓」の祭祀自体は国民に理解されている」と言うが、それは極めて非科学的で乱暴な判断であり実態を表していないし、彼がそうあらねばならないあるべきだと決めつけ国民の意識を誘導(洗脳、刷り込み)していると言うべきである。そして、「陵墓のあるべき姿に国民的な議論が起こり、バランスの取れた国民合意が形成できればいい」と言うが、そんな事ができるくらいなら今回の遺産登録推薦の経過の中でとっくにできているはずである。できていないから異議を唱えたり抗議したりしているのである。学者として白石氏自身が進んでそのような手順を踏むべきであったにもかかわらず、責任放棄し他者にその後始末を押し付けているのである。異議や抗議の声を無視したうえに、自分が学者としての常識や倫理に背いて推薦作業をした責任をまったく認識していない言い草はあまりに非常識である。白石氏の言うような国民合意は、これまでの自民党政権の政治姿勢を振り返っても、容易にできる政治環境ではなかった事は明白である。 

 彼の年齢からしても彼が専門とする分野からしても、彼はそれを故意に知らぬふりをしているのである。メディアも報道しないため国民の多くが知らないが、1972年4月の衆院文教委員会で超党派で「陵墓」の発掘に関して宮内庁に要求した事があった。自民党・中山正暉が「宮内庁は数多くの陵墓を管理しているが、その中身は学者によって調べられた事がない。我々の先祖の歴史を調べるうえでも、古代の陵墓を発掘すれば貴重な手掛かりが得られるのではないか。科学者天皇も、それを望んでおられるのではないか」と、また、社会党・小林信一が「陵墓の発掘調査は国民の意思なのだ。発掘していけないというのは天皇のご意思なのか」と追及したが、宮内庁は「陵墓は皇室の先祖の御陵であり祭祀もしている。発掘は考えられない。陛下のご意思は発掘したくないのだと思う」と答えたのである。1977年4月の参院内閣委員会でも社会党・秦豊が、陵墓を公費で賄っているなら発掘させるべきだとして、「天皇陵は国民共通の文化財だが、宮内庁は陵墓としておさえ、学術調査の対象にはなり得ない、として拒んでいる。今後ともずっと拒否するのであれば、天皇陵の維持管理に関する予算は、宮廷費で認めるわけにはいかない。内廷費に加えるべきだ。国民の共通財産的な、歴史的価値あるものについて調査の対象にしてもらいたいと言うと、それは拒否する、予算は国家のものを使います、天皇家の私的なものは守り抜きます。これでは憲法88条「皇室財産・皇室の費用」に定める「すべて皇室財産は、国に属する。すべての皇室費用は、予算に計上して国会の議決を経なければならない」に誠実に対応しているとは、とても思えない」と追及すると、宮内庁宇佐美長官は「この問題について私は(かつての委員会で)ウルトラ保守主義者であるといわれたが、それで良いと答えた事を思い出した。陵墓の文化的価値を知らないわけではないが、代々のご祖先のみたまを祀る静謐な、神聖な所と考えて、ご命日にはちゃんとお供えをしてお祀りしている。陵墓は古墳という一つの文化財というだけではない事を、基本的に考えている」と答えている。しかしこれは、憲法違反の私見に過ぎないと言って良い。つまり、宮内庁は、日本国憲法で定められている皇室用財産として管理しているにもかかわらず、明治初期(神聖天皇主権大日本帝国下)に伊藤博文が「陵墓」として治定(特定)した姿勢を変えず、「静謐と尊厳の保持」を理由に原則非公開とし、科学的な調査を認めようとしない姿勢を持っているという事を示すものである。大日本帝国政府下において、天皇の支配の正当性を保つため、天皇の古墳を天皇の「陵墓」として「神聖不可侵」として祀り上げ、一般大衆はもちろん学者であろうと、近づく事研究する事を許さず(早大の歴史学教授・津田左右吉は古事記・日本書紀など古代史の科学的解明を行い、神代説話が客観的史実ではない事を論証したため、皇室の尊厳を侵害したとして有罪とされ、著書『神代史の研究』などを発禁とされた)、発掘調査も禁じたように、敗戦後も大日本帝国政府を継承する自民党系政府が、今日に至るまでその態度をほとんど変えていないという事なのである。

 現在の安倍自公政権においてはこれまで以上に期待する事は不可能である事は誰にでも推測できるにもかかわらず白石・福永両氏は上記のように公言しているのである。このうえ、安倍自公政権が憲法改悪し、日本の政権が再び敗戦前のような体質の政権に回帰したならば、国民的な議論や合意など到底できるわけがないのである。白石氏はそんな事態が迫っているにもかかわらず、そんな心配などあり得ないとするような無責任な認識を示しているのである。また、被葬者の研究についても、遺産推薦の名称と大きな関係があったが、白石氏は「宮内庁や自治体、学会も含め、可能な限り共同で進めてほしい」と言うが、登録推薦の前に発掘調査をせず、推薦には根拠なくその被葬者を決めつけ「仁徳天皇陵古墳」とした無責任さを棚に上げ、共同研究が安易にできるはずがないにもかかわらず、あまりにも楽天的楽観的に「是正すべき事があればそうする事も必要だ」というが、何時どのようにするのかについては他人任せで責任放棄をしている。

 白石氏は遺産推薦の名称についてはまた、「宮内庁が乗ってくるギリギリの線が今の呼び名だった。現状を考えればやむを得ない」としているが、この言葉は、宮内庁が被葬者として特定している名称である「仁徳天皇陵」(宮内庁は科学的研究の成果を認めようとしない。ローマ字表記であろうと特定している事に変わりはない)をそのまま登録推薦する事に「取引」として同意しているもので、そこには学者としての常識倫理やそのような「捏造」をしてまで登録推薦し登録してもらうという姿勢について、責任のかけらさえも感じさせない。自身が真の学者であるならば、こだわらなければならない「名称」と「被葬者」について、登録推薦に関わった当事者でありながらその決定の責任を感じさせない「いい加減さ」を表している。

 「名称」については福永氏も同様の姿勢が見られ、「(「仁徳天皇陵古墳」などは被葬者が確定したかのような誤解を与えるなど)呼称の問題もあるが、過渡的なものとして後世にゆだねたい」としており、学者としての常識や倫理に重大な問題を有しており無責任この上ない。福永氏は、おまけに「私は考古学者なので、長期的に考える。先ずは本体を残す事。そうすれば後世に託せる。新しい保護体系ができて、将来きっと課題を解決できると楽観的に思っている」としているのであるが、「考古学者なので、長期的に考える。先ずは本体を残す事」などと言う事はまったく意味がない言葉である。課題があると考えているのであれば、今何も、国民はもちろん世界中の人々に対して欺瞞的な屁理屈をもって「捏造」し、遺産登録を急ぐ必要はなかったのではないだろうか。自身の発言や行為は「後世に託せる」などと無責任な考え方をせず、自身が責任を取れる時間的範囲内の仕事をすべきである。「将来きっと課題を解決できると楽観的に思っている」という事であるが、これも国民意識に対する「刷り込み」(洗脳)が目的であり、「楽観的に思う」事はそのまま彼の「無責任」な考え方を表している。上記の福永氏の考え方は白石氏と同じで、学会に背を向け、学者としての常識と倫理を具えない人間である事を表し、そのような考古学会を代表して推薦作業を担ったわけでもない人間が、考古学会の代表であるかのように、明治の捏造を補強するために再び新しい手法で捏造を重ねたのである。捏造の上塗りである。どんな手を使ってでも今遺産登録される事だけを目的としたもので、登録後は「あとは野となれ山となれ」とする無責任な考え方そのもので、彼ら両人の主張はまったく自己を正当化するためのもので、国民意識に刷り込むための「屁理屈」というべきもので、であるから彼らと同じ考古学者たちの多くが抗議する事態を招いたのである。

 安倍自公政権宮内庁の狙い通りに、「仁徳天皇陵古墳」の名称を疑う事なく頻繁に使用するようになる事態が発生するのではないかと心配したが、すでにこれまで以上に、テレビ番組やメディア、商魂たくましい国民大衆の間ではもちろん、学校でも軽薄な校長や教師が児童生徒を巻き込み利用して行われている。彼ら両人にとっては予想していなかった事であろうがこれが想定内の現実である。この事態にどのように責任を負うつもりなのだろう。

 また、福永氏は「古墳に樹木が生い茂っているのは、適切な保存・管理にとっては良くない。木を間引いて切る事でシルエットが分かるのが望ましい」としているが、「木を間引いて切る事でシルエットが分かるのが望ましい」という「見栄えを良くする」意味での「保存・管理」を奨めているだけであって、真の考古学者であれば、発掘調査を行い、恐らく本来の姿がそうであったように、現在生えている樹木を伐採し、「葺石」を敷くべきであると主張すべきところをしていない。そして、その事は「お金もかかるし宮内庁だけで対応できない。国民合意のうえで、「令和の大修復」をしなくてはならない」としているが、自ら進んでやろうとする気持ちはなく、上記のような「妄想」を描いているのである。彼ら二人は、真の考古学者とは言えない、幼稚で軽薄、無責任な考え方で、安倍自公政権の求めに応じて常識や倫理を打ち捨てて何が何でも登録推薦の作業を果たしたという事である。それはまた自己の売名目的のためであった。

(2019年9月12日投稿) 


百舌鳥・古市古墳群世界遺産登録祝賀提灯行列は神聖天皇主権大日本帝国政府下の戦勝祝賀集会と同じ発想感覚

2019-07-27 12:00:30 | 世界遺産

 2019年7月14日、堺市などの主催で、堺市堺区の大仙公園で、百舌鳥・古市古墳群世界文化遺産に登録された事を祝って「提灯行列」が行われた。公募した市民ら約2千人が「祝賀世界遺産登録」と書かれたLED照明の提灯を持って、大山古墳前を練り歩いた。夜には公園内の広場で、永藤英機市長と市民が「万歳三唱」を行った。

 私は、祝賀の「提灯行列」と知って、大変驚いた。そして、自治体とその市民によるこのような企画と行動に恐怖を感じた。

 なぜなら、敗戦までの神聖天皇主権大日本帝国政府下の姿とあまりにもそっくりであったからだ。

 戦勝祝賀集会での「提灯行列」は日清戦争を皮切りに、敗戦まで続けた。1937年12月13日には中華民国(現中華人民共和国)国民党政権の首都であった南京を陥落させた際には、日本国中が戦勝気分に沸き、全国各地で連日連夜、「提灯行列」や行事を実施した。東京では40万人が参加した。主催は、行政、新聞社、地域の自治組織(町内会など)、学校、青年団などなど。「帝国の「上から」も「下から」も、「南京陥落」を「祝賀」する行事を組織した。

 この「南京陥落」に至るまでの日本軍の言語を絶する悪逆非道については、すぐさま世界中に知れわたっていたにもかかわらず、帝国政府は報道管制を敷き国民を言論統制下に置いていたため、日本国民はメディアからはまったく知るすべはなかった。その事実を初めて知ったのは敗戦後の東京裁判においてであった。

 ちなみに、1937年7月28日付陸軍省新聞班「新聞掲載事項許否判定要領」では、「我軍に不利なる記事、写真」「支那兵又は支那人逮捕訊問等の記事、写真中虐待の感を与える虞あるもの」「惨虐なる写真」はすべて掲載不許可としている。

(2019年7月27日投稿)