10月 23日(月)
母の退院の日。
朝食介助へ行くと、「残り少ない人生、私の好きなように生きたい。家へ帰る。」と、母は、おかんむり💢
それでも朝食は、ほとんど食べた。
朝食後、院長先生が声をかけて下さった。
すると、「はい、分かりました。お世話になりました。」と、笑顔の母。
昼食介助。
午前中にリハビリをして、卒業証書を頂いた。
裏には、亡き父が好きだった「琵琶湖周航の歌」の歌詞が入っていた。
リハビリの後、いつもリハビリの先生と歌っていた歌だ。
リハビリのT先生は、とても優しい方だった。母は、T先生と別れるのを淋しがっていた。
母は、わりと平穏。
食後、着替えをしようと言うと、「そんなシャレて行かなくてもいい。」と、母。
なだめながら着替えをすると、まんざらでもない様子。
仲良しのKさんにも、「あら、ステキじゃないのぉ〜♡ いいわネ、このベスト。お帽子もオシャレよ。」と、言われてご機嫌になる♪
看護師さんたちにも、褒められてますますご機嫌になり、一人一人の手を握り丁寧にお礼を言っていた。
看護師さんたちに見送られて退院。
2時半、お迎えの福祉タクシーに乗ってロングステイへ。
母の部屋。
窓から、台風一過、すっきりと晴れた富士山がよく見える🗻
私が、衣類や薬の受け渡しをしている間、母は、おやつを頂いていたのだが、同じテーブルの方たちは、挨拶をしても何の反応も示さない方たちだった。
入所前、お話の出来る方たちと一緒にして下さいとお願いしておいたのだが・・・
案の定、母は、「挨拶しても返事もしない。こんな程度の低い所だと思わなかった。私は院長先生に騙された。」と、出だしから失敗。
その後、楽しそうにゲームをしているグループの所へ連れて行くが、時既に遅し。「騒がしい。」と、首を横に振る母。
今日は、いろいろ疲れたから部屋で休もうねと、ベッドに横にさせ、夕飯の支度があるから帰るねと言うと、母も「早く帰って、ご飯を作ってあげて。」と、気持ちよく別れた。
夕食後、仕事帰りのmareから「おばあちゃん、どう?」と、電話。
私の複雑な気持ちを話すと、「でもさ、安全な場所にいるんだからさ、大丈夫だよ。」と、励ましてくれた。
台風一過のこの日、強風は、お昼頃に一旦おさまったのだが、夜になってまた風が強く吹いた。
久しぶりにゆっくりお風呂に浸かっていると、空の高い方で、風が唸る。
それが、母の嘆きの様に感じた。
昨日まで約1ヶ月、寝付くまで付き添った私は今夜からそばにいない。初めての知らない所で寝る母は、どんなに不安だろうと心が痛む。
施設に入れるという事は、こういう事なのだと思い知らされた夜だった。
10月 24日(火)
昨夜は、夜中に何度も目が覚めてなかなか眠れなかった。
母の物をいろいろ片付けたり、母が通う眼科医へ薬をもらいに行ったり、介護用品の店に靴の代金を払ったり、病院へ入院費の支払いとお礼のお菓子を届けたりと雑用を済ませた。
母に会うのが怖くて なかなか施設へ足が向かないのだ。
母は、私を待っているだろう。
意気地なしの私。
午後2時半、施設訪問。
案の定、母はパジャマのまま、ベッドの中にいた。
「5日も来ないで何をしてた?◯◯ちゃん(夫)と、どこか遊びに行ってた?」と、母。
昨日、ここに来たばかりだよと言うと、
「昨日 来た?私がいくらバカだって、そのくらい分かるよ。5日だよ。5日!」と、母。
たった1日が、母には5日いるほど長く感じたのだろう。
「死にたい。なんで私はこんな思いをしなきゃならないのか情け無いよ。今まで苦労してきて、なんで。」と、嘆く。
私は、腕をさする事しか出来なかった。
食事のお味噌汁に汁が入ってなかったと言うのでスタッフさんに聞いてみると、「半分食」とお願いしておいたのを、「汁無し食」と、間違えたそうだ。
昨日の出だしといい、汁無し食といい、大丈夫か?この施設・・・
「タクシーを呼んで帰る。」と言うので、それなら車椅子に乗ろうと言うと起き出した。
そのまま、食堂へ行くとレクレーションをやっていたので、そちらへ車椅子を運んだ。
すると、「よく見えない。」と、母が言うので前へ出してやると、レクレーションに参加し始めた。
しばらく付き合って、じゃ、私は帰るね、明日は美容師さんが来るから髪を切ってもらおうねと言うと「気をつけてね。」と、母。
もっと早く来てやればよかった。
母の状態に真正面から向き合えない
意気地なしの私。
施設は、本人が嫌がれば、そのまま放っておくのか?入所したばかりだから、本人の好きな様にしておくのか?
入浴も拒否したから入らなかったそうだ。
「プロに任せる。」と、決心して入所させたのだが・・・
夕方、兄が訪問した。「普通だったよ。」と、兄からメールが来た。
結局、兄は入院中、2回しか面会に来なかった。
そんな兄に、いつもいい顔をする母。
私だけに本音をぶつける母。
その母を受け止められない
意気地なしの私。
きっと明日も私は、なかなか施設へ足が向かないのだろう。
🙅 おしまい 🙅
母の退院の日。
朝食介助へ行くと、「残り少ない人生、私の好きなように生きたい。家へ帰る。」と、母は、おかんむり💢
それでも朝食は、ほとんど食べた。
朝食後、院長先生が声をかけて下さった。
すると、「はい、分かりました。お世話になりました。」と、笑顔の母。
昼食介助。
午前中にリハビリをして、卒業証書を頂いた。
裏には、亡き父が好きだった「琵琶湖周航の歌」の歌詞が入っていた。
リハビリの後、いつもリハビリの先生と歌っていた歌だ。
リハビリのT先生は、とても優しい方だった。母は、T先生と別れるのを淋しがっていた。
母は、わりと平穏。
食後、着替えをしようと言うと、「そんなシャレて行かなくてもいい。」と、母。
なだめながら着替えをすると、まんざらでもない様子。
仲良しのKさんにも、「あら、ステキじゃないのぉ〜♡ いいわネ、このベスト。お帽子もオシャレよ。」と、言われてご機嫌になる♪
看護師さんたちにも、褒められてますますご機嫌になり、一人一人の手を握り丁寧にお礼を言っていた。
看護師さんたちに見送られて退院。
2時半、お迎えの福祉タクシーに乗ってロングステイへ。
母の部屋。
窓から、台風一過、すっきりと晴れた富士山がよく見える🗻
私が、衣類や薬の受け渡しをしている間、母は、おやつを頂いていたのだが、同じテーブルの方たちは、挨拶をしても何の反応も示さない方たちだった。
入所前、お話の出来る方たちと一緒にして下さいとお願いしておいたのだが・・・
案の定、母は、「挨拶しても返事もしない。こんな程度の低い所だと思わなかった。私は院長先生に騙された。」と、出だしから失敗。
その後、楽しそうにゲームをしているグループの所へ連れて行くが、時既に遅し。「騒がしい。」と、首を横に振る母。
今日は、いろいろ疲れたから部屋で休もうねと、ベッドに横にさせ、夕飯の支度があるから帰るねと言うと、母も「早く帰って、ご飯を作ってあげて。」と、気持ちよく別れた。
夕食後、仕事帰りのmareから「おばあちゃん、どう?」と、電話。
私の複雑な気持ちを話すと、「でもさ、安全な場所にいるんだからさ、大丈夫だよ。」と、励ましてくれた。
台風一過のこの日、強風は、お昼頃に一旦おさまったのだが、夜になってまた風が強く吹いた。
久しぶりにゆっくりお風呂に浸かっていると、空の高い方で、風が唸る。
それが、母の嘆きの様に感じた。
昨日まで約1ヶ月、寝付くまで付き添った私は今夜からそばにいない。初めての知らない所で寝る母は、どんなに不安だろうと心が痛む。
施設に入れるという事は、こういう事なのだと思い知らされた夜だった。
10月 24日(火)
昨夜は、夜中に何度も目が覚めてなかなか眠れなかった。
母の物をいろいろ片付けたり、母が通う眼科医へ薬をもらいに行ったり、介護用品の店に靴の代金を払ったり、病院へ入院費の支払いとお礼のお菓子を届けたりと雑用を済ませた。
母に会うのが怖くて なかなか施設へ足が向かないのだ。
母は、私を待っているだろう。
意気地なしの私。
午後2時半、施設訪問。
案の定、母はパジャマのまま、ベッドの中にいた。
「5日も来ないで何をしてた?◯◯ちゃん(夫)と、どこか遊びに行ってた?」と、母。
昨日、ここに来たばかりだよと言うと、
「昨日 来た?私がいくらバカだって、そのくらい分かるよ。5日だよ。5日!」と、母。
たった1日が、母には5日いるほど長く感じたのだろう。
「死にたい。なんで私はこんな思いをしなきゃならないのか情け無いよ。今まで苦労してきて、なんで。」と、嘆く。
私は、腕をさする事しか出来なかった。
食事のお味噌汁に汁が入ってなかったと言うのでスタッフさんに聞いてみると、「半分食」とお願いしておいたのを、「汁無し食」と、間違えたそうだ。
昨日の出だしといい、汁無し食といい、大丈夫か?この施設・・・
「タクシーを呼んで帰る。」と言うので、それなら車椅子に乗ろうと言うと起き出した。
そのまま、食堂へ行くとレクレーションをやっていたので、そちらへ車椅子を運んだ。
すると、「よく見えない。」と、母が言うので前へ出してやると、レクレーションに参加し始めた。
しばらく付き合って、じゃ、私は帰るね、明日は美容師さんが来るから髪を切ってもらおうねと言うと「気をつけてね。」と、母。
もっと早く来てやればよかった。
母の状態に真正面から向き合えない
意気地なしの私。
施設は、本人が嫌がれば、そのまま放っておくのか?入所したばかりだから、本人の好きな様にしておくのか?
入浴も拒否したから入らなかったそうだ。
「プロに任せる。」と、決心して入所させたのだが・・・
夕方、兄が訪問した。「普通だったよ。」と、兄からメールが来た。
結局、兄は入院中、2回しか面会に来なかった。
そんな兄に、いつもいい顔をする母。
私だけに本音をぶつける母。
その母を受け止められない
意気地なしの私。
きっと明日も私は、なかなか施設へ足が向かないのだろう。
🙅 おしまい 🙅