ぶらり~下條村

奥ちゃんのひとりごと

続 下條村の旧家 塩沢家

2007年03月31日 | Weblog
門をくぐると広い敷地には家も庭木も石組も歴史を感じる
呼んでみたがあいにく留守のようでした。

建物の手前の一角は改築されたと思われる窓ガラス
昭和初期か大正に診療所をしてた頃が伺われる

現在は使われて居ないであろう客玄関も
手が込んでて当時の盛勢が伝わる。

そこから眺めた 裏手の山は
年代ものの ドウダンがびっしりである
夏には緑が涼しげに
秋には紅葉が さぞかし素敵だろう

以前 見せて頂いた薬師堂も奥にあるはず
また出直して、いろんな事を教えてもらいたい。

門から覗いた景色の画像も 後日 入れ替えてみますね。


下條村の旧家 塩沢家

2007年03月30日 | Weblog
昨日の桜を橋の上で見たら橋を渡りきった辻を
親田方面に上がらず右に下ると すぐ 左手に見えてきます。

白い門が石垣の上に立派な姿を見せてくれます。

山田河内の塩沢家である、住んで居るようだが 
現在はどなたかお会いして来ませんでした。

10年位前だろうか お爺さんが一人住んでた時
親戚の人達と敷地内を案内して頂いて見せてもらった事がある
その後 その時の塩沢さんも亡くなったと聞いているからだ。

塩沢家の祖は尾張藩の典医だった家だそうで
それ以後 300年19代の間 医療家として続いて来た家である。

邸内に祀られている薬師如来は広く知られている
小児虫封じの神体として郡内は勿論
遠くは愛知 岐阜からの参拝者で賑わっていたと云う。

現在 龍獄寺の檀徒総代をされた方は戒名に 院殿つくが
塩沢家は 檀家で只一軒 永代院殿の家でもありました。
(先に亡くなったお爺さんの時に神事に変えたと云ってた)

式台の残る立派な玄関も手を加えて長く保存されたい。



下條も桜 咲きはじめました~。

2007年03月29日 | Weblog
 昨日 飯田に行く時 川路とか 駄科辺りの
国道脇の桜が  おぉー 開きだしたと思ってたら
夕方のニュースで飯田市内の桜の便りが一杯出てました~。

昨日 陽気が暖かかったからなー
早速、下條村内の桜を紹介しなくっちゃー(笑)

けど けど  この桜だけ 一寸 早い感じ
所有者は小木曽利廣さん宅の桜だそうですがあいにく留守でした。
場所は 下條役場前の道を親田に向かって走る事 1分

白又川にかかる橋の上から眺めるのが 一番 景色いいかも
紹介には丁度いい 7分咲きって所でしょうか。

木の元は 結構 太いですよー
桜の木の詳細は 後日 小木曽さんに聞いて置きますね~。

年号早見表  今年から何年前?を見ます。

2007年03月28日 | Weblog
今年平成19年 平成元年は19年前       備考

昭和63年 82年前昭和元年は今年で82年前となります
大正14年 96年前    
明治44年 140年前明治元年は今年で140年前となります
慶応 3年 143年前
元冶 1年 144年前
文久 3年 147年前
萬延 1年 148年前
安政 6年 154年前
嘉永 6年 160年前
弘化 4年 164年前
天保14年 178年前
文政12年 190年前
文化14年 204年前
享和 3年 207年前
寛政12年 219年前
天明 8年 227年前
安永 9年 236年前
明和 8年 244年前
宝暦13年 257年前
寛延 4年 261年前
延享 4年 263年前
寛保 3年 268年前
元文 5年 273年前
享保20年 293年前
正徳 5年 298年前
宝永 7年 305年前宝永4年は富士山が最後に噴火した年です
元禄16年 321年前元禄文化華開くは江戸時代中期です
貞享 4年 325年前
天和 3年 328年前
延宝 8年 336年前
寛文12年 348年前
萬冶 3年 351年前
明暦 3年 354年前
承応 3年 357年前
慶安 4年 361年前
正保 4年 365年前
寛永20年 385年前
元和 9年 394年前元和2年大阪城夏の陣で秀頼死 徳川始まる 
慶長19年 413年前慶長5年関が原の合戦あり
文禄 4年 417年前
天正19年 436年前天正元年に武田信玄死す 謙信は6年に死す
元亀 3年 439年前
永禄12年 451年前
弘治 3年 454年前
天文23年 480年前
享禄 4年 484年前

途中 ここまでの年号を拾って見ました。

下條氏が吉岡の地に城を創ったのが文明2年とは今から541年前
下條氏が事実上滅亡したのが天正15年 今から421年前

都合が良いので 印刷して置いて見ると便利かと思います。
この表は今年で見た場合にて来年は1年づつ増やします。

★数字を揃えて制作たのですが 
プレビューで見ると数字が揃ってない
みにくかったら ごめんね~
    

仁王関の三十三体仏

2007年03月27日 | Weblog
昨日 名古屋の桜見て来たから
下條の桜はどの位なんだろうと廻ってみました。
下條にもブログに載せたい桜 結構有るよね。

仁王関の旧道の道筋に
大きな三十三体仏が建立されてました。
高さ1,7M・・幅1M・・建立は享和元年(今から207年前)

村誌によると 以前の金刺街道の険しい急坂の道は
峠から先は馬の荷を人が背負った事が有ったので
「荷負坂」が仁王関になったという説も有るらしい。

この地への旅路の安全を祈りこの石仏を建てたらしい。

昔とは多少 位置が違う見たいだが 長い間 
風雪に耐えて来た様子が判るものの
三十三体 よく 整っていました。
現在は屋根を付けてもらって ひと安心。


 ローカルヒーローの一大イベント振り返って

2007年03月26日 | Weblog
雨天でも行うと言ってたから午前中の雨がすごく気になったよー
だから 関係者の思いは いかほどかと思いました。

入れ替えた画像は 昨日の道の駅の会場風景にして見ました。

関係者はお疲れ様だったでしょうが テレビや雑誌で見るのと違い
お子さんのワクワク感もすごかったですよ、後になって思う 
こういう時 撮影は お子さんの表情の画像がいいのかも。

近所の代田さんが居たから 今日はお子さん喜んでるでしょ と
云ったら 今日は子供が出てるからと お父さんも喜んでたナー
合原の中山さん親子の記念撮影も出来ました。

いつもの風景に 車も一杯 人も多勢の賑わいって最高でした。

本日3/25 下條村でカッセイカマンの大イベントありー

2007年03月25日 | Weblog

報道でご存知だと思うけど今日は国道 道の駅広場で
ローカルヒーロー大行進なのだ  9時半~

どうやら今朝は雨も止んだようだ
それではみなさ~ん 来ってねー




この後 26日 追信しますね~

一時雨も止んで喜んでいたのに 結局昼近くまで降ったね
でも 楽しみにしてただけに雨止んで 良かった

子供達も喜んでいましたね~
私 かれいさんとか 今井さん 居ないかなと探してました(笑)

残念だけど 名刺 もらいそこなっちゃったんだよ~ (泣)

でも イベント良かったよ
関係者の皆さん ご苦労様でした~。

吉岡城下の横町は金刺街道

2007年03月24日 | Weblog
飯田からー下條ー愛知県へと抜ける道が金刺街道
現在の国道151号線である。

その 金刺街道が横町を通って居たのは
中世から江戸時代の中期までで 中期以降は凸凹の
上り下りを避けて 手塚原ー新井に替わったと記して有ります。

確かに吉岡は高台になり 北側は城坂 南側は菱坂と
急坂である、実際 私も学校にと歩いていたが坂が大変で有った。

道筋には当時を思わす馬頭観音を刻んだ石も見受けられた
それだけに旅人が、横町に出た時はホッとしたであろう。

画像は横町の道筋風景だが建物は約100年位で立て替えて行く為
現在の有る建築は明治以降の建物が並んでいる。

古老によると 昔は 家数も もっと多かったようだ。
それに 年代は不詳だが 昔 吉岡の大火も有ったと古老は語る。


  吉岡城下に遣った円通軒

2007年03月23日 | Weblog
現在の吉岡区の公民館として使って居る場所が円通軒である。

下條氏が大沢城から 吉岡に移った時に
粟野の開眼寺を富山(現在の吉岡)に移し宝積寺と称し創立した。

その後 宝積寺を鎮西に移して龍獄寺を創建した。
その跡を受け継いだのが円通軒である。

円通軒は龍獄寺の付属だったが明治7年に廃寺と成った。
公民館の裏手には坊さん達の卵塔墓石が残っている。

公民館内部の一部には寺の関係の物も有りますが 
特に鰐口は大事にされている、銘文には

信州伊那郡郷義岡(吉岡)観音堂大前○○天文13年甲辰4月○○日
と記されている 天文13年とは 今から474年前なんだ~。

原 宅の欅(けやき) の古木

2007年03月22日 | Weblog
吉岡を中程 下って歩くと
右手の奥に見事な枝張りのけやきが目に入ります。

けやきは(ニレ科) 所有者は原秀治さん
この木の見所は木の下に入って 見事な根の張りが見られます。

もともと傾斜地に育った環境から
たくましい根の張り具合まで見られるのが珍しい。

樹高約25M・・太廻り約5M ・・推定約400年
見上げるとしばらく枝がないまま
太く まっすぐ伸びているのに驚かされます。

けやきは放射状に広がる独特の樹形をなし
材は堅く木目が美しいので最良の建築材として使われますよね。