ぶらり~下條村

奥ちゃんのひとりごと

厳しい夏日

2011年06月29日 | Weblog





今日も 厳しい夏日 車の上に布団干すのは 内も外も乾きが早くて調子良い。

九州は 例年より ずっと早くて 昨日 梅雨が明けたと云う
こちらは・・どうなんだろう・・立葵 先まで咲くと 梅雨が明けると云うけど 今年は いかに



先日 局に寄ったら うちは 頂く・今年は 省エネに ピッタリかも~
もっとも 我が家 エアコン無いから 節電だけは 年中 協力出来てるなぁ



先日 芸能発表観た後 陽が高いから まだ外に出てないかなと
山二 塩沢さんチに 遊びに行くと留守だったが・・

山羊は ひとなつっこく 寄って来て呉れました。
子供の頃から 身近な山羊だから 頭を撫でてると 暑さも忘れ癒される。

 そうそう 名古屋の皆さんの同級会 楽しかったと 電話ありましたよ。

 


芸能発表会

2011年06月27日 | Weblog

   

毎年秋の 文化の祭典 楽しみにしてるが 
今年からは 6月にも 芸能発表会も出来 楽しみに行って来ました~。

大正琴・構成吟・カラオケ・舞踊と プログラムに載ってたが
途中からにて 舞踊は 終わってしまってた。

カラオケでは 13名の名前が有り 女性の中から画像は 「紅花の宿」 澤柳 早知子さん



休憩を挟んで幕開きは 大正琴 「千の風になって」 はづき会の 皆さん



嬉しい サプライズ 伊藤村長 「古城」



そして カラオケ最後は やっぱり 山崎 博司さん 「ふるさとは母のゆりかご」



男性5名 ネクタイも揃って 構成吟 
「合吟 岳風流 詩吟道」 信州飯田岳風会下條支部の皆さん

 


蜜ろうキャンドル作り教室

2011年06月26日 | Weblog

ミツバチから 貰った ミツロウで 自然に優しい(キャンドル) ロウソクを作りませんか と
参加者募集してた 下條村立図書館では 今日 あしたむらんど下條で 開催

↑  画像クリックで拡大
  仁王関 澤柳寛人さんに 蜜ろう 寄付して頂いたのを 温めて溶かしてる所。



保育園児の親子さんから 一般の方まで 多くの参加者が キャンドル作成中



職員が 溶かして呉れた 蜜ろうを 用意した形に 流して呉れるので
ろうが冷めて 固まるまで 芯を立てて こけない様に 抑えてます。



カラフルな色や形のカップで お子さんにも 大うけ 楽しさ倍増です。
 


5分も有れば 蜜ろうは 冷めて透明から 色が付いて固まって来れば 手が離せる
でも 「芯を持ち上げるのは 20分位 ダメですよ~」

蜜ろうキャンドルは 燃やしても 二酸化炭素を増やさない為 家庭温暖化対策として
注目されてて 身近な節電グッズとしても ピッタリと 募集広報に載ってました。



蜜ろうは 働きバチの腹部から分泌される ロウで ミツバチは これで巣を作ります。
ミツバチが集めた蜜には 花の種類により 白・黄色・クリーム等の 色が 付くみたい。

蜜ろうで作った キャンドル完成品の 見本

 


初の 矢筈トンネル通過

2011年06月23日 | Weblog

上町を出る時の標識



上町から矢筈トンネルまでの 7k  兎に角 道が良い。






ややさんが以前走った時 カモシカも走ってたと云う 矢筈トンネル



トンネルを出ると 喬木村 風穴が開いた事で 凄く便利になってます。



これまた有名な 喬木インターチェンジ 初めて走る事が出来ました。

この後 道路は天竜川に向かって下るだけと 思ってたが 意外と距離があった。
喬木村は 奥が深いんだね、途中 九十九谷公園入り口と有るから 入って見る。

皆さんが見た クリン草の所かなと行ったが 展望公園が有るだけで 人も居ず判らない
そのまま下れば 天竜川に出るだろうと走って 出たのが 「どぶろく」の  富田でした~。

写真家の様に画像選んだら 載せるの無くなる、気にせず 記念の足跡に貼り付けた・・・完

 


下栗郷よりビューポイントを

2011年06月23日 | Weblog


今度は 下栗の集落から ビュ―ポイントを 見上げて見る。
中腹の木々を 繰り抜いた箇所が展望台で 下栗の里を 見降ろして来た場所だった。

   

一旦 集落の下まで 降りて出てみると そこは 本村とあり 標高883m地点でした。

   

 集落の中の 知り合いの家に 計画の時に電話で話してた家に寄る。
数十年前 おじいちゃんの息子さんの 自宅での結婚式に 仲間4人で来た事有る住宅

当時 赤石林道を超して 乗して来て貰ったから 下栗は 私にとっても 懐かしい里と家。

80才を過ぎても しっかりしてて 子供の頃は 何処にも歩き、行商は 荷を背負って
飯田から歩いて来て、歩いて返って行った 昔の話は 特に里の生活にふれる事ができた。

そんな時代から 車が走り便利に成れば成る程 人は都会に出て行ってしまうと 言ってた
のも 印象的でした、 今 おばあさんは 飯田市営病院に入院してて 間もなく退院と聞く。


下栗の里よりⅠ

2011年06月23日 | Weblog

暑い盛りで 畑に作業出て無いが、住人は お年寄りが多い
急勾配畑の作業は 適した知恵も お有りなんでしょうね。

最大斜度 38度という急傾斜集落の下の標高 883m
集落の上標高が約 979m そして はんば亭まで上がると 1,076m

 


下栗の里

2011年06月23日 | Weblog

ビューポイントから 下栗集落見てると 
南米の天空の遺跡都市 「マチュピチュ」が 頭の中に だぶる。

先祖が 山を切り開いて 住みついて行く過程 いろいろ考え浮かぶ