ぶらり~下條村

奥ちゃんのひとりごと

清明祭③

2008年09月30日 | Weblog

体育館の壁面には 全校生の作品が一堂に見られました。
自分達の事を思うと 今の中学生の方がレベルが高い作品ばかりと見て来ました。



一年生の 小スケッチ・わたしの手



二年生は 貼り絵で・春夏秋冬



三年生の 小スケッチと出てました。

清明祭②

2008年09月29日 | Weblog

わが子の記録に パパ・ママも 名カメラマンに変身。



音楽会では 学級事に練習を重ねて来た合唱を披露 画像は3学年の混声三部



合唱 最後は全校生で混声四部
合唱の後は 楽器音楽にて暗幕を引き ステージが変わる。



選択音楽では 4チームに分れ ヴォーカルも入り どの曲も 大盛り上がり
「私達の唄を聞いて呉れますか~」
「イエ~」
若き熱いエネルギーが 素直に弾けてました~



吹奏楽部の演奏は 楽しんで聞いて頂く為にと 今話題の
「崖の上のポニョ」やNHKの「篤姫」のテーマ曲も披露して呉れました。


清明祭①

2008年09月28日 | Weblog

26・27日の二日間 下條中学校の清明祭 私も見てきました。

前日は雨にたたられたが 昨日は天気に恵まれ グランドで体育祭も出来て
竹取りや騎馬戦では 全校生徒 力が入ってましたよ~。

今年に限っては 制服姿の警察や刑事さんが 目に付いたって事でしょうか。

学生が清明祭の為に 練習して発表した催しや 日頃の科目の作品も
3年生や その両親には どれも最後の思い出となったよね。

そんな事を思ったら 撮った画像を数日かけて 沢山載せてあげたくなりました。






下條中学校 清明祭

2008年09月27日 | Weblog

昨日と今日は 下條中学校の清明祭

本日は 午前中 音楽会や吹奏楽部・作品見学
午後は 体育祭が有るので 皆さ~ん お出掛けて~。

画像は3年生が描いた 清明祭ポスターを載せてみました
その中から 校内コンクール入賞作品や 個別の入賞も発表されてました。

    

感想記入用紙採用作品に選ばれた 谷村亜沙希さんのポスター

    

パンフレット表紙採用作品に選ばれた 中嶋康乃さんのポスター

    

立て看板採用作品に選ばれた 荒井章太さんのポスター


 昨日は雨の中 体育館において 各学年の意見文発表や
からみの時間発表が有りました。

壁面には学年別に 習字・スケッチ・ポスターの絵を始め
教室内では 木工・陶芸作品や 職員やPTAによる作品が見られます。

午後は コスモホールに移り 歌舞伎の発表も有りました~。

花いっぱい運動の花壇は 今

2008年09月26日 | Weblog

村内を「花いっぱい」にと 役場で各に用意して呉れた 花の苗

老人クラブの皆さんが手入れされてて 国道を走ってても 数箇所の花壇が
今 綺麗に花が競ってますよね。

画像は 粒良脇の 親田入り口の信号機と 役場入り口の信号機を
親田に向かって上がって 交わった辻の花壇で 親田の北平。

6/28のブログでも載せた 画像の一枚です。







画像は 6月に定植した当時と 現在の花壇の様子

サルビア・マリンゴールド・コスモスが 色鮮やかに
大きく増えて 通る人の目を 今も楽しませて呉れてます。

ユキヨシ親王の墓

2008年09月25日 | Weblog

浪合神社手前 左側の丘には ゆるやかな石段が続く
看板には 親王の御首を埋め奉ったとされる 宮内庁管轄のお墓

管轄が宮内庁と来れば現実を帯びて来ました。
其のせいでしょうか、石段を始め 乱れの無い手入れに納得しました。

墓を囲む柵には 皇室の菊の御紋







宮内庁の文字を見て 単なる伝説と違い 浪合の歴史に触れた思いでした。

他にも関所跡の名所も行きたかったが 雨の中 
車を停めて 少し徒歩の場所と聞いたので 今回は行かなかった。
 
石段を登って歩いたから こそ 浪合神社の規模も知る事が出来た思い。

今回 昼を根羽で取り のんびり ひまわりの湯に浸かって帰る 
当初の予定も 浪合から駒場・伍和 経由で下條にと変更。

極楽峠を中心とした一周は 一寸した 旅気分を 味わう事が出来ましたです。  


浪合神社

2008年09月24日 | Weblog

浪合の学校・保育園の所に 神社入口の 石の大鳥居が有り
その奥 正面に高い石段が目に入る、約600m登った奥に神社が有る。

浪合神社の御祭神は 後醍醐天皇の皇子 宗良親王の第二皇子「ユキヨシ親王」

親王は南北朝動乱の時代 1424年 群馬から三河の国に向かう為に
この地にさしかかった時 北朝方の士族に襲われ戦死と記されていました。



参道の杉並木は圧巻 この奥に神社が有った。



156段の石段を登りきると原に出て 鳥居の奥に杉並木が目に入る
その原には 道路も有るではないか。 「え~ 車の道が有ったのかよ~」



高い石段を登るのかと見上げると まず溜息が出る。



神社正面入口は この大鳥居から始まる、奥に高い石段が見えています。
神社の敷地規模の広さと 乱れの無い石段に まず 歩いて驚かされます。

立て看板の〆に 「数百年前の悲劇の宮が偲ばれ感慨に誘われます」

浪合

2008年09月23日 | Weblog
(上の画像は旧国道だった浪合の目抜き通りの下半掘口の辻)

下條と浪合境の極楽峠を 5分も下るとに出て そこが浪合の下半堀
下半堀は 下條と阿南町の帯川に通ずる要所でも有ったんですね。

若き頃 下半掘出身の M君と5年程仕事が一緒だった事もあり 
一度は訪ねてみたい土地でもあった。

声を掛けて お聞きした 何原さんによると 戸数は有っても住んで居ない家や
一人暮らしのお年寄りが多く の心配は 山間部 何処も同じですよね。

今まで 浪合は国道を素通りでしたが 御所平・関所・浪合神社・親王 等の
名所を聞き 立ち寄ってみたくなりました。

何原さん 親切にして頂き 有難うございました。






極楽峠

2008年09月22日 | Weblog

昨日「のろし」を見た後 極楽峠を越えて 浪合に出て久しぶりに
根羽や平谷に行く気になって おりました。

途中からすごい雨  車で峠に向かいつつ 思った事は
昨年の7/13日 このブログに載せた事  それは車も無かった細い街道を

村内の医師中嶋定雄先生が浪合村の無医村の為に乗馬で診療所に通診ぬいた事

そんな峠越えの街道は 昔は歩いて生活の中心だった道でも有る
下條から嫁いで浪合村に行ったり 浪合村から下条は 佳く聞く話でもあった。







極楽峠の画像は ブックマークの飯田下伊那のブログサイト 近藤さんの
峠の画像を覗いて頂いた方が 鮮明な画像で楽しんで貰えます。

そんな訳で 「阿知原を歩いて」から随分 ブログは途中で それて
中断してるが 昨日廻った浪合を3日程 続けますね~

今は 浪合村も合併し 阿智村浪合ですね。

下伊那の空に「のろし」が上がる。

2008年09月21日 | Weblog

今朝9時 のろし保存会の皆さんにより 下伊那の11ヶ所で のろしが上がった。

下條では 合原地籍の芦畑公園と 極楽峠のパノラマパークの二箇所
私は 見晴らしの良い 極楽峠で 見させて貰いました。







役場職員の 中嶋さんと井原さんによって いよいよ点火
発炎筒の炎って初めてみたが 真ッ赤くてきれいなんですね~。







今朝は あいにくの曇り空
それに霧が昇って のろしを上げるには ちと残念な天気でした。

それでも 霧間から 芦畑公園・神ノ峰・阿島・水晶山・城山公園・阿智の
のろし台での「のろし」が 確認出来ました。

戦国の世の伝達を あれこれ想像出来た 楽しいひと時でした~。