2日目、幌延から羽幌の83km。けっこうお腹いっぱいな距離だが、コースは日本海(オロロンライン)に沿って遠くに利尻富士を見ながら進む、多少、起伏のあるけれど単調なコース。
今日も途中までアブがおっかけてきた。午後になって曇ってくるとアブは来なくなった。どうやら、彼らも雨になってカラダが濡れるのが嫌らしい。
スタートして20kmでようやくコンビニが現れる。地元のコンビニ、セイコーマートだが、イートインコーナーがあったので、ここでおにぎりと缶ビールを買って飲食する。平日の朝8時から飲んで申し訳ない、と思いながら・・・
心身をリフレッシュしてスタート。途中から、見慣れた景色になる。初山別のあたりは、一昨年、稚内の走友、なっきーと私の日本一周走り旅の試走で走っている。その初山別の道の駅でソフトクリームを食べる。道の駅を出ると、もう、歩道は無くなった。歩道どころか路側帯も狭く、トラックの往来の多い国道は走るだけで靴底と神経がすり減ってくる。
直線道路の多い北海道は、普段から80km以上のスピードを出す人が多く、(残念なことにいつも愛知県と全国ワーストを競い合っている。)歩行者として右側走行するのだが、左車線のクルマが(片側1車線の国道で)右側車線に出て追い越しをかけてくるので、その車にも気をつけないといけない。
前からくるクルマ、そして後ろから追い越しをかけて対向車線にはみ出してくるクルマの両方に気をつけながら進む。しかし、いくらこちら側が気をつけても、一般道を80km前後で走行するクルマを追い抜いていくクルマの平均速度は100km前後だろうから、そんなクルマにはねられたら即死だろう。かつて、実業団の選手が北海道合宿で、そのような心無い運転者にひかれて亡くなった。
これだけ、合宿やら、走り歩き、自転車、バイク等で全国各地から最果て目指して多くの旅行者等がやって来る北海道なんだから、もっとやさしく運転できないのだろうか?それとも、ここの人たちは、常に親が危篤のかわいそうな状況に直面しているのだろうか??
前を行く最高齢にしてベテランのよりさんのカラダが今日はかなり左に傾いている。体幹が安定していなかったり、左右の筋力バランスが悪いとカラダは傾くのだが、右側を走っていて左側に傾く、ということはすれ違うクルマの方に思いっきりカラダが傾いているワケで、見ているだけで危ない。すれ違うクルマの方が驚いて、対向車線側に大回りしている。そんなよりさんは、やがてやってきたパトカーに回収された。
それを教えてくれたのは、通称キングだった。彼は私が参加した5年前以来、トランスエゾ往復コースの覇者であり、今回は6連覇がかかっていた。
彼の走りは独特だ。最初の半分は、歩くのとほとんど変わらないくらいのゆっくりペースで進む。(もう、すでにこの時点で他の参加者は全員、前に行って誰もいない。)残り半分で全力で追い上げ、他の参加者の最後尾から抜き返していく。もっとも、彼に言わせれば、この方法が一番疲れが残らないのだそうだが、私をはじめ、他の参加者にはマネできない。
そのキングに後半、追いつかれてしまった。廃校跡で地主のKさんとお話ししていた時である。もっとお話ししたかったけど、キングに追いつかれたのでは、先を急ぐしかない、つまり、制限時間まで余裕が無いことを意味していた。
キングのペースは速く、追いつけない。そのうち、雲行きが怪しくなり、雨が降って来た。そして雷が、すぐ近くで鳴った。走っている私の横で電線がパチパチとショートしている音を聞いた時は、マジ、怖かった。一瞬、バス停(北海道のバス停は冬を考慮して、戸が閉まる小屋のようになっている。)に逃げ込もうかと思ってやめた。見ると、バス停の小屋に電柱から電線がひかれている。今は、できるだけ電線と高いものから離れるのが賢明である。私はできるだけ姿勢を低くしながら走り続けることにした。
やがて雷鳴がおさまると、今までのが嘘のように羽幌港に沈む夕日が見えた。でも、ゴールの道の駅までは、まだまだ遠い。やがて辺りは暗くなった。暗くなると、集落から遠いこの辺りは街灯がまったく無いことに気づいた。自分の懐中電灯の明かりだけをたよりに、「道の駅2km」の案内板を見つけた時は、思わず泣きそうになった。
そして、私にはもっと気にかけなければならないことがあった。でも、怖くてなかなかそれができなかった。ようやく1kmを切ったところでこわごわと時計を見る・・・初めて来る道の駅は入口がわからず、少々手間取った。そんなもどかしい思いをしながら、無事、ゴールできた。制限時間の1分前だった。
ずぶ濡れのまま、みんなが集合するミーティング会場に入る。今日の簡単な報告と明日のコース説明、その後、とりあえず、濡れた衣服を着替えて8時半に終了する食堂に駆け込み、飲食、その後、洗濯をしつつ温泉につかった。
このように、時間ぎりぎりでゴールすると忙しい。ともすれば、明日のレースに影響する。この日、すでに1分前ゴールということで、この時点で私はもっと慎重になるべきだった。もっと明日のレースの展開について真剣に考えるべきだった。だが、私の頭からは「走り旅」感覚が抜けきっておらず、相変わらず風呂上り後のビールを乾燥器を待ちながら飲み、夜10時半ころ、バタンと布団に倒れ込むように熟睡した。
今日も途中までアブがおっかけてきた。午後になって曇ってくるとアブは来なくなった。どうやら、彼らも雨になってカラダが濡れるのが嫌らしい。
スタートして20kmでようやくコンビニが現れる。地元のコンビニ、セイコーマートだが、イートインコーナーがあったので、ここでおにぎりと缶ビールを買って飲食する。平日の朝8時から飲んで申し訳ない、と思いながら・・・
心身をリフレッシュしてスタート。途中から、見慣れた景色になる。初山別のあたりは、一昨年、稚内の走友、なっきーと私の日本一周走り旅の試走で走っている。その初山別の道の駅でソフトクリームを食べる。道の駅を出ると、もう、歩道は無くなった。歩道どころか路側帯も狭く、トラックの往来の多い国道は走るだけで靴底と神経がすり減ってくる。
直線道路の多い北海道は、普段から80km以上のスピードを出す人が多く、(残念なことにいつも愛知県と全国ワーストを競い合っている。)歩行者として右側走行するのだが、左車線のクルマが(片側1車線の国道で)右側車線に出て追い越しをかけてくるので、その車にも気をつけないといけない。
前からくるクルマ、そして後ろから追い越しをかけて対向車線にはみ出してくるクルマの両方に気をつけながら進む。しかし、いくらこちら側が気をつけても、一般道を80km前後で走行するクルマを追い抜いていくクルマの平均速度は100km前後だろうから、そんなクルマにはねられたら即死だろう。かつて、実業団の選手が北海道合宿で、そのような心無い運転者にひかれて亡くなった。
これだけ、合宿やら、走り歩き、自転車、バイク等で全国各地から最果て目指して多くの旅行者等がやって来る北海道なんだから、もっとやさしく運転できないのだろうか?それとも、ここの人たちは、常に親が危篤のかわいそうな状況に直面しているのだろうか??
前を行く最高齢にしてベテランのよりさんのカラダが今日はかなり左に傾いている。体幹が安定していなかったり、左右の筋力バランスが悪いとカラダは傾くのだが、右側を走っていて左側に傾く、ということはすれ違うクルマの方に思いっきりカラダが傾いているワケで、見ているだけで危ない。すれ違うクルマの方が驚いて、対向車線側に大回りしている。そんなよりさんは、やがてやってきたパトカーに回収された。
それを教えてくれたのは、通称キングだった。彼は私が参加した5年前以来、トランスエゾ往復コースの覇者であり、今回は6連覇がかかっていた。
彼の走りは独特だ。最初の半分は、歩くのとほとんど変わらないくらいのゆっくりペースで進む。(もう、すでにこの時点で他の参加者は全員、前に行って誰もいない。)残り半分で全力で追い上げ、他の参加者の最後尾から抜き返していく。もっとも、彼に言わせれば、この方法が一番疲れが残らないのだそうだが、私をはじめ、他の参加者にはマネできない。
そのキングに後半、追いつかれてしまった。廃校跡で地主のKさんとお話ししていた時である。もっとお話ししたかったけど、キングに追いつかれたのでは、先を急ぐしかない、つまり、制限時間まで余裕が無いことを意味していた。
キングのペースは速く、追いつけない。そのうち、雲行きが怪しくなり、雨が降って来た。そして雷が、すぐ近くで鳴った。走っている私の横で電線がパチパチとショートしている音を聞いた時は、マジ、怖かった。一瞬、バス停(北海道のバス停は冬を考慮して、戸が閉まる小屋のようになっている。)に逃げ込もうかと思ってやめた。見ると、バス停の小屋に電柱から電線がひかれている。今は、できるだけ電線と高いものから離れるのが賢明である。私はできるだけ姿勢を低くしながら走り続けることにした。
やがて雷鳴がおさまると、今までのが嘘のように羽幌港に沈む夕日が見えた。でも、ゴールの道の駅までは、まだまだ遠い。やがて辺りは暗くなった。暗くなると、集落から遠いこの辺りは街灯がまったく無いことに気づいた。自分の懐中電灯の明かりだけをたよりに、「道の駅2km」の案内板を見つけた時は、思わず泣きそうになった。
そして、私にはもっと気にかけなければならないことがあった。でも、怖くてなかなかそれができなかった。ようやく1kmを切ったところでこわごわと時計を見る・・・初めて来る道の駅は入口がわからず、少々手間取った。そんなもどかしい思いをしながら、無事、ゴールできた。制限時間の1分前だった。
ずぶ濡れのまま、みんなが集合するミーティング会場に入る。今日の簡単な報告と明日のコース説明、その後、とりあえず、濡れた衣服を着替えて8時半に終了する食堂に駆け込み、飲食、その後、洗濯をしつつ温泉につかった。
このように、時間ぎりぎりでゴールすると忙しい。ともすれば、明日のレースに影響する。この日、すでに1分前ゴールということで、この時点で私はもっと慎重になるべきだった。もっと明日のレースの展開について真剣に考えるべきだった。だが、私の頭からは「走り旅」感覚が抜けきっておらず、相変わらず風呂上り後のビールを乾燥器を待ちながら飲み、夜10時半ころ、バタンと布団に倒れ込むように熟睡した。